『クロコダイル・ティアーズ 』(雫井脩介)_書評という名の読書感想文

『クロコダイル・ティアーズ 』雫井 脩介 文春文庫 2025年8月10日 第1刷

息子を殺したのは、嫁なのか。疑ったら最後、もう家族には戻れない -素顔の見えない女をめぐる究極のサスペンス!  第168回直木賞候補作

ワニの涙crocodile tears) 捕食者でありながら、その悲劇を嘆き悲しんでみせるかのような偽りの一滴。噓泣き。

老舗陶磁器店 〈土岐屋吉平〉 の跡取り息子・久野康平が殺された。妻の想代子 (そよこ) と、まだ幼い息子を残しての死だ。逮捕された犯人は想代子の元カレで、彼女を奪われた逆恨みだと判断された。ところが裁判で犯人は、康平を殺したのは想代子に頼まれたからだ、夫のDVに苦しむ想代子から助けを求められたのだと発言したのだ。

腹いせのでまかせだと警察は取り合わないが、康平の母である暁美の胸に疑念が芽生える。想代子に対する康平の態度には以前から高圧的なものを感じていたのだ。さらに暁美の姉・東子 (はるこ) から、夫の遺体を前にした想代子が嘘泣きをしていたと言うのを聞いて、その疑念が膨らんでいく。一方、康平の父・貞彦は孫を店の跡継ぎにという希望もあり、想代子を信じたいと思っている。はたして犯人の言い分は本当なのか - 。

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犯人の爆弾発言によって生じた亀裂。かねて想代子のことを 「何を考えているかわからない」 と感じていた暁美は、些細なこともすべて怪しく感じてしまう。この描写が見事だ。人は思い込むとそれ以外が見えなくなる。どんなことも自分の疑念を補完するような捉え方をしてしまう。思い込みから逃れられなくなってしまうのである。

これが他人であれば堂々と糾弾できるかもしれない。あるいはつきあいを一切絶つこともできるだろう。しかし家族である。だが 「あとから加わった家族」 である。家族だから信じたい、でも他人だった人だから信じられない、理解できない - その微妙な関係がページを追うごとに不穏さを増し、周囲に伝播していく。東子の言うことに暁美がいちいち影響されるのも、家族の一員たる 「姉」 だからだ。想代子 を信じられないこととの、実に秀逸な対比ではないか。家族だからこその脆さが浮かび上がる。

ありがちな嫁姑の諍いではないことに注目していただきたい。暁美と想代子の間に対立は存在しないのである。ここにあるのは暁美の一方的な疑念と、何を考えているかわからない想代子の不気味さだけなのだ。そしてその著者の罠は読者に対しても仕掛けられている。著者はわざと想代子を怪しく描いている。これだけの状況があって想代子が潔白なはずがない - 。そう感じたのではないだろうか。

それこそが 「思い込みから逃れられない」 罠に、あなたも陥った証拠である。(大矢博子/解説より)

※読み進むにつれイライラ感やモヤモヤ感が増し、誰が言う何が真実かがますますわからなくなります。想代子は如何にも企みがありそうな、不穏で不気味な人物に思えます。一方、暁美は生来真っ正直な性格で、包み隠さず正論を主張しているに過ぎません。それはわかるのですが、あまりに一方的で、想代子の存在そのものを否定しているようで、どうあっても (二人の) 溝が埋まるとは思えません。

行き場のない状況が増せば増すほど、それは著者の思う壺なのですが、はたして物語はどんな結果で終わるのか。想代子が流す涙は本物なのでしょうか。それとも東子が言うように、「嘘泣き」 だったのでしょうか・・・・・・・。

この本を読んでみてください係数 85/100

◆雫井 脩介
1968年、愛知県生まれ。専修大学文学部卒。2000年に第4回新潮ミステリー倶楽部賞受賞作 『栄光一途』 でデビュー。2005年には 『犯人に告ぐ』 で第7回大藪春彦賞を受賞。そのほかの主な作品に、『火の粉』 『クローズド・ノート』 『望み』 『仮面同窓会』 『銀色の絆』 『霧をはらう』 『互換性の王子』 『検察側の罪人』 などがある。

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