『橘の家』(中西智佐乃)_書評という名の読書感想文
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『橘の家』(中西智佐乃), 中西智佐乃, 作家別(な行), 書評(た行)
『橘の家』中西 智佐乃 新潮社 2025年6月25日 発行
人類の業をえぐる三島賞受賞作

庭に立つ橘の木、その力を信じ 「子孫繁栄」 に翻弄される人間の業をえぐる、気鋭の問題作。
幼い頃に2階のベランダから落ちたものの、庭の橘の木のおかげで助かったことがある恵実。以来、橘の木が持つとされる妊娠をもたらす力を恵実が媒介するという噂が流れ、子どもを望む人々が家を訪れるようになった。自分にすがる彼らの気持ちに戸惑いながらも役目を果たす恵実だったが、媒介としての人生は家族や自身に暗い影を落としていく - 。第38回三島由紀夫賞受賞作。(新潮社)
それが何かはわかりませんが、(著者のこれまでの人生で) よほどの事があったのだろうと。でなければ、こんな話は思いつきもしません。ちなみに、私のごく親しい知り合いの中には子どもがいない夫婦が二組います。五十を過ぎて独身の女性が三人います。
主人公の一家、森口家の庭には由緒不明の古い橘 (たちばな) の木が生えている。この木を大切にするという条件で夫婦は土地を安く買い、家を建てた。やがてその木は子を授ける不思議な力があると評判が立ち、妊娠を望む女たちが次々訪れる。いつしか 「橘の家」 と呼ばれるようになったこの家の数十年間の物語は、一本の橘の木を起点に人間が人間を産み増やしてゆく営みの一画を切り出し、その陰に蠢 (うごめ) くものを生々しく浮かび上がらせる。
親二人子二人の一家族の物語でありながら、父親の存在は夫婦間の性行為の場面以外でごく希薄であることは象徴的だ。生殖には男女両方が必要でも、そこに至るための工夫や祈りの領域は対等に折半されず、子を求めて橘の木を拝みにくるのはほぼ女だけ。思春期を迎えた息子も、女たちの露骨な欲望や切迫感に耐えきれず家を出てしまう。
一方娘の恵実 (めぐみ) は幼い頃から母と一緒に女たちを迎え、橘の力の媒介役として彼女らの腹に触れ続けてきた。時には叶 (かな) わぬ妊娠を悟ることもあり、後ろめたさから恵実は女たちの顔から目を背け、腹だけに集中する。
個別の事情を超越し、ただ授かりたいという渇望だけが目の前に陳列されている、この強烈さと息苦しさ。それでも時が経てば、戸惑う傍観者であった恵実自身もその渇望の当事者になり、女たちと同じ苦しみを生きるようになる。(以下割愛/青山七恵 「好書好日」 より)
このあと文章は 「なぜ人間は子孫繁栄を願うのか。作中何度かこの問いが提示される。」 と続いていきます。
もしも真正面からこんな問いを投げかけられたとしたら、あなたは何と答えるのでしょう? いまさらそんなことを・・・・・と口籠るのがオチでしょうが、そんなあなたは結婚し、 可愛い息子や娘がいるに違いありません。
自然の成り行きで妊娠し、自然の摂理に従って出産した結果 「子」 の親になったあなたは、「なぜ人間は子孫繁栄を願うのか」 などとは考えたことがありません。あなたにとってはそれが 「普通」 のことだったからです。疑いようもなく、それはそういうものだったからです。
ところが、「そうではなかった」 人にしてみれば、「拝み屋」 だろうが 「橘の木」 だろうが、一縷の望みがあるとするならそれに縋るしかありません。本来人前では語るはずのない妊娠に至る男性との行為について細大漏らさず話す様子は露悪に過ぎ、どこか痛々しくもあります。
最後に、帯に大きく書かれたこんな惹句を載せておきます。
願いも恨みも幸福も。
ぐるぐる巻きで駆け抜ける、女と家と木の一生。こんなけ面白い騒動が、
圧倒的な耳のよさ、堂々たる文章で語られて、
こんなんもう、たまらんわ (川上未映子)
この本を読んでみてください係数 85/100

◆中西 智佐乃
1985年大阪府生まれ。大阪府在住。
同志社大学文学部卒業。
2019年 「尾を喰う蛇」 で第51回新潮新人賞を受賞。著書に 『狭間の者たちへ』 『長くなった夜を、』 など
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