『帰れない探偵』(柴崎友香)_書評という名の読書感想文

『帰れない探偵』柴崎 友香 講談社 2025年8月26日 第4刷発行

続きと始まり』 『百年と一日が話題の柴崎友香による全く新しい探偵小説

世界探偵委員会連盟に所属するわたしは、ある日突然、探偵事務所兼自宅の部屋に帰れなくなった。帰れない探偵が激動する世界を駆け巡る。(講談社)

人間と時間の不思議がここにある。- たしか 『百年と一日』 を読んだとき、こんな言葉がありました。この小説も同様で、著者にしかない感性で綴られた作品は、読み手である私たちをどこへ連れて行ってくれるのか。異国を彷徨い続ける探偵は無事に母国へ、そしてわが家へ帰り着けるのでしょうか。

◇◇◇

わたしが生まれたその国は、わたしが生まれ育った街の空港から飛び立った一年ほどあとに大きな災害に見舞われた。直後に非常警戒態勢が発令され、人々の移動と通信が制限された。災害の状況があまり国外に伝わってこず、わたしは働いていた異国の街で不安を抱えて過ごしたが、地元の街には直接の被害がなかったこともあり帰国しなかった。

その翌年、今度は新型ウイルスによるパンデミックが起きた。世界中で人の行き来が制限され、混乱で他国への関心が薄れる中、その国の議会では統治体制が変わったことが宣言された。クーデターでもなければ政府が倒されたわけでもない。権力の委譲は前から決まっていた事項のように粛々と進んだ。目立った抗議行動も起きなかったし、暴力事件が起きている様子もなかったから、他の国々は 「推移を見守る」 というような曖昧なコメントを出しただけだった。

表面上、国としての公式な外交関係は断絶し、人々の移動や仕事にも制限が課された。国外にいたわたしのような人々は新体制から帰国を求められた。それを拒んで外国に居続ける人は、国際機関が特別措置で承認する元のパスポートか、新しい体制が独自に作るパスポートを選ぶことになった。探偵学校での勉強を続けたかったし、移動や通信が制限されることは避けたかったので、元のパスポートのまま生活することを選んだ。(以下略)

わたしが生まれ育ったそこは、そのときも平和だったし、それから今に至るまで平和だ。なにも起きていない。
友人たちも、元気で暮らしている。
(本文より)

◇◇◇

※ちょっとSFチックなところがあり、摑みどころのない話に、いったいこれは何を読まされているんだろうと。訝しく思うことがあるかもしれません。でも、大丈夫。じっくり読むと、案外まともなことが書いてあります。

今から十年くらいあとの話、と前置きされて始まるのは、故郷の国を離れ探偵として身を立てる 「わたし」 の一風変わった冒険譚。探偵を主人公にした小説は数多あれど、彼女のように 「帰れない」 状態にある探偵は珍しいだろう。念願叶って構えた自宅兼事務所がある日路地ごと消え失せてしまったのだ。家だけでなく彼女は国にも帰れない。探偵教育を受けるため十年前に離れた国は、災害を機に統治体制を変え、世界に対し自ら閉じることを選んだ。

探偵として人々や土地の過去を調査するわたしの未来を過去形で今語る、という入りくんだ時制のせいなのか。描かれる世界の細部は精緻なのに、同時にすべてがごく細かなモザイクでぼかされているような奇妙な視界のズレを覚える。

滞在先の国名も言語も明示されず、依頼者名も仮名。匿名の坂を、路地を、島を、砂漠を彼女は歩き回り、過去のほどけ目に足を取られる。どこにも紐づけられず、流れ着いた先でその場を即興的に生きるしかない 「わたし」 の軌跡の前では、「国民」 や 「国家」 などという言葉は人間の生々しい経験を覆う古いかさぶたに過ぎないようだ。

一方街々の図書館で新旧の地図を開くたび、彼女はかすかな違和感を抱かずにはいられない。人々の日常的選択から台風の軌跡まで情報として均一に処理するテクノロジーが席巻する世界で、人は何を記憶することを選び、何を忘れることを選ぶのか。記憶の取捨で穴だらけになっていく時空とそこに呆然と佇む 「わたし」 を救い出すように、いつもどこからか音楽が鳴り響く。「帰れない」 状態にある人間に、音楽は緯度経度では測れないべつの時空を開いていく。

その音楽を媒介に過去と未来が手を取りあい、限りなく開かれた 「今」 を駆動させるラストシーンに胸躍った。一方向だけに流れるだけではない時のありかたが、かくも鮮烈にここにある。(青山七恵/朝日新聞掲載:2025年08月09日 全文)

この本を読んでみてください係数  85/100

◆柴崎 友香
1973年大阪府大阪市大正区生まれ。
大阪府立大学総合科学部国際文化コース人文地理学専攻卒業。

作品 「きょうのできごと」「その街の今は」「寝ても覚めても」「春の庭」「続きと始まり」「千の扉」「百年と一日」「大阪」(岸政彦との共著)など多数

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