『日暮れのあと』(小池真理子)_書評という名の読書感想文

『日暮れのあと』小池 真理子 文春文庫 2026年4月10日 第1刷

過ぎてみれば、全部、どうってことなかった - 」 孤独、死、性愛と情熱 - 繊細な心の機微を見事に描く至高の短編集。

誰だって、人に知られたくない秘密がある。

老いを感じながら山裾で暮らす童話作家の72歳の雪代。庭を訪れた植木屋の若者から、還暦過ぎの風俗嬢への一途な恋心を聞き嫉妬するが・・・(表題作)。自分の夫と一緒に死んだ女に、線香をあげる妻が放つ不穏な空気 (「喪中の客」)。誰しも運命に逆らえず秘密を抱えて生きていく。死と性愛が交錯する極上の短編集。 解説・小川洋子 (文春文庫)

目 次
ミソサザイ
喪中の客
アネモネ
夜の庭
白い月
微笑み
日暮れのあと

(正直に言いますと) 本の内容もさることながら、読みたかったのは小川洋子氏が書く解説でした。まるで作風が違う作家の小説を、氏はどんな言葉で、どんなふうに解説してみせるのか。それを知りたいと思いました。

本を閉じた今、胸の中に、さまざまな人々の姿が浮かび上がっている。時間の流れからこぼれ落ち、小さな空洞に取り残された佐知子。鳴らないはずのブザーを鳴らす女。善意で束ねられたアネモネの花束を、汚れた手で受け取る将太。絶望を断ち切るために夜の庭を走る家政婦。喪中葉書の束を脇に置き、みかんの果汁を滴らせながら、生きてゆくという未来に情欲を覚える未亡人。マスクの奥に特別な微笑みを隠した画家。「乃」 の字を必死に、誇らしげに宙で描いてみせる植木職人の青年・・・・・・・。

皆、どこにでもいる人々だ。スターや英雄や超能力者ではない。映画館で隣の席に座ったり、通勤電車で同じ車両に乗り合わせたりして、日常的にすれ違っている名も知らない大勢の誰か。

しかし当然、彼らにも、彼らだけの人生がある。心の奥底の洞窟に、二度と足を踏み入れない決意をして、秘密を閉じ込めている者もあれば、親の愛に飢え、社会に虐げられた傷から、血を流し続ける者もいる。

また別の一人は、受け入れがたい死の体験の波にのまれ、あてどもなく漂っている。たとえどんな痛みを伴おうとも、その痛みこそが自分の人生の髄であると、本人は気づいている。ただそれを、あからさまにはしない。他者と共有などできるはずもなく、またその必要もないと、本能的に分かっている。

言葉を与えられないまま、人生の陰に身を潜めている、そうした記憶の一つ一つを、小池真理子さんはそっとすくい上げてゆく。どんなに巧妙に取り繕っても、小池さんの視線から逃れることはできない。普通の人なら見逃してしまうささやかな一瞬に、到底一行では書き表せないはずの混沌を見出す。

そして -

驚くべきことに、一瞬をすくい上げた小池さんの両手は、いつしか永遠へとつながってゆく。

“何かが始まれば必ず終わり、終わればまた、必ず始まる“ ・・・・・・・
“いつかまた、会えるでしょう。必ず会えるでしょう。百年後、千年後になるのかもしれないけれど、必ず“
“日が沈んでも月が昇る。星が輝く“
“すべてが闇に帰し、無になってしまうことはないのである“

これらの文章を読む時、果てしもない時の循環の音が聴こえてくるようである。日暮れのあとには夜が来て、朝が来て、また暮れてゆく。時間は消え去るのではなく、つながり合っている。そのつながりの中では、愛と憎も、聖と俗も、希望と絶望も、生と死も、境い目などなく、互いに含まれ合いつつ、宇宙の広がりに抱き留められている。

※案の定というべきか、予想した通り、小川氏の解説の中には 「性愛」 などという言葉は一切出てきません。実は作品の大方は 「性愛」 がらみで、それは時に激しく、時にとても艶めかしく描かれています。“それ“ 抜きで男と女は語れない - そんな話のオンパレードなのですが、小川氏の解説は、なんて小川洋子らしいことでしょう。そんな描写はまるでないかのような文章で綴られています。

この本を読んでみてください係数 85/100

◆小池 真理子
1952年東京都中野区生まれ。
成蹊大学文学部英米文学科卒業。

作品 「妻の女友達」「恋」「欲望」「虹の彼方」「墓地を見おろす家」「無花果の森」「沈黙の人」他多数

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