『誰にも書ける一冊の本』(荻原浩)_書評という名の読書感想文
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最終更新日:2024/01/14
『誰にも書ける一冊の本』(荻原浩), 作家別(あ行), 書評(た行), 荻原浩
『誰にも書ける一冊の本』荻原 浩 光文社 2011年6月25日初版
この小説は複数の作家による競作の中の一つで、「死様(しにざま)」が共通のテーマになっています。他には、佐藤正午、白石一文、土井伸光、藤岡洋子といった作家が名を連ねています。
荻原浩が書いたのは、病床で死を目前にした父が密かに書き綴っていた自伝「小説」と、息子である「私」がその「小説」を読みながら辿る自分史です。
父親が命の期限を告知されまさに死に逝く間際になって、初めて息子は父親の存在を正面に据えて眺めるものなのでしょうか。
息子と父親の関係というものは、ある時期を境にして急速に他人行儀なものになってしまいます。
そして気が付いたとき目の前にいる父親は、もう面と向かってきちんと話も出来ないくらいに耄碌して小さくなっているのです。
多くを語らず怒鳴られたこともないのに、それでも父親はどこかしら怖くて逆らえない人でした。
しかし、今その姿は見る影もありません。
生体情報モニタにつながれ人工呼吸器を付けた父の意識は、もう戻らないと医師から告げられていました。
東京から函館に戻り、病院で母親から渡されたのは紙袋に入った原稿用紙の束でした。それは、孫娘の香乃から貰った万年筆で3年程前から書いていたという父の小説でした。
広告業のかたわら小説を書いている「私」に読んでもらいたかったのではないか、と母親は言います。
「本にしたいんじゃないかね、お前みたいに。羨ましかったんでないかい」...思いもよらない話に「私」は面食らうばかりです。
人は誰にも、一生に一冊の本が書けるという...父の場合、それは「長く短い物語」というタイトルの自伝でした。
大正13年に福島県大沼郡本郷町(現在の会津若松市)に生を受けたところから始まり、開拓民として家族で北海道へ移植した少年時代へと話は展開して行きます。
熊と格闘して背中に大傷を負った武勇伝、中学進学の費用を稼ぐために父親と行ったニシン漁、そして戦争の話。
配属されたマレーのアエルタワル基地、空中戦で敵国の若者が墜落していく様を歓喜した自分を恥じ、懺悔の思いが綴られます。
しかし何よりも意外で驚いたのは、父が実は文学の道に進みたかったと告白していることでした。父親からは縁遠い、全く気配を感じることがなかった事実に唖然とする「私」です。
・・・・・・・・・・
読み出した当初は、ただの素人が書いた自己顕示欲だけが強くて家族以外の誰も読まないであろう小説を、いつしか真剣に校正している「私」がいます。
父の小説を読み進める間、「私」は「私」の来し方と行く末にも思いを巡らせています。
離婚して独り身でいること。デビュー作の小説はそこそこ評価されたものの、二作目が出たきりで三作目の発注はまだどこからも来てはいないこと、等々。
しかしながら、父の死と父が遺した小説を読んだことが契機となり、「私」のなかで将来への新しい希望が芽生えてくるのです。
それを後押しするように、葬儀の当日期待していなかった人物が遠方から訪れてくるのでした。
この本を読んでみてください係数 80/100
◆荻原 浩
1956年埼玉県大宮市生まれ。
成城大学経済学部卒業。広告制作会社、コピーライターを経て、1997年小説家デビュー。
作品 「オロロ畑でつかまえて」「コールドゲーム」「明日の記憶」「お母様のロシアのスープ」「あの日にドライブ」「四度目の氷河期」「愛しの座敷わらし」「砂の王国」他多数
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