『渡良瀬』(佐伯一麦)_書評という名の読書感想文

『渡良瀬』佐伯 一麦 新潮文庫 2017年7月1日発行


渡良瀬 (新潮文庫)

南條拓は一家で古河に移ってきた。緘黙症の長女、川崎病の長男の療養を考えてのことだった。技術に誇りを持っていた電気工の職を捨て、配電盤の製造工場で新たに勤めはじめた。慣れぬ仕事を一つずつ覚えていく。人間関係を一つずつ作っていく。懸命に根を張ろうとする拓だったが、妻との仲は冷え切っていた。圧倒的な文学的感動で私小説系文学の頂点と絶賛された最高傑作。伊藤整文学賞受賞。(新潮文庫)

読めども読めども、配電盤の〈配線〉に係る話ばかりが続きます。しかし、気付くとそれは、人と人とを繋ぐ、別の話であるように感じられます。

茨城県の渡良瀬遊水地にほど近い工業団地。一部上場企業の下請けである〈平塚電機製作所〉は、主に「自家用発電機自動始動盤」と呼ばれる配電盤の製作を請負っています。

「自家用発電機自動始動盤」とは、停電の際に自動的に自家用発電を行うための装置で、自立型と搭載型、二つのタイプがあります。平塚電機における一番の代表格は「搭載型」と呼ばれる小型の配電盤で、コンパクトに設計されたそれは、大型のテレビ程の大きさの鉄の函体に組まれています。

配電盤には、大きな電流が流れる主回路のための〈太線〉と、動作を制御する回路のための夥しい数の〈細線〉が収められています。

普通、大電流が流れる主回路を構成している銅帯や太線以外の、複雑な動作をコントロールする制御回路の何百本もの数に及ぶ細い電線は、ごちゃごちゃしがちな見栄えを隠すために、配線ダクトと呼ばれるカバー付きのプラスチックケースの中に収められています。

但し、他の(普通の)配電盤とは違い、「搭載型」に限っては黄色い細線がそのまま剥出しになっており、所々、結束バンドで束ねられているだけの仕様になっています。

平塚電機が「搭載型」を誇る理由の一つに、それを手懸ける職人・本所さんの配線に係る高い技術があります。本所さんは「工場一の腕を持つ職人」で、誰よりも仕事が早く確実で、しかも(配線するのに必要な)電線の無駄をほとんど出しません。
・・・・・・・・・
28歳になる南條拓は、訳あって東京でしていた電気工を辞め、茨城県西部の町に配電盤の製造に関連した工場が二十社あまり集まっている工業団地、通称〈配電盤団地〉にある平塚電機製作所の(見習い期間付き)社員へと職を替えます。

彼はここに来て、まだまだ自分の知らない電気の世界があることを思い知らされることになります。電気工時代に様々な種類の配電盤の修理を行ってきたつもりになっていた彼にとり、新たな職場で扱うそれは、まるで馴染みのないものでした。

彼は初心に還り、粛々と技術を学ぶ決心をします。そこは東京と違い因習に縛られた地方の田舎町で、拓は最初よそ者扱いされ、中々に馴染むことができません。教えを乞うにも時間がかかり、仲間として受け入れられるにはなお一層の時間が必要となります。

彼には妻があり、まだ幼い、三人の子供がいます。長女は緘黙症、長男は川崎病を患っています。

彼は小説を書いています。三年前、彼の書いた小説が文芸雑誌の新人文学賞を獲ったことがあります。それは彼と妻との結婚の経緯を書いたものだったのですが、活字になってからというもの、妻の幸子は拓に対して頑なに心を閉ざすようになっています。

彼には幸子に言えない(サラ金で借りた)借金があります。返済に回す分、無駄な出費はできません。仕事仕事で、小説はほとんど書けないでいます。見習い社員のためボーナスは出ず、残業と休日出勤を繰り返し、家族らしい日々を送れないでいます。

その孤独、その光跡。 遠のく妻子、過酷な労働  懸命な 「生」 の荘厳さを圧倒的感動で描く傑作

「太線ってやつは、圧着すると電線が伸びるんだよ」という本所さんのひとことを心に留めた主人公は、(中略) 早出して、「いくぶん、泥棒めいた後ろめたさ」 を感じながら、太線のどこに長さの目安となる印がつけてあるかを逐一探っていく。そこで語られているのは、配電盤の話であると同時に、ものづくりの、言葉づくりの精髄についてである。(堀江敏幸/解説より)

 

この本を読んでみてください係数  80/100


渡良瀬 (新潮文庫)

◆佐伯 一麦
1959年宮城県仙台市生まれ。
仙台第一高校卒業。

作品 「木を接ぐ」「ショート・サーキット」「ア・ルース・ボーイ」「遠き山に日は落ちて」「鉄塔家族」「ノルゲ Norge」「還れぬ家」他多数

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