『鼻に挟み撃ち』(いとうせいこう)_書評という名の読書感想文

『鼻に挟み撃ち』いとう せいこう 集英社文庫 2017年11月25日第一刷

御茶ノ水、聖橋のたもとで演説をする奇妙な男。ゴーゴリの「鼻」と後藤明生の「挟み撃ち」について熱く語るその男は、大声を出すには相応しくないマスクをしている。そしてまた道行く人々もみな同様に。なぜ誰もが顔を隠しているのか、男の演説の意図は何なのか。支離滅裂に思える内容に耳を傾けるうち、次第に現実が歪み始め - 。政治小説の再来を目指した表題作の他三篇を含む幻惑小説集。(集英社文庫)

もうひとつ。(「BOOK」データベースより)

耳を澄まし、鼻をきかせるとあらわれる、マスクの下の、もう一つの秘密。いとうせいこうにしか書けない、可笑しくて哀しい、人生4つ分のふしぎ。第150回芥川賞候補作となった表題作の他、不思議な読後感を残す3つの傑作短編を収録。

収録作品は、「今井さん」「私が描いた人は」「鼻に挟み撃ち」「フラッシュ」の4作品。

いとうせいこうの中編「鼻に挟み撃ち」(『すばる』)は、後藤明生の名作「挟み撃ち」を踏まえ、後藤へのオマージュを捧げながらも、後藤が踏まえているロシアの作家ゴーゴリ(特に「鼻」)の世界にも入りこむ。

舞台は現代の御茶ノ水駅前の雑踏から、19世紀のペテルブルグの間を自由に行き来し、語り手も駅頭で演説する男と、作者自身の分身とおぼしき人物と、後藤明生その人との間で融通無碍に入れ替わり、1973年の「挟み撃ち」の後藤と2013年の「私」(= いとうせいこう)が重なり合って区別できなくなる。

そして、いとうせいこう自身の私小説的な回想を読んでいるうちに、読者はいつのまにか世界文学の波打ち際に越境している、といった風なのだ。

「わたしたちはこの鼻の喜劇から逃れようがない! 」という結末は、さまざまに解釈できるが、自分と世界の「挟み撃ち」にあった作家の存在様式を端的に言い表わしたものと私は読んだ。(沼野充義、文芸時評 2013年11月、東京新聞他掲載/解説より)

ちょっと読み、手に負えない気がしなくもありません。後藤明生(って誰?)、ゴーゴリにカフカ。って言われてもねえ。これじゃどうしようもない。

知った上で読むのに越したことはないけれど、知らなくてもそれはそれでおもしろいなんて言われて、バカ面下げて「ハイそうですか」なんて言えたもんじゃない。解らん奴は読まんで結構と正直に言えばいい。

小説には珍しく「政治」のことが書いてあります。例えばそれが(笑いを含んだ)こんな文学的表現でもって。

本来、きな臭さとは不穏さのことであります。自称マスクは声の調子を一段上げた。

ある政治家はAと言っているが実はBを意図してはいないか、と危うさを嗅ぎつける。さらに疑えばCの匂いも奥にくすぶっているのではないか、と敏感に匂いを判断する。それが鼻というものの役割ですよ、皆さん。

ところが、誰も彼も鼻が利かなくなってきたのではないですか。だから政治家も官僚もマスメディアも評論家も飲み屋のオヤジもAから匂わせているわけにいかない。はっきりCと言わなければ、いやそれどころか超C、激しくC、ウルトラCにしないと伝わらない。

話題にならない。これではきな臭いどころではありません。はっきり火薬。もろに山火事。憶測とか忖度とか屈折を通じて慎重に議論を深めていく「嗅ぎあい社会」は、もはやここにない!

尾籠な話で恐縮ですが、と自称マスクはたたみかけてきた。尾籠な話は面白そうだ、と私は耳を澄ませた。(本文104ページ)

何を喩えて「鼻」なのか? 私が今、「挟み撃ちにあっている」と感じるものの正体は? - 読むうち段々とそれが明らかになっていきます。但し断っておきますが、間違ってもダレた正月休みに読むものではありません。政治や世相についてはさほど関心が無いという方、特にお気をつけください。

この本を読んでみてください係数 80/100

◆いとう せいこう
1961年東京都生まれ。
早稲田大学法学部卒業。

作品 「ノーライフキング」「ボタニカル・ライフ」「ワールズ・エンド・ガーデン」「解体屋外伝」「存在しない小説」「想像ラジオ」など

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