『夢魔去りぬ』(西村賢太)_書評という名の読書感想文
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最終更新日:2024/01/11
『夢魔去りぬ』(西村賢太), 作家別(な行), 書評(ま行), 西村賢太
『夢魔去りぬ』西村 賢太 講談社文庫 2018年1月16日第一刷
三十余年ぶりに生育の町を訪れた “私” が、その地で見たものは、一瞬の夢、幻だったのか - 。昏い過去との再会と訣別を、格調高い筆致で描く鮮烈なる表題作ほか、北町貫多の同居女性に対する改悛の情とその後を語る「畜生の反省」など、無類の私小説作家の名調子が冴える、六篇の短篇集。『痴者の食卓』を改題。(講談社文庫)
2年前の『形影相弔・歪んだ忌日』以来の西村賢太。収録作は「人工降雨」「下水に流した感傷」「夢魔去りぬ」「痴者の食卓」「畜生の反省」「微笑崩壊」の6作品。
表題作を除く5作は例のごとく〈北町貫多〉を、(これはなかなかに珍しいことですが) 「夢魔去りぬ」だけが〈私〉という人称で綴られています。
『苦役列車』を読んだときは衝撃でした。読んだことを後悔し、できれば読まずにいたことにして忘れてしまいたい - そんな気持ちになりました。それほどに、(おそらくは)恥ずかしかったのだろうと思います。
書いてあることの一々はすごくよくわかるのに、わかる自分が酷く醜い人間に思えて我慢がならなかったのです。そこまで書くかと思い、露悪が過ぎて正視できずにいました。
自分の出目や学歴に対する激しい劣等感、他人に向けられる嫉妬や度を超えた蔑みの言葉、性に対する欲望を剥き出しにして暮らす日々の生活 - そこから沸き立つ臭気にやり込められて、たとえばそれは臭い立つ体臭のように、纏わりついて離れなくなります。その心持ちが厭で、しばらく読まずにいました。
北町貫多は秋恵という女性と知り会い、ようようのこと同居生活を始めることになります。それは何より貫多が強く望んだもので、秋恵を愛しく思ってのことであり、いつも彼女の傍にいたいと願う深い愛情故のことであったのは言うまでもありません。
しかし、「根が生まれついて計算高くできている」貫多には、もう一つ別の、(彼なりの)思惑があります。それは損得に関わるようなことではなく、「単に相思相愛の情を確認できたこの女を絶対に逃せぬ」という甚だ不粋で身勝手なものでした。
彼にとりそれは中々に切実なことで、今この女を確保し損なうことになったとしたら、この先もう自分には異性を得るアテが無くなる - 半ば強引に話を進めた結果実現した同居は、そんな、情けない焦燥ゆえのことでもありました。
貫多がそう思うには、そう思うだけの事情があります。この10年、こと素人の女体に関しては、その口臭すらも間近に嗅ぐ機会にありつくことができなかったといい、生身の女性(の体温や匂い)を直に感じたいという切なる欲望を抱えつつ、しかし一度たりとも叶わず、
中学を出て以来の彼(貫多は中卒)は、まともな仕事にも就けず、不遇な毎日を余儀なくされます。生来の(好まざる)己の性格も、わかってはいるものの直すことができません。
外見、学歴、職歴のみならず、そもそもの出目からして性犯罪者を父に持つ子たる彼は、それなら内面だけでもせめて人並みのものを持てばいいのに、いかんせん先天的に短気で粗暴。後天的には下品で酒好き、さらには女陰好き(「女好き」とは書かない! )。
邪推癖があり、猜疑心が強く、小心で人見知りで弱い者苛めを好み、ケチで不潔でつけ上がり体質と、何十拍子も負の要素が揃っており、男としてまるで取り柄がありません。(これらはすべて貫多自身が語る己の性格です)
そんな彼の前に現れたのが秋恵という女性で、(何やかや、ややこしく書いてはありますが)互いが互いを憎からず思っているのがその内わかり、やがてつき合うようになり、結果二人は一緒に暮らすようになります。
ところがものの一ヶ月も過ぎたあたりから、忽ちにして貫多は自らの地金をあらわすようになります。些細なことで暴言を吐き、頭を平手ではたくぐらいはまだしも、時に激昂し容赦ない暴力を振るうようになります。
暴力行為に及んだ後はすぐに反省し、ようやく手に入れた素人の女体をここでみすみす逃がす愚は絶対に犯せぬなどと、行ったり来たりを繰り返します。
※なまじ深刻めいた書き方がしてあるのでどうかと思うのですが、よくよく読めば、どこか滑稽なエンタメ小説にも思えてきます。その上今回はちょっと「まともな」貫多が登場し、幾分読み易くもあります。
この本を読んでみてください係数 80/100
◆西村 賢太
1967年東京都生まれ。
中学卒。
作品「暗渠の宿」「苦役列車」「どうで死ぬ身の一踊り」「二度はゆけぬ町の地図」「小銭をかぞえる」「廃疾をかかえて」「人もいない春」「一私小説書きの日乗」他多数
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