『さよなら、ニルヴァーナ』(窪美澄)_書評という名の読書感想文

公開日: : 最終更新日:2024/01/10 『さよなら、ニルヴァーナ』(窪美澄), 作家別(か行), 書評(さ行), 窪美澄

『さよなら、ニルヴァーナ』窪 美澄 文春文庫 2018年5月10日第一刷

14歳の時に女児を殺害し、身を隠すように暮らす元「少年A」。少年に惹かれ、どこかにいるはずの彼を探す少女。その少女に亡き娘の姿を重ねる被害者の母親。そして環の外から彼らを見つめる作家志望の女性。運命に導かれるように絡み合う4人の人生は思いがけない結末へ。人間の深奥に切り込む著者渾身の物語。(文春文庫)

この物語は1997年(平成9年)、兵庫県神戸市須磨区で発生した当時14歳の中学生による連続殺傷事件に材を取っています。事件は (少年が名乗った名前から) 『酒鬼薔薇事件』 『酒鬼薔薇聖斗事件』 とも呼ばれ、社会を震撼させた、あの事件のことです。

97年5月27日の早朝、神戸市須磨区の中学校正門に切断された男児の頭部が放置されているのを通行人が発見し警察に通報。と、それは同月24日から行方不明となっていた近隣マンションに住む男児(11歳) のものと判明します。

耳まで切り裂かれた被害者の口には、「酒鬼薔薇聖斗(さかきばらせいと)」 名の犯行声明文が挟まれており、その残虐さと特異さから各メディアを通じて全国に報道され、犯人は約1ヶ月後に逮捕されるも、予想された犯人像とは著しく異なり、犯人は14歳の中学生であり、更には連続殺傷事件であったことがわかります。

小説では、殺害され首を斬られた11歳の男児を7歳の女児と書き換え、女児の名前を光(ひかる) としています。少年Aが、晴信(はるのぶ)。少年Aを “ハルノブ様” と呼び、まるでアイドルのように追いかける少女の名前が、莢(さや)。

莢は、ひょんなことから少年Aによって無惨に殺害された少女・光の母親と知り合い、親しくなり、彼女のことを 「なっちゃん」 と呼ぶようになります。さらにもう一人。東京にいて、小説家になる夢を諦めかけている三十歳過ぎの独身の、今日子という女性。

今日子はひたすら小説を書くも賞に届かず、ここらあたりが潮時と、母の誘いに乗じてやむなく故郷へ戻ります。しかし思いは断ち切れず、そのうち、「少年Aを題材に小説を書けないものか」 という強い思いにとらわれてゆきます。

※少年A - 晴信(後に名前を変えて倫太郎) が光を二度目に見た日に考えたこと。
夜が明ける前、誰もいない学校の兎小屋に忍びこみ、僕は瞬時に兎を絞め殺した。きゅう、という音を出して、すぐに兎はぐったりとした。僕は兎の死体の入った鞄とともに、藪をかき分け、給水塔の下へと急ぐ。

子猫の解剖からもう何年も経っていたのに、指が覚えていた。(中略)ぬるりとした感触と生温かい温度が指の先から全身に広がる。血で濡れた指で僕は自分を擦る。これは僕の神さまのための儀式だ。母に連れ回されないための、顔も知らぬ誰かがまいた毒で殺されないための、圧倒的な揺れで押しつぶされないための、理不尽な暴力を受けないための、僕だけの儀式だ。赤と僕が放った白が混じり合う。僕がマウスにならないために、僕は誰かを僕だけの神さまに捧げないといけない。(P192)

※少年Aの母親と面会した時、同じ母親として光の母親が考えたこと。
少年の母親のことを考えると、なぜだか思い浮かぶのは、自分の母のことだった。子どもは親を選べない。けれど、親だって子どもを選べない。粘土細工のように親がこうしたいと思っても、子どもは親の思うような形にはならない。光も智も、素直ないい子だ。いい子に育てた、という自負もある。けれど、それは、私に、たまたま育てやすい子が割り当てられた、というだけのことなんじゃないだろうか。(P105)

※最初今日子が惹かれたのは、少年Aの容姿でした - 私が寝ている川端君や、妹の夫の誠司さんのほうが、よっぽど殺人者にふさわしい顔をしている - それに対し、「Aの顔は、奇妙な清潔感と、落ち着きに満ちていた」 と感じます。

少年Aに対する、今日子の見立てはこうです。

Aは人間の中身が見たくて、七歳の子どもを殺した。中身。それは少年Aが、事件を起こしたときに、何度も口にしていた言葉だ。人間の中身が見たかった。だから僕は、あの子を殺した、と。彼は何度もそう言った。けれども、当時、誰も、その真意をくんだものはいなかったと思う。

私も中身が見たいのだ。人がひた隠しにして、心の奥底に沈めてしまうもの。そこに確かにあるのに見て見ぬふりをしてしまうもの。顔は笑っていても心の中で渦巻いている、言葉にはできない思いや感情。皮一枚剥がせば、その下で、どくどくと脈打っている何か。それを見てみたい。そういう意味では、私とAは同志なのだ。(P402.403)

この物語には、少年犯罪の加害者、被害者遺族、加害者を崇拝する少女、そして、その環の外にたつ女性作家 - それぞれの地獄を生きる「覚悟」が綴られています。

この本を読んでみてください係数 85/100

◆窪 美澄
1965年東京都稲城市生まれ。
カリタス女子中学高等学校卒業。短大中退。

作品 「晴天の迷いクジラ」「クラウドクラスターを愛する方法」「アニバーサリー」「雨のなまえ」「ふがいない僕は空を見た」など多数

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