『もう「はい」としか言えない』(松尾スズキ)_書評という名の読書感想文

『もう「はい」としか言えない』松尾 スズキ 文藝春秋 2018年6月30日第一刷


もう「はい」としか言えない

主人公は初老のシナリオライター/俳優で、二度目の妻に浮気がバレて二十四時間監視状態の日々を送る羽目になる。彼はもう離婚だけは御免なのだ。そんな彼にフランスから 「エドゥアール・クレスト賞」 なる謎の賞を与えたいとの連絡があり、少々精神を病んだフランス人と日本人のハーフ青年と共に (妻から逃れて) 彼の地へと旅立つのだが・・・・・・・物語はあれよあれよという間に序盤からは想像もつかない方向へと転がってゆく。パリのはずれにある移民(難民)たちの街の描写は強烈である。最後の最後になって、やっと読者は、この小説のテーマが何であったのかを、そしてタイトルの真の意味を知ることになる。(東京新聞(TOKYO Web)文芸時評からの抜粋)

読んだ一番の理由は、この小説が 第159回芥川賞候補作 であるということ。次に、「松尾スズキ」 というキャラクターと 『もう「はい」としか言えない』 というタイトルが素晴らしくマッチングしていると感じたこと。(候補でなくても、おそらく読んだ)

私はイメージ、ちょっと “脱力系” が、好きなのです。

さて。

二年越しの浮気がバレた主人公の海馬五郎は、妻から、仕事場の解約(浮気は主にそこでなされていた)と、毎日のセックス(むろん妻との)を言い渡されます。それはもはや「約束」などという甘やかなニュアンスの欠片もなく、ただただ一方的に言い渡されたもので、

その上、今後2年間、つまりは夫が自分を欺いた期間、仕事中でない限り、外出先からスマホで1時間おきに背景も含めた自撮りの写メを送ることを義務付けられます。

それをもし忘れた場合、スマホのGPS機能を妻のパソコンと共有させること。そして、どんなに疲れて帰ろうが、どんなに酔っぱらっていようが、2年間、毎日セックスをすること。丁寧に。

「もちろん私とね」
そう、妻は目をむいた。まったく冗談ではない温度で。みっつの条件は、もう何日も前から決めてあるような淀みのない口ぶりだった。そして、熟成された憎しみを抑えた冷静さでこうつけたした。それを守れば、離婚することもないし、裁判を起こすこともないと。変わらず世話をする。そう言って、2、3度うなずいた。(P9)

妻との誓約を粛々と履行すること半年。ある日海馬は、フランスからの奇妙な手紙を渡されます。見ると中には、海馬が 「エドゥアール・クレスト賞」 なるフランスの賞を受賞したと書いてあります。ついては、授賞式に出席せよと。

「世界を代表する5人の自由人のための賞・・・・・・・? 」  パリへの旅費と一週間の滞在費は支給すると書いてあります。胡散臭くはあるものの、これで一週間は妻の罰から逃れられる。本当は飛行機嫌いで外国人が怖い海馬は、それでも、是が非にもとこの誘いに乗り、パリに行くことを決意します。それが悪夢の旅になるとも知らずに。

浮気がばれた。それで、妻の罰を逃れようとしていたら、あれやこれやで、いつの間にかスイスの町なのか村なのかにたどり着き、今、数百人の外国人のゲイたちの前で、笑いの神の生贄のような存在になって舌なめずりされている。しかし、なぜだかわからないが、笑いものになろうとしている自分を心のどこかでうけいれている気もする。この半年間、自分に足りなかったのは、公開処刑。それくらいの激しい痛みだったのかも知れない。(帯文/P97より)

パリに到着し、数日間の後、ようやくにして海馬は授賞式会場へと案内されることとなります。目隠しをされ、音まで遮断されて行き着いた先にいたのが、エドゥアール・クレスト氏。海馬に賞を与えた当人でした。

齢56歳のクレストは今にも死にそうな姿をしています。彼は自分のある目的のため、海馬を含む5人の受賞者を仕立てたのでした。

それを知った海馬は、以前、もしものときに、(母に対し)延命治療をしますか? と医師から問われ、言葉に詰まり、返事が出来なかったことを思い出します。そして続けて、遠い故郷の施設で暮らす母に向かって、こう呟かずにはいられなくなります。

この自意識しかないような男が死ぬのなら、だったら、お母さん、あなたは、なんのために生きているのですか?  と。

 

この本を読んでみてください係数 85/100


もう「はい」としか言えない

◆松尾 スズキ
1962年福岡県北九州市八幡西区生まれ。
九州産業大学芸術学部デザイン学科卒業。
俳優、劇作家、演出家、脚本家、映画監督、コラムニスト。

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