『勝手にふるえてろ』(綿矢りさ)_書評という名の読書感想文

公開日: : 最終更新日:2024/01/14 『勝手にふるえてろ』(綿矢りさ), 作家別(わ行), 書評(か行), 綿矢りさ

『勝手にふるえてろ』綿矢 りさ 文春文庫 2012年8月10日第一刷

最近彼女、結婚しましたね。旦那様は、国家公務員とのこと。イメージだけで失礼なことですが、ロックシンガーや俳優の卵(これまた失礼な例えでスミマセン)じゃなくて、公務員というところが、彼女らしいと言えばらしいところですな。ま、他人の恋沙汰は分かりませんから、どうでも良いのですが。とりあえず、おめでたいことです。
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主人公の彼女には中学時代に好きになった同級生がいるのですが、その彼とはろくに話したことさえありません。しかし彼女の妄想の世界では彼は永遠の王子様で、彼女は誰よりも彼のことを理解しているのです。彼女は、彼のことを「イチ」と呼んでいます。

一方現実では、いまいち好きになれないけれど猛烈にアタックしてくる同僚の男性がおり、中途半端な気持ちのまま、ズルズルと彼女は彼と付き合っています。「イチ」に対して、この理想には遠い相手が「ニ」。イチ彼とニ彼の間を、彼女は行ったり来たりするのです。
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江藤良香(ヨシカ)、26歳。恋愛経験と言えるものは、中学時代の同級生への片思いのみ、根がオタクでやや妄想癖、初恋の同級生への想いが強すぎて現在まで男性経験もありません。今や彼女にとって処女とは「新品だった傘についたまま、手垢がついてぼろぼろに破れかけてきたのにまだついている持ち手のビニールの覆い」みたいなものでした。

良香は、おびえがちに微笑むイチが好きでした。彼の魅力は、可愛さではなく怯えでした。彼はなれなれしく接してくる人間におぞけをふるっていて、彼の恐怖のにおいを無意識にかぎつけた子たちが興奮して寄り集まるのです。良香だけが、それに気付いていました。

ニは元体育会系いまはちょっとビール腹の体格で、できたての弁当の底みたいなほかほかしたあつくるしいオーラの男性でした。デートの行き先に選んだクラブの大音響に文句を言い、自分をしきりにアピールするニに対して、良香の気持ちは弾むどころか逆に不満が募るばかりです。

ニは、こいつと決めたらしつこく追いかけまわし、勝手に運命の人だと決めつける、ストーカー一歩手前の自己陶酔が激しいタイプ・・・、つまりニと自分が同じタイプであることが分かるだけに、最後のところで良香はニを邪険にできないでいます。結婚を前提にした真面目な交際を迫るニですが、良香の気持ちは宙に浮いたまま返事を繰り延べするばかりです。
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大人になったイチに会おう、と良香は決心します。中学時代の女友達の名を騙って、ネットを通じて同窓会を開くことを思い付き、ようやく本人と出会います。久しぶりに出会ったイチは、何も変わっていません。良香の王子様は、大人になっても王子様のままでした。

やっと二人きりで話す機会が訪れたのは、同窓会で上京した者だけでもまた会おうと決まって、同級生のマンションにメンバーが集まったときでした。しかし、話し始めてみると良香が知る中学時代のイチと、本人が語る当時のイチには微妙な食い違いがあります。

良香の奇妙な趣味の話にも、負けないくらいの知識で返してくるイチとはきっと話が合う、付き合えば話すこともきっとたくさんあると思う反面、良香は言いようのないむなしさを感じています。気が合うだけで、二人の距離は永遠に縮まらないことに良香は気付くのでした。イチが良香のことを好きでも何でもないことが伝わってくる、二人は普通よりちょっとだけ距離の近い平行線で、そこからは何も生まれないことを知らされる良香です。

夜明け前、良香はイチに尋ねます。「どうして私のこと“きみ”って呼ぶの」
イチの返事。「ごめん。なんていう名前だったか思い出せなくて」
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これは辛い、つらすぎる。良香の心中を察すると、涙が出そうになります。それまでに誰かをつかまえて良香の名前をそっと聞き出すくらい、イチには何でもないことですよ。至近距離で人と話す場合、相手の名前を知っておくことは人として最低限のマナーじゃないの? 私は、絶対そう思う。基本的な気遣いに欠ける奴なんぞは、とっとと忘れてしまえばよろしい。イチは、良香が思うほどの男じゃない。(これは私の感想)

「イチなんか、勝手にふるえてろ」
良香の心からイチは遠のき、その分ニに気持ちが傾くかといえばそう事は簡単に運びません。同僚の来留美を信じて打ち明けた相談ごとが、ニは言うまでもなく社内の人間にすべて曝されていたことを知るに及んで、たまらず良香は思いつきの暴挙に出るのでした。
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年頃の独身女性の心情を書かせたら、綿矢りさは天下一品ですね。特に内向的な性格を自覚しながら自虐的に自分を語り、やや軽薄で男性におもねるような態度を示す同輩には容赦がない・・、如何にも身近にいそうな女性を正確な描写で示してみせてくれます。

男性への目線も、決して甘くはありません。望み通りの相槌を返してあげたのに即座に打ち消してくる人、企画のことをかっこつけてプロジェクトと言い換えるような人を、良香ははっきり嫌いだと言います。

良香にとって目指すべきは、相手の胸の内を推し測り、優しくも豊かな想像力を持った女性なのです。一方で、来留美のように寝ているときでさえ完成されている美しさ、利発そうで無意識でも美を保っている容姿に嫉妬するのです。良香は自分の高い理想に阻まれて、上手な恋愛ができません。

果たして、良香は苦境から脱することができるのでしょうか。形の上では二股をかけていた良香の恋愛事情は、この先どんな結末を迎えるのでしょう。良香が平安を取り戻す前には、もう少しの波乱が待ち構えています。

この本を読んでみてください係数 80/100


◆綿矢 りさ

1984年京都府京都市左京区生まれ。

早稲田大学教育学部国語国文科卒業。

作品 「インストール」「蹴りたい背中」「夢を与える」「かわいそうだね?」「ひらいて」「しょうがの味は熱い」「憤死」「大地のゲーム」など

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