『呪文』(星野智幸)_書評という名の読書感想文
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『呪文』(星野智幸), 作家別(は行), 星野智幸, 書評(さ行)
『呪文』星野 智幸 河出文庫 2018年9月20日初版
さびれゆく商店街の生き残りと再生を画策する男、図領。
彼が語る 「希望」 という名の毒は、静かに街を侵しはじめる。
「この本に書かれているのは、現代日本の悪夢である。」- 桐野夏生
さびれゆく松保商店街に現れた若きカリスマ図領。クレーマーの撃退を手始めに、彼は商店街の生き残りを賭けた改革に着手した。廃業店舗には若い働き手を斡旋し、独自の融資制度を立ち上げ、自警団 「未来系」 が組織される。人々は希望あふれる彼の言葉に熱狂したのだが、ある時 「未来系」 が暴走を始めて・・・・・・・。揺らぐ 「正義」 と、過激化する暴力。この街を支配しているのは誰なのか? いま、壮絶な闘いが幕を開ける! (河出書房新社)
ホームの目の前に建っている六階建ての商業ビルの右側面が、にわかに曇った。水滴にまみれたメガネを拭いて目を凝らすと、突風が吹き荒れて、雨が完全に真横から降ってビルの側面を打ち、しぶきとなっているのがわかった。
屋根のあるホームにいるはずの犬伏も、いきなり水に落ちたかのように下着まで濡れていた。ホームの屋根と床の間を、まさに雨の川が横向きに流れている。(後略)
とても立ってはいられず、電車を待つ客たちは階段に避難する。犬伏も突風に押されるようにして、階段まで移動し、地階へ降りた。これからバイトだったが、こんな中、電車に乗るのは危険だし、どうせ止まってしまうだろうし、行くのはやめにした。そんなことより大切な時に直面していた。
犬伏は興奮していた。雨の中を走り出す。(中略)十分もあちこちをでたらめに走るうち、本物の川のほとりに出た。道が川となって流れていた。そこは緑道であるから、いつもは暗渠になって隠れていた松保川が、出番だとばかりに姿を現わしたのだ。
緑道に沿ってさかのぼり、犬伏は松保神社にまでたどり着いた。あたりには水が広がって、薄い池のよう。東参道は水没して危険なので、表参道へまわって本門から神社に入る。樹齢を重ねた主のような木々が、鞭のようにしなって今にも折れそうだ。
水松様が折れるかもしれない、と犬伏は思った。そんな恐ろしいことが起きるなら、この目で見ておかなくては。犬伏の興奮は頂点に達する。しかし、最奥の鳥居をくぐり抜ける手前で、水は膝まで達しつつあり、それ以上先へ進むのは無理だった。人間が来てはいけないということなんだろう。
このまま人類は滅びればいい! 犬伏は声に出して叫んでいた。
災害や天変地異、巨大な事故やテロが起きると、犬伏は普段の無気力から一変して活性化するのだった。悲劇のにおいがすると元気になる。それほど、自分は人間が嫌いなのだと思っていた。自ら破滅する行動を取り続ける愚かな人間という種族を、軽蔑していた。戦争などという究極の破滅行動が起こったら、誰よりも忌み嫌いながら、同時に生き生きとするかもしれない。そしてそんな自分こそ、愚かな人類の代表だった。自分が滅びることは、象徴的に人類の滅亡を意味している。だから犬伏は自分が滅亡することを目指していた。(P137.138)
だが -
犬伏が松保神社で夢想する大洪水は起こらない。松保神社の古い神は力をふるわない。神社という場所も、そこに奉られている神も、機能していない。天変地異を起こさず、神風も吹かせない。
この物語のなかでは、信仰は 「美」 として信奉されず、信仰のためにすすんで死を捧げよ、という 「神」 を、星野さんは解決策にしていない。
では、いったい、誰が彼らを救うのか。(窪美澄/解説より)
最初彼女(窪美澄)は、 その人物を 「女性」 と思って読んだそうです。
この本を読んでみてください係数 85/100
◆星野 智幸
1965年アメリカ・ロサンゼルス市生まれ。
早稲田大学第一文学部文芸専修卒業。
作品 「最後の吐息」「目覚めよと人魚は歌う」「ファンタジスタ」「俺俺」「夜は終わらない」他
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