『民宿雪国』(樋口毅宏)_書評という名の読書感想文
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最終更新日:2024/01/14
『民宿雪国』(樋口毅宏), 作家別(は行), 書評(ま行), 樋口毅宏
『民宿雪国』樋口 毅宏 祥伝社文庫 2013年10月20日初版
『さらば雑司ヶ谷』なら随分前に読んでいたのですが、同じ作家だと気付かずにこの本を買いました。「小説界が驚倒した空前絶後、衝撃の大傑作」というふれこみに、評判の新人作家さんかな、などと阿呆なことを思っていました。
それにしても雰囲気がまるで違うし、表紙も何だか日本情緒あふれた岸辺の雪景色だし、おまけにタイトルが『民宿雪国』ですもの。樋口毅宏という人はこんなのも書くんだ、というのが最初の印象でした。読んだら、もっとびっくりしましたけどね。
実はデビュー作の『さらば雑司ヶ谷』より前に、既にこの小説は完成していたらしいのですが、出版できない事情があったようです。その事情とは、小説を読み進めて行けば分かるのですが、所謂「在日」に関わる問題です。従来からの朝鮮人と日本人の差別的な関係性を助長するのではないか、という批判を危惧した出版社が刊行を見合せていたらしいのです。
本の最後に著者と作家・梁石日(ヤン・ソギル)の対談があったり、わざわざ「あとがき」を加えたのも、作品の意図を正しく伝えるためのもので、これだけでも通り一遍ではないことがお分かりいただけると思います。
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97歳で亡くなった画家・丹生雄武郎(にうゆうぶろう)という、何とも読みづらい名前の男性がこの小説の主人公です。丹生雄武郎は、かなり高齢になってから日本を代表するような画家になるのですが、一方では寂れた「民宿雪国」の主でもありました。
画家としての名声は、雄武郎の生涯に隠された多くの謎を炙り出す結果にもなります。その実像は、公けになっている経歴とは似ても似つかないもので、彼の正体は比類のない殺人狂だったのです。「民宿雪国」は雄武郎にとって刑場であり、人知れず幾人もの人間を殺す傍らで、静々と絵を描く日々を送っていたのでした。
雄武郎の死後、矢島博美なる人物によってその数奇に彩られた人生が明らかになります。
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舞台は新潟県T町、寂れた沿岸域に建つ「民宿雪国」。周辺には人通りもなく、目立つ建物もありません。鬱蒼と草木が茂る中庭、建物は老朽化しており、およそ流行っているようには見えません。吉良正和と名乗る男が、この民宿を訪れるところから物語は始まります。
吉良を出迎えた車椅子の男が、民宿の主・丹生雄武郎でした。この時民宿には、雄武郎の息子・公平の妻の慶子、いかにもヤクザ風の男が2人と連れの女が1人。更に押入れの中には猿轡をかまされ手足を縛られた警官が1人、計7人の人間がいます。
巡回に来たもう1人の警官を加えた8人の登場人物の内、何と7人までが第一章で一気に殺されてしまいます。犯人は敢えて言わないでおきますが、話のスピーディーな展開、しかも予想を覆して二転三転する状況に、最初から読み手は度肝を抜かれます。
いきなり大量殺戮のシーンで始まるわけですが、この事件は以後に語られる真に残虐非道、狂気としか言い様のない地獄絵のほんの導入部にしか過ぎないのです。
戦前から戦後に至る混沌とした社会の中、異国との軋轢や人種間に蔓延る根強い差別意識といったテーマを孕みながら、次々と「殺すために人を殺した」丹生雄武郎という人物の屈折した過去が克明に描かれて行きます。
一方では「人格者」、その実「極悪非道な殺人狂」。正反対の人格を持つ丹生雄武郎の実像を明らかにする過程では、雄武郎に関わった人々が様々な雄武郎像を語るのですが、これが虚実綯い交ぜのストーリーで思わずクスッと笑えたりします。
C・M氏は、かつて「民宿雪国」で働いていた一人です。雄武郎は彼の祖父にあたります。鍼灸師の免許を持ったC・M氏は、雄武郎に感化されて東京でヨーガを習い、鍼灸院を開業後に改名してある教団を作ります。教団の名前は丹生雄武郎の「雄武」の読み方を変えたもの・・・、これ、誰のことか分かりますよね。
こんな仕掛けがあったり、あの裸の大将・山下清画伯が「民宿雪国」に逗留したりと奇想天外な展開にもかかわらず、すんなり読めてしまうのも大きな魅力です。
それと、矢島博美が丹生雄武郎の画家としての資質に疑問を呈して、彼の画質、絵のタイトル、彼のコメントなどを詳細に分析して、その全てが借り物でしかないことを暴くくだりがあります。ここは、樋口毅宏の博識と綿密な調査力に素直に脱帽するところです。
この本を読んでみてください係数 80/100
◆樋口 毅宏
1971年東京都豊島区雑司ヶ谷生まれ。
出版社勤務を経て、作家デビュー。
作品 「さらば雑司ヶ谷」「ルック・バック・イン・アンガー」「日本のセックス」「テロルのすべて」「雑司ヶ谷R.I.P.」「二十五の瞳」「タモリ論」など
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