『前世は兎』(吉村萬壱)_書評という名の読書感想文

『前世は兎』吉村 萬壱 集英社 2018年10月30日第一刷

前世は兎 (単行本)

7年余りを雌兎として生きた前世の記憶を持ち、常に交尾を欲し、数々の奇行に走る女。かつてつがいだった男と再会した女が遭遇した、恐ろしい出来事とは - (前世は兎)。36歳、休職中の独身女が日々 「ヌッセン総合カタログ」 を詳細に書き写す訳は、「スティレス」 を解消する為だった。同僚が次々と部屋を訪れ、職場復帰を促すのだが - (宗教) 破滅を迎えた世界で、国が開催するマラソン競技大会の選手に選ばれた姉。労働力として認められない者が手にできる唯一の栄誉だったが、選手村への出発を翌朝に控えた夜、姉がとった行動は・・・・・・(ランナー) ほか、全7話。(集英社)

宗教
36歳で独身。県立高校の公民科教員である栗原ゆき子にとって、まさしくそれは “宗教” であり、「ヌッセン総合カタログ」 こそ唯一無二の “教典” で、日ごと彼女は、写経ならぬ 「ヌッセンする」 事を務めとしています。

ヌッセン総合カタログの写し 第26回目の扉の言葉

【私は 「ヌッセン総合カタログ」 で商品を購入した事がありません。大型スーパーや専門店 (勿論 「ヌッセン総合カタログ」 が置かれている店に限ります) で、よく似た商品を見付けて購入し 「ヌッセン総合カタログ」 の商品名を振り当てていますが、本当はどれも別の商品なのです。つまり一種のゴッコ遊びに過ぎません。「ヌッセン総合カタログ」 を単なる商品カタログとして使用する事は、私にはとても出来ません。カタログ扱いするなど滅相もない事です。「ヌッセン総合カタログ」 はカタログではないからです。
本屋の 『聖書』 は有料ですが、「ヌッセン総合カタログ」 は無料です。
私は300頁近い 「ヌッセン総合カタログ」 を、何度も何度も克明に紙に写し取っています。この営みを 「ヌッセンする」 と言います。
毎日ヌッセンする事が私の務めです。
誰も理解しませんが、ヌッセンする事によってのみ私はキムチクなるのです。
頭の天辺から爪先まですーっとするのです。
スティレスが生まれると、私はいつでもどこでも服を脱いでしまいます。担任していたクラスで一人の女生徒が授業中にパンストを穿き替え始め、誰も私の授業を聴かずに弾けまくってしまったあの日に、初めて人前でそうしてしまったように。
裸足でスーパーに買い物に行ったり、半裸でアパートの庭に出てラジオ体操をして二つ隣の老夫婦に注意されたりといった事は、一時的にキムチクても結果として逆にスティレスになってしまう事は自分でも分かっています。だからこそ私は、一生懸命ヌッセンに励みます。スティレスとヌッセンとは互いに絡まり合っているのです。
スティレスなくしてヌッセンなし、ヌッセンなくして真のキムチさはございません。
私は何を言っているのでしょうか?
ところで人は何と言っても、「ああキムチカッタ」 と言いながら死んでいくべき存在ではないでしょうか? その方法は人それぞれで、強制されるのは真っ平です。何が般若心経や 『広辞苑』 を写せでしょうか。自分がなく、出来合いの権威に頼るしかない凡庸な精神に、ヌッセンする事のキムチさが分かろう筈もありませんが、私を邪魔する権利もありません。心配する振りをして訪ねてくる同僚にもうんざりです。
どうかそっとしておいて下さいませんか? との願いを込めて、第26回目を奉納致します】

私はまず “スティレス” に、どハマりしてしまいました。「ストレス」 を敢えて 「スティレス」 と発語する彼女の拘りに、謂れのない周囲からの中傷をものともしない強靭な反骨心をみたような - 、そんな思いになりました。

彼女は、決して世間と迎合しません。時に迎合しようとする自分を極度に嫌っています。それがための “スティレス” は半端なく、他に解消する手立てがなく、ところかまわず彼女は全裸になります。

全裸になるとキムチク(気持ちよく) なり、スティレスは一旦解消します。しかしそれは如何にも無謀な方法で、一時的にはキムチクても結果としては更に強いスティレスを抱え込むことになり、だから彼女はよりヌッセンに励もうとします。

そして彼女は、タダの宣伝用の雑誌 「ヌッセン総合カタログ」 から、なんと人の生きざまさえも学び取ります。彼女が言うように、人がどんな時にキムチクなるかはそれぞれで、死ぬとき人は等しく 「ああキムチカッタ」 と言いながら死にたい - 望みは何かと問われて、なかなかに、これ以上の答えは浮かばないはずです。

[収録作品]
1.前世は兎
2.夢をクウバク
3.宗教
4.沼
5.梅核
6.真空土練機
7.ランナー

この本を読んでみてください係数 85/100

前世は兎 (単行本)

◆吉村 萬壱(本名:吉村浩一)
1961年愛媛県松山市生まれ。大阪府大阪市・枚方市育ち。
京都教育大学教育学部第一社会科学科卒業。

作品 「ハリガネムシ」「クチュクチュバーン」「バースト・ゾーン」「ヤイトスエッド」「独居45」「ボラード病」「臣女」「回遊人」他

関連記事

『最後の記憶 〈新装版〉』(望月諒子)_書評という名の読書感想文

『最後の記憶 〈新装版〉』望月 諒子 徳間文庫 2023年2月15日初刷 本当に怖

記事を読む

『小説 ドラマ恐怖新聞』(原作:つのだじろう 脚本:高山直也 シリーズ構成:乙一 ノベライズ:八坂圭)_書評という名の読書感想文

『小説 ドラマ恐怖新聞』原作:つのだじろう 脚本:高山直也 シリーズ構成:乙一 ノベライズ:八坂圭

記事を読む

『小説 シライサン』(乙一)_目隠村の死者は甦る

『小説 シライサン』乙一 角川文庫 2019年11月25日初版 小説 シライサン (角川文庫

記事を読む

『Iの悲劇』(米澤穂信)_書評という名の読書感想文

『Iの悲劇』米澤 穂信 文藝春秋 2019年9月25日第1刷 Iの悲劇 序章 Iの悲劇

記事を読む

『鯖』(赤松利市)_書評という名の読書感想文

『鯖』赤松 利市 徳間書店 2018年7月31日初刷 鯖 (文芸書) 読めば、地獄。狂気

記事を読む

『テティスの逆鱗』(唯川恵)_書評という名の読書感想文

『テティスの逆鱗』唯川 恵 文春文庫 2014年2月10日第一刷 テティスの逆鱗 (文春文庫)

記事を読む

『橋を渡る』(吉田修一)_書評という名の読書感想文

『橋を渡る』吉田 修一 文春文庫 2019年2月10日第一刷 橋を渡る (文春文庫)

記事を読む

『朽ちないサクラ』(柚月裕子)_書評という名の読書感想文

『朽ちないサクラ』柚月 裕子 徳間文庫 2019年5月31日第7刷 朽ちないサクラ (徳間文

記事を読む

『笹の舟で海をわたる』(角田光代)_書評という名の読書感想文

『笹の舟で海をわたる』角田 光代 毎日新聞社 2014年9月15日第一刷 笹の舟で海をわたる

記事を読む

『蝶々の纏足・風葬の教室』(山田詠美)_書評という名の読書感想文

『蝶々の纏足・風葬の教室』山田 詠美 新潮社 1997年3月1日発行 蝶々の纏足・風葬の教室

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

『メタボラ』(桐野夏生)_書評という名の読書感想文

『メタボラ』桐野 夏生 文春文庫 2023年3月10日新装版第1刷

『遠巷説百物語』(京極夏彦)_書評という名の読書感想文

『遠巷説百物語』京極 夏彦 角川文庫 2023年2月25日初版発行

『最後の記憶 〈新装版〉』(望月諒子)_書評という名の読書感想文

『最後の記憶 〈新装版〉』望月 諒子 徳間文庫 2023年2月15日

『しろがねの葉』(千早茜)_書評という名の読書感想文

『しろがねの葉』千早 茜 新潮社 2023年1月25日3刷

『今夜は眠れない』(宮部みゆき)_書評という名の読書感想文

『今夜は眠れない』宮部 みゆき 角川文庫 2022年10月30日57

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑