『誰かが足りない』(宮下奈都)_書評という名の読書感想文
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最終更新日:2017/12/07
『誰かが足りない』(宮下奈都), 作家別(ま行), 宮下奈都, 書評(た行)
『誰かが足りない』宮下 奈都 双葉文庫 2014年10月19日第一刷
優しい小説です。優しくて、しかも前向きな小説を読んでみました。本屋大賞にノミネートされたのが分かる気がします。ときにはこんな話に触れて、心のなかを洗濯したみたいになるのは悪いことではありません。気分転換にはもってこいの一冊です。
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鈍色に変化した煉瓦造りの古い一軒家、屋根に蔦を這わせて建っている小さなレストラン。店の名前は「ハライ」。隅々にまで気を配られており、すべてが親しげに感じられる、初めて来たのに懐かしい、「ハライ」はそんなレストランです。
予約を取るのも難しい店ですが、テーブルを見渡すと、不自然な空席があります。すでにテーブルに着いている人の向かいに誰もいないのです。予約で埋まっているはずの席が、ぽつんと空いているのです。
誰かが足りないのです。
それが誰なのかは分かりません。ずっと誰かを待っていることだけは分かっているのに。
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この小説は、同じ時に「ハライ」の客となった人々の、来店に至るまでのエピソードが綴られた6つの短編で構成されています。
《予約 1》原田は大学を出た後も故郷へ戻らず、この町で働いています。望んだ仕事ではありません。19の頃から付き合っていた恋人の未果子は、別の男と結婚しました。
《予約 2》「最近、どんなニュースがありましたか?」と聞かれるのが、不愉快です。おとうさんは75歳で亡くなったらしい。あの人、夫-頭の中で単語がうまく結びつかない。
《予約 3》女の私ひとりが係長になった。「要するに尻拭い要員」だと笑われる。幼なじみのヨッちゃんと偶然コンビニで出会ったのは、嫌々会社へ行こうとしていた時でした。
《予約 4》僕はビデオカメラがないと人前に出られません。人とも上手く話せないのです。カメラを回していれば、いつか閉ざされた日々の変わり目が映ると信じているのです。
《予約 5》ホテルのブッフェレストランのオムレツ係、それが俺だ。彼女を見た時に、黄色い信号が緑に変わった。進んでもいいと言われた感じがしたのです。
《予約 6》酸っぱさと、焦げ臭さと、ほんの少しの甘さが混じったような匂い。それは「失敗の匂い」で、私にはその匂いが分かってしまうのです。
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物語の主役たちはみな、何がしか足りないものを抱えながら毎日を生きている人たちです。その気持ちを哀しむのではなく、足りない何かを待つことは、もしかしたらしあわせなことかも知れませんよというメッセージを、宮下奈都はこの本で伝えようとしています。
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個人的には《予約 2》と《予約 3》が印象に残ります。
《予約 2》は認知症初期のおばあちゃんの話ですが、身につまされて切実です。おばあちゃんが迷い込んでいる記憶の世界と、ある瞬間スイッチが切り替わって現実の世界へ戻る混濁した様子が実にリアルです。
《予約 3》は、これだけで十分一冊の本になるような話だと思います。彼女の係長としての奮闘ぶりや荒んだヨッちゃんの過去をもっと詳しく知りたいし、二人の今後も気になります。最も情景が目に浮かぶ話です。
思うのは、(良い意味で)毒のない話を書くのは大変で、難しいだろうなということです。ちょっと手を抜けば間の抜けたありていな話になってしまうし、少ない枚数の中に惹き入れるだけのストーリーをぎゅっと詰め込む作業は、高度な技術が必要です。
しかも異なる6つの物語を並行して考えないといけないし、最後をきっちり纏め上げるための布石が要るわけです。キルケゴールの『死に至る病』が出てきたのには正直驚きました。死に至る病=絶望ですか。うーん、こっちが先に著者の頭のなかにあったのかなぁ。
それはそれとして、予約をした10月31日の午後6時。物語の主役たちは、それぞれの思いを胸に、人気のレストラン「ハライ」にやって来るのでした。
この本を読んでみてください係数 80/100
◆宮下 奈都
1967年福井県生まれ。
上智大学文学部哲学科卒業。
作品 「静かな雨」「スコーレNO.4」「遠くの声に耳を澄ませて」「太陽のパスタ・豆のスープ」「メロディ・フェア」「田舎の紳士服店のモデルの妻」「ふたつのしるし」他
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