『赤目四十八瀧心中未遂』(車谷長吉)_書評という名の読書感想文
公開日:
:
最終更新日:2024/01/14
『赤目四十八瀧心中未遂』(車谷長吉), 書評(あ行)
『赤目四十八瀧心中未遂』車谷 長吉 文芸春秋 1998年1月10日第一刷
時々この人の本を読みたくなるときがあります。理由は自分でもよく分かりませんが、三割くらいはたぶん名前のせいです。車谷長吉、何と時代がかった名前なことか。
文章を読めばさらに時代は混沌として、随分昔の話かと思えばそうでもない。結構今風なことも書いてあるのです。調べてみれば当たり前で、車谷長吉がこの小説で直木賞を受賞したのが1998年、翌年1月の受賞者は宮部みゆき、その次は桐野夏生なのです。二人とも現役バリバリの作家です。多少年上ではありますが、車谷長吉は現代の人なのです。
しかし一風変わった、今の時代には珍しい人種なのは間違いありません。小説の主人公・生島与一は限りなく本人に近い人物ですが、何とも頑なで喰えない男です。強烈なプライドの裏返しで、敢えて普通の暮らしを避け、自ら身を持ち崩すことを善しとしています。
会社勤めも長続きせず、流浪の果てに行き着いたのが尼ヶ崎。阪神電車出屋敷駅近くのアパートで、焼肉屋で使うモツ肉や鳥肉の串刺しをして糊口を凌いでいます。テレビもない四畳半の一室で、与一はひたすら牛や豚の臓物を捌いて、肉塊を串に刺し続けるのです。
アマ(尼ヶ崎の通称)の裏社会に生きる、如何にも不穏な登場人物を紹介します。まず、与一が雇われた焼肉屋の女店主・セイ子。セイ子の人生も波乱万丈、ただのホルモン焼屋
の主ではありません。はっきりとは書かれていませんが、カタギでないのは確かです。
与一と同じアパートの住人・刺青師の彫眉と彫眉の女・アヤ子。セイ子が与一にアドバイスしたこと・・、彫眉は恐い男、常々気を付けろ。アヤ子には近づくな、絶対に近づいてはいけない。アヤ子の兄はヤクザで、毎日与一に肉を運んでくるのが、さいちゃん。
与一の部屋は二階の一番奥、向かいの部屋は彫眉の仕事部屋、刺青を入れに来た客の低く呻く声が始終聞こえます。彫眉の住まいは階下の部屋、アヤ子と晋平という子供が一緒です。与一の隣の部屋は売春部屋。得体の知れない連中に囲まれて、与一は暮らしています。
世捨て人の与一にとって、一日中肉を串に刺すだけの単調な仕事は性に合っていました。他人と係わる必要がない、それが何よりありがたいことでした。将来に確たるものはありませんが、自分がいずれ適当な時期にアマを去ることを予感しつつ毎日を送っています。大学出のインテリですが、今の与一は無能にしがみついて生きています。
そんな与一ですが、行きがかり上どうしても関わりにならざるを得ない事態が起こります。セイ子には危ない金の運び屋まがいの仕事を頼まれ、彫眉には中身の知れない紙包みの箱を預かってくれと頼まれたりします。
・・・・・・・・・・
与一の知らないところで何かが密かに進行していました。だし抜けに二階へ上がってきたアヤ子は、烈しく与一を求めます。いつかこうなることを予感し、期待もしていた与一ですが、セイ子の強い言付けを容易く破った自分に慄いてもいます。アヤ子の死物狂いの愛撫は心に絶望を抱いた人の息遣いで、与一はただならぬ気配を感じ取っています。
アヤ子の背中一面には極彩色の「鳳凰」が翼を広げています。実は鳳凰ではなく、極楽にいる鳥「迦陵頻伽」、顔が人間、躰と羽が鳥で佛の声で歌うという鳥なのですが、アヤ子が彫眉の懇願に負けて彫られたものでした。彫眉にとってアヤ子は佛の鳥、「迦陵頻伽」でした。
「生島さん。うちを連れて逃げて。」・・・「この世の外へ。」
与一は既にセイ子から串刺しの仕事を辞めるように言われた後でしたし、アヤ子の切迫した事情も薄々ながら察することができます。与一に断る理由はありません。互いに行き場を失くした二人は、町を彷徨い躰を重ねます。二人は、死に場所を探しています。
天王寺駅の壁に貼られた観光ポスターを見て、アヤ子は赤目四十八瀧へ行こうと言います。与一には、死ぬ理由はありません。しかし、もはや生きている理由もないのでした。
翌日、二人は駅で待ち合わせると環状線で鶴橋駅へ向かい、近鉄鶴橋駅から赤目口を目指すのでした。
・・・・・・・・・・
読み始めはいつの時代の話だろうと思うくらい文章が古めかしくて、少し抵抗があるかも知れません。しかし、それもすぐに何とも無くなります。というか、物語の面白さに惹き込まれて、文章の堅さなど忘れてしまいます。
社会の裏側、ドロドロの底辺で生きる妖しい人物を描いているのですが、小説には真っ直ぐでしかも質の良い人生観が含まれています。特筆すべきは、焼肉屋のセイ子と「腐れ金玉が歌歌う」(作中文)くらい艶めかしいアイ子です。書き切れなかった二人の素性を、ぜひ本編で確かめてください。
この本を読んでみてください係数 85/100
◆車谷 長吉
1945年兵庫県飾磨市(現・姫路市飾磨区)生まれ。本名は、車谷嘉彦。
慶應義塾大学文学部独文科卒業。
作品 「鹽壺の匙」「漂流物」「白痴群」「文士の魂」「銭金について」「贋世捨て人」他多数
関連記事
-
『インドラネット』(桐野夏生)_書評という名の読書感想文
『インドラネット』桐野 夏生 角川文庫 2024年7月25日 初版発行 闇のその奥へと誘う
-
『えんじ色心中』(真梨幸子)_書評という名の読書感想文
『えんじ色心中』真梨 幸子 講談社文庫 2014年9月12日第一刷 ライターの収入だけでは満足
-
『朝が来るまでそばにいる』(彩瀬まる)_書評という名の読書感想文
『朝が来るまでそばにいる』彩瀬 まる 新潮文庫 2019年9月1日発行 火葬したは
-
『うつくしい人』(西加奈子)_書評という名の読書感想文
『うつくしい人』西 加奈子 幻冬舎文庫 2011年8月5日初版 他人の目を気にして、びくびくと
-
『あちらにいる鬼』(井上荒野)_書評という名の読書感想文
『あちらにいる鬼』井上 荒野 朝日新聞出版 2019年2月28日第1刷 小説家の父
-
『王とサーカス』(米澤穂信)_書評という名の読書感想文
『王とサーカス』米澤 穂信 創元推理文庫 2018年8月31日初版 2001年、新聞社を辞めたばか
-
『沈黙の町で』(奥田英朗)_書評という名の読書感想文
『沈黙の町で』奥田 英朗 朝日新聞出版 2013年2月28日第一刷 川崎市の多摩川河川敷で、
-
『愛と人生』(滝口悠生)_書評という名の読書感想文
『愛と人生』滝口 悠生 講談社文庫 2018年12月14日第一刷 「男はつらいよ」
-
『アトムの心臓 「ディア・ファミリー」 23年間の記録』(清武英利)_書評という名の読書感想文
『アトムの心臓 「ディア・ファミリー」 23年間の記録』清武 英利 文春文庫 2024年4月10日
-
『犬』(赤松利市)_第22回大藪春彦賞受賞作
『犬』赤松 利市 徳間書店 2019年9月30日初刷 大阪でニューハーフ店 「さく