『ギブ・ミー・ア・チャンス』(荻原浩)_書評という名の読書感想文
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『ギブ・ミー・ア・チャンス』(荻原浩), 作家別(あ行), 書評(か行), 荻原浩
『ギブ・ミー・ア・チャンス』荻原 浩 文春文庫 2018年10月10日第1刷
若年性アルツハイマーにかかった中年男性とその妻の日々が感動を呼んだ 『明日の記憶』、クレーム係への左遷されたサラリーマンの奮闘ぶりが、口コミで話題となった 『神様からひと言』、東北の古民家へと移住した一家の再生を感動と笑いを交えて描く 『愛しの座敷わらし』 など、人生のターニングポイントを迎えた人々の悲喜こもごもを、見事に掬いあげる名手、荻原浩が描く、「仕事」 と 「再チャレンジ」 をテーマにした短編集。全八編。(文藝春秋)
ラインナップは、以下の通り。
尾行しても、すぐに気づかれてしまう残念な元相撲取りの探偵 「探偵には向かない職業」
営業のドサ回りをする売れない演歌歌手の本当の夢 「冬燕ひとり旅」
超人気連載マンガのアシスタントを務めながらも、連載終了におびえるマンガアシスタントの苦悩 「夜明けはスクリーントーンの彼方」
CAからグリーン車のキャビンアテンダントに転職した女性の奮闘 「アテンションプリーズ・ミー」
小柄ゆえ不人気ゆるキャラ 〈タケぴよ〉 の “中の人” に決まった若手公務員の 「タケぴよインサイドストーリー」
夫の殺害方法を考えながらミステリー新人賞に応募し続ける妻 「リリーベル殺人事件」
テレビに出る夢をかなえたい・・・・・・・こどもの頃を夢に突き進む元柔道少女 「押入れの国の王女様」
そして、
芸人を夢見るフリーターを描く表題作 「ギブ・ミー・ア・チャンス」
「あたためますか」
レジで商品をスキャンしながら俺が尋ねると、客はこう言った。
「アイスあっためてどうすんの」
遅すぎず早すぎない絶妙なツッコミに、俺はすかさずツッコミ返す。
「当たり棒、早く見たいでしょ」
客が顔の前で片手を振る。窓拭きをするように激しく。
「いやいやいや」
「あ、た、り、付、き」 俺はアイスキャンディーの包装紙にでかでかと書かれた文字を指でつついて読み上げる。それから上目づかいでにやりと笑った。「早く見たいんでしょ。これを買うお客さん、みんなそう。ソーダ味、誰も求めてない」客は、俺よりいくつか年下っぽい学生風。小太りで眼鏡をかけた気弱そうな男だ。
「そりゃまぁ、多少の期待はしてるけどさ」
「じゃあ、あたためましょ」
俺がアイスをレンジに突っこむしぐさをすると、客は止めようとして両手をあわあわ振りまわし、声を裏返す。
「いや、それ、違うだろ」そう、違う。
ここまでの会話は、すべて俺の脳内で行われたものだ。現実の客は、カゴをカウンターに置き、カウンターFFの保温機を指さして 「から揚げ」 と動詞も丁寧語も抜きで注文し、俺はカゴの中の商品を黙々とレジ袋に突っこんだだけだ。
アイスとから揚げを同じ袋に入れようとしたら、学生風が舌打ちをした。俺は最初からそうするつもりのふりをして、別のレジ袋を取り出す。アイスキャンディーを入れる時に、ぎゅっと握って真ん中あたりをへこましてやった。食べてる途中でぼとっと落ちるように。アイス食いの佳境に入った時に、致命的にぼとっと。
「ありあとざっした」 偉そうにしてんじゃねぇよ。どうせ親の仕送りで暮らしてるんだろ。
「またお越しください」 マニュアルどおりの挨拶をもごもご濁らせて 「股、お前、臭い」 と言ってやった。(本文より P317.318)
コンビニで働くアルバイト店員を甘く見てはいけません。仕事を辞めたり、また戻ったりを繰り返し、足かけ五年も働いているたぶん三十すぎの、ムダにイケメンの、いつもやつれた顔をした、人生の敗北者のような男性が、実は司法試験を目指していることだってなくはありません。
漫才で天下を取ろうと、ネタ作りのためにわざと暇な深夜のシフトに入り、客を相方に見立てては脳内でボケとツッコミを繰り返す、そんな店員がいるかもしれません。
彼らはまだ何者でもありません。しかし、いずれ司法試験に合格し、あるいは少ないチャンスをものして一躍人気者になる漫才師だってきっといるはずです。彼らが道半ばにして味わう悲喜こもごもを、どうか温かい目でもって見てやって下さい。
この本を読んでみてください係数 85/100
◆荻原 浩
1956年埼玉県大宮市生まれ。
成城大学経済学部卒業。
作品 「オロロ畑でつかまえて」「明日の記憶」「金魚姫」「誰にも書ける一冊の本」「砂の王国」「噂」「二千七百の夏と冬」「海の見える理髪店」他多数
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