『海の見える理髪店』(荻原浩)_書評という名の読書感想文
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最終更新日:2024/01/09
『海の見える理髪店』(荻原浩), 作家別(あ行), 書評(あ行), 荻原浩
『海の見える理髪店』荻原 浩 集英社文庫 2019年5月25日第1刷
第155回直木賞受賞作
伝えられなかった言葉。忘れられない後悔。もしも 「あの時」 に戻ることができたら・・・・・・・。母と娘、夫と妻、父と息子。近くて遠く、永遠のようで儚い家族の日々を描く6編。誰の人生にも必ず訪れる、喪失の痛みとその先に灯る小さな光が胸に沁みる家族小説集。(「BOOK」データベースより)
店主の腕に惚れた大物俳優や政財界の名士が通いつめた伝説の床屋。ある事情からその店に最初で最後の予約を入れた僕と店主との特別な時間が始まる 「海の見える理髪店」。
(美)意識を押しつける画家の母から必死に逃れて16年。理由あって懐かしい町に帰った私と母との思いもよらない再会を描く 「いつか来た道」。
仕事ばかりの夫と口うるさい義母に反発。子連れで実家に帰った祥子のもとに、その晩から不思議なメールが届き始める 「遠くから来た手紙」。
親の離婚で母の実家に連れられてきた茜は、家出をして海を目指す 「空は今日もスカイ」。
父の形見を修理するために足を運んだ時計屋で、忘れていた父との思い出の断片が次々によみがえる 「時のない時計」。
数年前に中学生の娘が急逝。悲嘆に暮れる日々を過ごしてきた夫婦が娘に代わり、成人式に替え玉出席しようと奮闘する 「成人式」。
人生の可笑しさと切なさが沁みる、大人のための “泣ける” 短編集。(アマゾン内容紹介より)
私の父は車の免許を持っていませんでした。取るぞ、取るぞといいながら、結局取らず仕舞いで死んでしまいました。子供の前でそんなことは言えなかったのでしょうが、ほんとうはお金がなかったのだと思います。
生涯車を運転することがなかった父は不運な人でした。父の最初の妻、つまりは私の母が、私を産んだ数年後に死んでからというもの、父の人生はそれどころではなくなったのですから。
父の二度目の妻、つまりは私の育ての母もまた不幸な人でした。母は初婚でした。そして、”癲癇持ち” だったのです。それが理由で “普通” の結婚ができずに、三人(私の上には姉が二人いました)の子持ちやもめのところに嫁ぐしかなかったのです。
母に幼い三人の子供を任せ、父がこれで定職に就けると思った矢先のことです。ある日、低い唸り声をあげながら、白目を剥いて、母は突然倒れたのでした。癲癇の発作を起こし、全身を痙攣させて横たわる母を、小さかった私はただ茫然と眺めていました。
年に二度か三度はそんなことがあり、家の状況はある意味父が再婚する前より悪くなってしまいました。三人の子供ばかりか、父は母も気にしなくてはならなくなったのですから。父は思うように仕事ができず、二人の姉は母を極力避けるようになります。
子供心に、私は父を怨み、母を疎ましく思いました。父には 「なぜこんな人と結婚したのか」 と。発作の時の母には、予兆があるにもかかわらず 「なぜ何でもないようなふりを通すのか」 と。見え透いたその何気なさが、理解できませんでした。
母が死んだ歳をとうに過ぎ、父が死んだ歳に近づいた今思うと、父には父の事情があり、母にもまた、母だけの事情があったのだと、やっと思えるようになりました。
大人になり、結婚してからはそれなりに孝行したつもりではありますが、父と母がどう思っていたかはわかりません。感謝の言葉を伝えるには母の死はあまりに突然で、父は倒れてから死ぬまでの長い間、既に意思疎通の叶わぬ人になっていました。
生きている間、何気ない日常を過ごしている時にこそ、それを伝える “価値” があるのだろうと。伝えられなかった言葉や忘れられない後悔は、結局自分が死ぬまで後を引くことになります。決して消えない、痛みだけが残ることになります。
この本を読んでみてください係数 85/100
◆荻原 浩
1956年埼玉県大宮市生まれ。
成城大学経済学部卒業。
作品 「オロロ畑でつかまえて」「明日の記憶」「金魚姫」「誰にも書ける一冊の本」「砂の王国」「噂」「ギブ・ミー・ア・チャンス」「二千七百の夏と冬」他多数
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