『農ガール、農ライフ』(垣谷美雨)_書評という名の読書感想文
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最終更新日:2024/01/09
『農ガール、農ライフ』(垣谷美雨), 作家別(か行), 垣谷美雨, 書評(な行)
『農ガール、農ライフ』垣谷 美雨 祥伝社文庫 2019年5月20日初版

大丈夫、まだ、笑える - 新しい自分に出会うRe:スタート! 職なし、家なし、彼氏なし - どん底女、農業始めました。一歩踏み出す勇気をくれる、再出発応援小説。
私の人生、私が耕します!
「結婚を考えている彼女ができたから、部屋を出て行ってくれ」 派遣切りに遭った日、32歳の水沢久美子は同棲相手から突然別れを切り出された。3年前、プロポーズを断ったのは自分だったのに。仕事と彼氏と家を失った久美子は、偶然目にした 「農業女子特集」 というTV番組に釘付けになった。自力で耕した畑から採れた作物で生きる同世代の輝く笑顔。- 農業 (これ) だ! さっそく田舎に引っ越し農業大学に入学、野菜作りのノウハウを習得した久美子は、希望に満ちた農村ライフが待っていると信じていたのだが・・・・・・・(祥伝社文庫)
1.二月中旬
今日、派遣切りに遭った。
吐く息が白い。
凍えるような夕暮れだった。
かじかむ手でバッグを持ち、水沢久美子は家路を急いでいた。こういったつらい日は、真っ先に篠山修の顔が思い浮かぶ。一刻も早く話を聞いてもらいたかった。
同棲してもう六年になる。独身主義というわけではなかったが、今さら結婚というのも面倒で、ずるずるとここまできてしまった。三十二歳になった今では、恋人というよりルームメイトといった感じだ。
修は家にいるだろうか。土曜日に仕事があるのは自分だけなので、今朝家を出るとき、修はまだ寝ていたのだった。玄関ロビーの集合郵便受けを開けると空っぽだった。ということは、修は昼間どこかへ出かけ、既に帰宅しているということだ。(後略)
エレベーターを待っていると、二基あるうちの一基のドアが開き、ベージュのコートを着た若い女性が降りてきた。うつむいた横顔がなにやら深刻そうだ。清楚な雰囲気を漂わせ、艶のある長い髪がきれいだった。
すれ違いざまにいい香りがした。
これはなんという香水だったか。グレープフルーツの香り・・・・・・・。匂いに釣られて振り返ると、揺れるコートの裾から膝丈のピンクのスカートがちらりと見えた。(本文より)
物語はこんな感じで始まっていきます。(いつも思うのですが、この人が書く小説の書き出しはとてもいい) 端的で読み易く、何気ない日常の一場面を切り取りながら、実は語ろうするものの “根幹” に関わる多くの情報がさらりと提示されています。
話の進展と並行して明かされていく事実と併せ、主人公である水沢久美子 (32歳) の現在状況はというと、以下のようになります。
かつて彼女は然るべき会社の正社員として働いていました。ところがその会社が倒産し、再就職を目指すも正社員としての採用は何としても叶わず、止むに止まれず派遣会社に登録し、心ならずもいくつかの職場を転々として現在に至ります。
大学を卒業し就職した会社が倒産さえしなかったからと、折に触れ、彼女は考えざるを得ません。久美子は “仕事ができない” わけではありません。むしろ優秀でプライドがあり、それゆえ、なおさら今の自分の状況にひどく落ち込んでいるのでした。
篠山修とは同棲して六年になります。二人は大学の同級生で、もちろん特別な思いがあって一緒に暮らし始めたのですが、六年が経ち、二人の関係は微妙に変化しています。いつしか部屋は別々になり、互いが互いを、以前のようには意識しなくなっています。
修は、かつて一度だけ久美子にプロポーズしたことがあります。久美子が勤める会社が倒産した時のことです。そのとき久美子は、修からの申し出を即座に断ったのでした。
倒産して食べていけなくなったから結婚に逃げるなどとは、その頃の久美子にすれば女性の生き方として 「最も軽蔑すべき」 ものでした。挽回するチャンスはいくらでもある。彼女はそう考えていました。(後年、久美子はこれをひどく後悔することになります)
世の中悪い時には悪いことが重なるもので、派遣切りに遭い、しおたれてマンションに帰ってきたそのタイミングで、久美子は “更なる不幸の気配” を嗅ぎ取ったのでした。
エレベーターから降りた若い女性が放つ香水の、グレープフルーツのような香り。その香りが、修が待つ部屋のドアを開けた途端、再び匂ってきたのでした。久美子が 「職なし、家なし、彼氏なし」 の状態になったのは、その出来事からそう遠くない日のことでした。
かくなる上はと、彼女は “農業” で身を立てようと決意します。しかしながら、(当然のことながら) それは並大抵のことではありません。彼女は思いのほか長い戦いを強いられることになります。
この本を読んでみてください係数 85/100

◆垣谷 美雨
1959年兵庫県豊岡市生まれ。
明治大学文学部文学科フランス文学専攻卒業。
作品 「竜巻ガール」「ニュータウンは黄昏れて」「後悔病棟」「女たちの避難所」「老後の資金がありません」「夫の墓には入りません」他多数
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