『最後の命』(中村文則)_書評という名の読書感想文

公開日: : 最終更新日:2021/05/18 『最後の命』(中村文則), 中村文則, 作家別(な行), 書評(さ行)

『最後の命』中村 文則 講談社文庫 2010年7月15日第一刷


最後の命 (講談社文庫)

中村文則の小説はミステリーとしても読めるといった解説がありますが、私にはそれが随分無理をした解釈に思えてなりません。ミステリー仕立てではありますが、そもそもこの人の小説に謎解きを期待する読者などいません。

殺人者が誰かということも、さほど重要ではありません。謎めいた話を準備するのは、抽象的な心象をより具現化するための、それこそトリックと言っていいかも知れません。この人の小説は 「難解な哲学」 ですが、そう感じさせない著者ならではの方便ではないかと思います。

「お前に会っておきたい」- 冴木からの7年ぶりの連絡が、唐突に入ります。〈私〉 と冴木には、深く心に刻まれ、囚われ続けた遠い日の記憶がありました。その記憶を避けるように、長い間2人は出会うことなく時間が過ぎています。

帰宅したアパートの部屋で 〈私〉 が発見したのは、いつも指名していたデリヘル嬢のエリコの死体でした。部屋には物色された形跡があり、エリコの腹には精液が付着しています。容疑は当然 〈私〉 に向けられますが、〈私〉 にも何が起こったのかが分かりません。

部屋に残された指紋と血液型から判明した新たな容疑者は、つい最近7年ぶりに出会った幼なじみの冴木でした。冴木は既に、連続婦女暴行事件の容疑者として指名手配中の身です。事件の真相を知るべく、〈私〉 は冴木の居場所を探し始めます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

同じものを見て、同じ体験をし、互いに悩み苦しんだ過去の記憶。すべて共有していたはずなのに、その後に歩む人生は確実にズレて行きます。2人が再会したとき、〈私〉 は「不良品」 になり、冴木は 「犯罪者」 になっていました。

最初の出来事は、ホームレスの男による強姦事件でした。小学2年も終わろうとする頃、〈私〉 と冴木は、一人の女性が何人もの男に犯されている現場を目撃します。挙句に男たちに見つかって、押さえつけられ、助けを乞う女の体に触れと力ずくで強要されます。

2人の少年は、口封じのために強制的に 「共犯者」 にさせられたのでした。被害者のやっちりは、やたらと背が高いのに背筋は曲がり、鼻の下はいつも鼻水で固まっている、30代くらいの知的障害者でした。ぼんやりと座っていることが多く、時々小便の臭いがします。

2度目は中学2年の夏休み、強姦の現場だった工場の跡地へ行った時のことです。あの時と同じように、跡地に張られたビニールシートのテントの中から女の喘ぐ声が聞こえてきます。悲鳴が絶叫に変わり、2人にはあの日のやっちりに群がる男たちの映像が甦ります。

テントを覗くと、以前やっちりの腕を押さえていた男が低級なエロテープを聞きながら性器を握っています。男は興奮しながらも具合が悪そうで、死ぬ間際の様相です。この醜い生き物、醜い存在。〈私〉 は持っていた鉄の棒を、思わず振り下ろしそうになります。

最後の出来事は高校1年の秋、このとき2人は強姦の当事者と目撃者という立場で偶然出会うことになります。夜のランニングをしていた 〈私〉 は、コースにしている神社を過ぎた辺りで悲鳴を聞きます。それは微かですが、罵倒するような、女の悲鳴でした。

〈私〉 は、声のする方へ近づきます。やっちりの苦痛に満ちた表情が、目の前に浮かびます。〈私〉  はすぐに女性を助けなければならないと思い、男を止めるために叫びました。草むらの中に走り寄った  〈私〉  の前にいたのは、なんと、動きを失った冴木でした。

これらの偶然の出来事は、その後の  〈私〉  と冴木の心を拘束し滞留し続けることになります。〈私〉  は小学5年で精神科の治療を受け、高校2年で自律神経失調症と鬱病だと診断されます。大学時代に知り合った恋人の香里は、〈私〉  を  「不良品」  だと言いました。

〈私〉 が自らに問いかける疑問は厳しく、深刻です。ホームレスの男たちによる強姦を止められなかった自分は責められるべきか否か。低俗で醜く、自慰しながら死にゆく男を見殺しにしたのは倫理的に許されることなのか。そもそも、倫理とは何なのか?

暴力的な性欲を持つ人間とは何者で、自分にもその性向は内在しているのか。ならば、その原因は?  幾重にも連なる疑問を放置したまま生きることが 〈私〉 には出来ません。時折考えるのは、踏切の遮断機から身を乗り出して列車に向かって飛ぼうとするイメージです。

一方の冴木については、後段の 〈私〉 宛ての長いメールで詳細が語られるのですが、彼が悩んだのは自分の性癖でした。高校時代の未遂事件が示すように、「女を襲いたい」 という欲望の虜になり、抑制が効かない自分に絶望しています。

我を忘れていく感覚、性に自分を失う感覚がたまらく好きだと、冴木は言います。彼がこの端緒を掴んだのは、明らかに幼い日の出来事でした。醜く呻くやっちりに触れと男たちから言われた時の冴木は、恐怖とはうらはらに強く興奮していたのでした。

二人の呻吟は続きます。冴木の歪んだ性癖と 〈私〉  の潔癖症。元をたどれば過去の惨たらしい出来事に行き着くかと思いきや、彼らはさらにその先にあるものに目を向けます。それは、「必然性の彼方にある偶然」 とでも呼べばよいのでしょうか -

自分たちには元々その資質があったのではないか。事件に遭遇せずとも早晩同じ帰結を迎えたのではないかという思い。時を同じくして、二人は同じ思いに行き着きます。死と狂気を前にして、二人は罪の償い方を模索しています。

この本を読んでみてください係数 80/100


最後の命 (講談社文庫)

◆中村 文則
1977年愛知県東海市生まれ。
福島大学行政社会学部応用社会学科卒業。

作品 「銃」「遮光」「悪意の手記」「土の中の子供」「何もかも憂鬱な夜に」「世界の果て」「掏摸<スリ>」「悪と仮面のルール」「去年の冬、きみと別れ」他多数

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