『神様』(川上弘美)_書評という名の読書感想文
公開日:
:
最終更新日:2024/01/14
『神様』(川上弘美), 作家別(か行), 川上弘美, 書評(か行)
『神様』川上 弘美 中公文庫 2001年10月25日初版
なぜなんだろうと。なぜ私はこの人の小説を読みたいと思うのか。熱烈なファンかといえば、そんなわけでもありません。それでも、なぜか気になって手に取ってしまう理由が、自分でもよくわかりません。
まわりがいいと言うので、それに釣られてじゃあ読んでみようと半ば強迫的に読んでいるかといえば、そんなことでもなくて。読むと感じるものがあるから読みたくなるわけで、ではそれが何かと訊かれると、上手く説明はできません。
この人の小説が好きで、真正面から堂々と感想を述べておられるブロガーの皆さんを、私は心から尊敬しています。説得力のある書評を読むと、自分が愚かしく情けなくなります。
自分にはしかるべき感性がないんだろうと。そのうえ文章力もなく、どんなに感じていても、「どんなに」 だけでは誰にも何も伝わりません。わかってはもらえません。
小林秀雄は言いました。「考えていることを文章にする。もしもそれが上手く文章にならないとすれば、実は、それは “何も考えていない” ということである」 と。たぶん私は、読んだつもりでいるだけなのかもしれません。
表題の 「神様」 は、川上弘美のデビュー作です。あとがきにあるのですが、あるとき急に何か書きたいと思い立って、二時間くらいで一気に書き上げたのがこの作品だそうです。「書いている最中も子供らはみちみちと取りついてきて往生した」 と回想しています。
子供が 〈みちみち〉って・・・・・・・ 子供が纏わりついて煩わしいとき、一体誰が 「みちみちと取りついた」 などと表現します? というか、そもそもそんな言葉は思いつきもしません。
そういえば 『溺レる』 を読んだとき、歳の離れたメザキさんとサクラちゃんの、微妙な距離を保ったままの淡い恋愛事情を描いた短編がありました。二人は居酒屋を出た後、何とはなく帰りづらくて深夜の町を散歩していると、夜明け前に雨が降ってきます。
サクラちゃんは、おしっこがしたくて我慢できなくなります。暗闇と草むらに隠れているとは言え、メザキさんが近くにいるのに、お尻を出しておしっこをするのはとても勇気のいることです。サクラちゃんは、雨と一緒に葉を濡らすさやさやというおしっこの音を聞いています。
おしっこの音が 〈さやさや〉 。〈みちみち〉 に、〈さやさや〉。「神様」では、くまの足がアスファルトを踏む、かすかな音が 〈しゃりしゃり〉 。〈みちみち〉 に、〈さやさや〉、そして〈しゃりしゃり〉。
人間を散歩に誘うくらいですから、くまは大人で非常に礼儀正しく、さらには 「縁(えにし)」 を重んじる、昔気質のくまでした。礼節を尽くして、なおかつ主張すべきところは遠慮なく主張もするのですが、分をわきまえ、押しつけるようなところが一切ありません。
自分のことを、できれば漢字を頭でイメージして 「貴方(あなた)」 と呼んでくれるとうれしいと言います。別れ際には、「もし嫌でなければ、抱擁を交わしてもらえないか」 と要望したりもします。くまの間では、それが親しい人との別れの習慣だといいます。
『神様』は夢の話で、絵本作家の佐野洋子さんの解説によると、「川上さんは、どっかで、入口をみつけて平気でトコトコそこに行ける人なのだ」 と評しています。「好きなだけ遊んで、好きな時に帰って来る」 川上弘美とは、そんな作家だと。
夢の見方がハンパないので、細部までしっかり見ることができて、しかも自在にコントロールできてしまう人、そんな川上評がぴったりな作品が 『神様』だと思います。
〈みちみち〉 に 〈さやさや〉、〈しゃりしゃり〉 の先に広がる 〈夢の世界〉に、ふわりふわりと漂う心地よさを、存分に味わってください。
※表題作 「神様」 の他に、八編の夢物語が収められています。最終の「草上の昼食」では、「神様」のくまが再び登場します。彼(でよいと思います)は今の生活に見切りをつけて、故郷へ帰ると言います。しおどきだと言い、結局馴染めなかったんだろうと言います。あり得ない話ではありますが、ひょっとすると貴方は泣くかも知れません。
この本を読んでみてください係数 85/100
◆川上 弘美
1958年東京都生まれ。本名は山田弘美。
お茶の水女子大学理学部卒業。高校の生物科教員などを経て作家デビュー。俳人でもある。
作品 「溺レる」「蛇を踏む」「センセイの鞄」「真鶴」「風花」「これでよろしくて?」「パスタマシーンの幽霊」「どこから行っても遠い町」他多数
◇ブログランキング
関連記事
-
『幻年時代』(坂口恭平)_書評という名の読書感想文
『幻年時代』坂口 恭平 幻冬舎文庫 2016年12月10日初版 4才の春。電電公社の巨大団地を出て
-
『土に贖う』(河﨑秋子)_書評という名の読書感想文
『土に贖う』河﨑 秋子 集英社文庫 2022年11月25日第1刷 明治30年代札幌
-
『中尉』(古処誠二)_書評という名の読書感想文
『中尉』古処 誠二 角川文庫 2017年7月25日初版発行 敗戦間近のビルマ戦線に
-
『教場』(長岡弘樹)_書評という名の読書感想文
『教場』長岡 弘樹 小学館 2013年6月24日初版 この人の名前が広く知られるようになったのは
-
『二度のお別れ』(黒川博行)_書評という名の読書感想文
『二度のお別れ』黒川 博行 創元推理文庫 2003年9月26日初版 銀行襲撃は壮大なスケールの
-
『空港にて』(村上龍)_書評という名の読書感想文
『空港にて』村上 龍 文春文庫 2005年5月10日初版 ここには8つの短編が収められていま
-
『FLY,DADDY,FLY』(金城一紀)_書評という名の読書感想文
『FLY,DADDY,FLY』金城 一紀 講談社 2003年1月31日第一刷 知ってる人は知
-
『KAMINARI』(最東対地)_書評という名の読書感想文
『KAMINARI』最東 対地 光文社文庫 2020年8月20日初版 どうして追い
-
『漂砂のうたう』(木内昇)_書評という名の読書感想文
『漂砂のうたう』木内 昇 集英社文庫 2015年6月6日 第2刷 第144回 直木賞受賞作
-
『草祭』(恒川光太郎)_書評という名の読書感想文
『草祭』恒川 光太郎 新潮文庫 2011年5月1日 発行 たとえば、苔むして古びた