『悪寒』(伊岡瞬)_啓文堂書店文庫大賞ほか全国書店で続々第1位

『悪寒』伊岡 瞬 集英社文庫 2019年10月22日第6刷

悪寒 (集英社文庫)

男は愚かである。
ある登場人物の言葉を借りれば
中年男の鈍感さは、それだけで犯罪なのかもしれない。伊岡瞬悪寒を再読して最初に浮かんだのは、そんな思いであった。まことに男は愚かである。気をつけなければ。

主人公の藤井賢一は四十二歳の会社員である。第一部の1に描かれるいくつかの場面だけで、彼が失意の生活を送っていることがすぐにわかる。彼がいるのは山形県酒田市で、支店長代理という肩書で置き薬の営業をする部署に属している。飛び込み営業に明け暮れる毎日だが、なかなか成果を出すことができない。それも当然で、賢一は生粋の営業社員ではなく、東京の本社から系列会社のその部署に飛ばされてきたのだ。

賢一がこんな境遇に甘んじているのは、お察しの通り、本社在籍時にあることが起きたからだ。それが何かを明かす前に、作者はさらなる辛い状況を重ねてくる。不本意な転勤を強いられた賢一は単身赴任の身の上である。妻の倫子からは出費が嵩むので毎月戻ってこなくていいと言われ、しかもようやく年末年始に帰ったら夫婦の営みまで拒絶される。辛い節約をしているのは娘の高校進学費用を捻出するためなのに、その香純からも 「電話でも話したくないので、用事のあるときはメールにしてくれ」 と国交断絶を突きつけられる。

四面楚歌とはこのことだ。そんなときに賢一は部下の若い女性に優しくされ、つい一緒に食事に行く約束をしてしまう。大丈夫か、自暴自棄になってないか、と読者が心配になったところで、ついにあることが起きてしまうのだ。

実は、ここからがミステリーとしての本番である。帯や裏表紙にもちょっと詳しいあらすじ紹介があるかもしれないが、できればいったん頭から消去していただきたい。その方が絶対に楽しめるからだ。この世界のどこにも居場所のない藤井賢一、これより下なんてないだろうというぐらいのどん底にいる中年男が、さらなる不幸に見舞われ、お先真っ暗な混乱の中に巻き込まれる。そのはらはら感覚をぜひ彼と共有してみてもらいたい。これぞサスペンスである。(以下略/杉江松恋の解説より)

藤井賢一が勤務している 「東北誠南医薬品販売」 - 略して 「東誠薬品」 - は、仙台市に本部を置き、いわゆる置き薬販売を生業にしています。家庭常備薬といわれる基本的なセットを、箱ごと家庭や事務所に置かせてもらい、月に一度訪問チェックして、使った分だけ代金を回収するというシステムです。

この東誠薬品は、ほんの八ヶ月前まで賢一が籍を置いていた、大手製薬会社 「誠南メディシン」 の系列会社ではあるものの、実際には直接の資本は入っておらず、いわば “孫会社” にあたります。

賢一が行けと命じられたのは、仙台の本部や山形市の総支社ならともかくも、たんに一営業所でしかない酒田支店の、”支店長代理” としてでした。支店長代理とは名ばかりで、賢一の仕事は (平社員と同じ) 外回りの営業で、彼は何程の成果も挙げらずにいるのでした。

※決して口には出せない中で、賢一にとって唯一の希望は “一日も早い前職への復帰” でした。ところが、あまりに愚直で優柔不断に過ぎる賢一は、遠く離れた家族にまで冷たくあしらわれ、どこにも居場所がないところまで追い詰められることになります。

何故、妻の倫子は自分を避けるのか。娘の香純も同様に、何故口をきかなくなったのか。その理由が、賢一には皆目見当が付きません。実は、賢一は知らない、気づきもしないことが山ほどあります。

(杉江氏には叱られますが、ちょこっとだけあらすじの続きを)

大手製薬会社社員の藤井賢一は、不祥事の責任を取らされ、山形の系列会社に飛ばされる。鬱屈した日々を送る中、東京で娘と母と暮らす妻の倫子から届いたのは、一通の不可解なメール。〈家の中でトラブルがありました〉 数時間後、倫子を傷害致死容疑で逮捕したと警察から知らせが入る。殺した相手は、本社の常務だった - 。単身赴任中に一体何が? 絶望の果ての真相が胸に迫る、渾身の長編ミステリ。(集英社文庫)

この本を読んでみてください係数 85/100

悪寒 (集英社文庫)

◆伊岡 瞬
1960年東京都武蔵野市生まれ。
日本大学法学部卒業。

作品 「いつか、虹の向こうへ」「代償」「もしも俺たちが天使なら」「痣」「本性」「冷たい檻」など

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