『ダブル』(永井するみ)_極上のサスペンスは日常から生まれる

公開日: : 最終更新日:2024/01/08 『ダブル』(永井するみ), 作家別(な行), 書評(た行), 永井するみ

『ダブル』永井 するみ 双葉文庫 2020年2月15日第1刷

被害者女性の特異な容貌から世間の注目を浴びた轢き逃げ事件、痴漢の容疑をかけられた男性の転落死、老人が飲んだ薬物入り缶コーヒー騒動。同じ地域で起こったそれらの未解決事件には、ある人物の姿が見え隠れしていた。謎を追う女性ライター・相馬多恵は次第にその人物に魅入られていく。彼女が辿り着いた真相とは!? (双葉文庫)

ベッドに寝そべったまま、お腹がすいた、と乃々香は呟く。
元気が出ないのは、疲れた上に空腹のせいに違いない。キッチンに行って、何か作ろう。そう思うのだが、なかなか立ち上がれない。乃々香は腕を伸ばして、ベッドの傍らの引き出しを開けた。中には読みさしの本や爪切り、アロマオイル、タオルなどの小物が入っている。本を手に取って広げる。栞代わりにしているのは、新聞記事の切り抜きである。

女性がトラックにはねられ死亡
××日午後10時ごろ、江戸川区中葛西の環状7号線で、鉤沼いづるさん
28が大型トラックにはねられ死亡した。調べに対しトラック運転手は、女性が突然、道路に飛び出してきたと供述している。警察は事故と事件の両面で調査をしている。

乃々香はこの記事を何度も読み返す。疲れたとき、気分が鬱々としたとき、不安に襲われたとき。短い文面を舐めるように読む。読むたび、元気が湧いてくる。疲れが癒される。乃々香にとっての活力剤である。
・・・・・・・
哲の妻となり、半年後には出産して母になる。つまり、乃々香も母のように頼られたときに応えられる人間にならなければいけないということだ。控えめではあるけれど、いざというときにはみんなを支える、家族の要として生きていきたい。

携帯電話をテーブルに置き、寝室に向かった。ベッドの傍らの小引き出しを開けて中から新聞記事の切り抜きを取り出す。

駅の階段で転落死
××日午前11時ごろ、東京メトロ東西線の葛西駅博物館口の階段付近に男性が倒れているのを、付近を通りかかった人が発見した。男性は搬送先の病院で死亡が確認された。亡くなったのは、会社員、森良和さん
40。階段からの転落死と見られ、事件と事故の両面で調査中である。

読み終わった乃々香は、小さく満足の声を漏らす。気分が軽くなった。けれど、軽くなったのは、あくまでもほんの少しである。まだ足りない。もっと元気になれるものがほしい。
・・・・・・・
その如才なさは、杏子の機嫌の良さの表れのようだった。そして杏子の機嫌の良さは、乃々香の不機嫌さに通じる。

「じゃあ、また」 と言って電話を切り、多恵はすぐに乃々香の電話番号をプッシュしようとしたが、清里に邪魔をされた。アルバイトの女性が整理した新聞の切り抜きを持ってくると、見ろよ、と押しつけてきたのだ。

「またもや、葛西の事件だよ。今回は死んでないけど、ちょっと気になる話ではある。調べてまとめてみたらどうだ? 」 葛西と聞いて思わず目をやる。

独居老人宅に薬物入り缶コーヒー
××日午前11時ごろ、江戸川区中葛西に住む田村湯一さん
77 が玄関付近に倒れているのを、近くを通りかかった宅配便配達員が発見し、119番通報した。田村さんは救急車で運ばれ、現在入院中である。ふたが開いた状態で玄関わきに置かれていた缶コーヒーを飲んだところ、吐き気に襲われたという。その後の調べで、薬物が混入していたことが分かった。缶コーヒーが田村さん宅に置かれた経緯については、現在捜査中である。

乃々香と同じマンションに住む主婦は饒舌だった。その大半は多恵にとってはどうでもいい話だったが、ひとつだけ興味を惹かれた話題があった。

乃々香のことだ。彼女は湯一のことを 「あのじいさん」 と呼び、「ああいう年寄りって、死んでくれるのを待つしかないんでしょうかね」 と言ったという。おっとりとしてお嬢さんのような乃々香が、平然とした顔で、当たり前のように、そう言ったのだそうだ。

この本を読んでみてください係数 80/100

◆永井 するみ
1961年東京生まれ。
東京芸術大学音楽学部中退、北海道大学農学部卒業。2010年9月3日、死去。

作品 「マリーゴールド」「枯れ蔵」「隣人」「ミレニアム」「義弟」他

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