『猫を棄てる』(村上春樹)_父親について語るとき

『猫を棄てる 父親について語るとき』村上 春樹 文藝春秋 2020年4月25日第1刷

時が忘れさせるものがあり、そして時が呼び起こすものがある

ある夏の日、僕は父親と一緒に猫を海岸に棄てに行った。歴史は過去のものではない。このことはいつか書かなくてはと、長いあいだ思っていた。

村上春樹が初めて自らのルーツを綴ったノンフィクション。中国で戦争を経験した父親の記憶を引き継いだ作家が父子の歴史と向き合う。(文藝春秋)

ほんの100ページ程の本である。しかしこれまで本人からは語られることのなかった、2008年に亡くなった父のことが綴られており、村上春樹の読者、とりわけ “村上主義者” には大きな意味を持つ一冊となるだろう。

これは、ウェブサイト 「ダ・ヴィンチニュース/読みたい本がここにある」 に掲載された 『村上春樹が 「父のこと」 を綴った最新作が、村上ファンにとって大きな意味を持つ理由とは? 』 と題する成田全氏の手になる書評の冒頭の文章です。

で、中の残り三分の一ほどを紹介したいと思います。

・・・・・・・ほんの100ページ程ではあるが、村上作品の萌芽の痕跡があちこちに見られるのだ。そしてその根底には 父と戦争と歴史 というテーマが大きく横たわっている。村上はあとがき小さな歴史のかけらでこう書いている。

歴史は過去のものではない。それは意識の内側で、あるいはまた無意識の内側で、温もりを持つ生きた血となって流れ、次の世代へと否応なく持ち運ばれていくものなのだ。そういう意味合いにおいて、ここに書かれているのは個人的な物語であると同時に、僕らの暮らす世界全体を作り上げている大きな物語の一部でもある。ごく微小な一部だが、それでもひとつのかけらであるという事実に間違いはない。

父の死の翌年、もしここに硬い大きな壁があり、そこにぶつかって割れる卵があったとしたら、私は常に卵の側に立ちますと語ったエルサレム賞の受賞スピーチで、村上は父について少しだけ話をしている。そこで語られたことが、ようやくひとつの物語として私たちの前に提示された。今この時代に、なぜ書かれたのか - その意味を考え、じっくりと思いを噛み締めたい小品である。(2020/04/23)

P52.私の一番印象に残った文章

いずれにせよその父の回想は、軍刀で人の首がはねられる残忍な光景は、言うまでもなく幼い僕の心に強烈に焼きつけられることになった。ひとつの情景として、更に言うならひとつの疑似体験として。言い換えれば、父の心に長いあいだ重くのしかかってきたものを - 現代の用語を借りればトラウマを - 息子である僕が部分的に継承したということになるだろう。人の心の繋がりというのはそういうものだし、また歴史というのもそういうものなのだ。その本質は 〈引き継ぎ〉 という行為、あるいは儀式の中にある。その内容がどのように不快な、目を背けたくなるようなことであれ、人はそれを自らの一部として引き受けなくてはならない。もしそうでなければ、歴史というものの意味がどこにあるのだろう?

なぜ (強く印象に残ったのか) と問われれば、そう思うに至る、私にも似た経験があるからです。それが私にとって何なのか、何を意味するのかを、ずっと考えていました。

できればなかったことにしたい。知らなければよかった。見なければよかった。誰しもが、そう思うことの一つや二つはきっとあるはずです。残念ながら、それはいくつになっても記憶の中から消えてはくれません。おそらく、私が今いる、それが一番の理由なのですから。

この本を読んでみてください係数 85/100

◆村上 春樹
1949年京都府京都市伏見区生まれ。
早稲田大学第一文学部演劇科卒業。

作品 「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」「1Q84」「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」「女のいない男たち」他多数

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