『樽とタタン』(中島京子)_書評という名の読書感想文

公開日: : 最終更新日:2024/01/08 『樽とタタン』(中島京子), 中島京子, 作家別(な行), 書評(た行)

『樽とタタン』中島 京子 新潮文庫 2020年9月1日発行

今から三十年以上前、小学校帰りに通った喫茶店。店の隅にはコーヒー豆の大樽があり、そこがわたしの特等席だった。常連客は、樽に座るわたしに 「タタン」 とあだ名を付けた老小説家、歌舞伎役者の卵、謎の生物学者に無口な学生とクセ者揃い。学校が苦手で友達もいなかった少女時代、大人に混ざって聞いた話には沢山の “本当” と “嘘” があって・・・・・・・懐かしさと温かな驚きに包まれる喫茶店物語。(新潮文庫)

連作小説集 『樽とタタン』 は、長じて小説家となった女性が記憶の海を泳ぎながら紡ぎだした九つの物語からなる。舞台は、三歳から十二歳まで九年間住んだ小さな町の、坂下にある小さな喫茶店。”たるとたたん” の響きは、もちろんあのすばらしきフランスの郷土菓子タルト・タタンを連想させて甘酸っぱい夢を誘うのだが、その細部には小説の企みがふんだんに仕掛けられている。そもそも 「タタン」 という愛称を少女に与えたのは白い髭をたくわえた常連客の老小説家だという時点で、現実と虚構の境界は滲み始めている。名付け親、つまりタタンの生みの親は言葉によって現実と虚構を自在にあつかう手練れの小説家なのだから (その意味において、『樽とタタン』 には都合三人の小説家の目が錯綜していることになる。三人目は、もちろん著者自身だ)。しかし、そんな緻密な企てなど感じさせず、著者である中島京子さんは喫茶店の扉の向こうへ読者をするりと、いとも楽しげに誘いこむ。一ページ、また一ページとめくるたび、当代きっての小説家が紡ぎ出す世界に身を委ねきる心地は掛け値なしにすばらしい。

『樽とタタン』 は、読むたびに深度が増してゆく物語だ。まず、赤い樽のなかに居場所を見つけた少女はいったい何を見聞きするのだろう、と息を詰めて事件の行方を追いかける。老小説家が戦後すぐカストリ雑誌に書いた小文 「羽咋直さんの一日」 の秘密 (「『はくい・なおさんの一日」) とか、赤い髪にサングラスをひっかけたラップワンピースの奇妙な女の正体 (「ずっと前からここにいる」) とか、歌舞伎役者の卵トミーの色恋沙汰 (「もう一度、愛してくれませんか」) とか、小さな喫茶店は劇場さながら。奇妙で不可思議な人間模様に引きこまれ、店の片隅に置かれた赤い樽の内側からおっかなびっくり外の世界を覗く少女と同じ目線になっている。そしていつのまにか、鼻の奥まったところにこの愛すべき喫茶店に流れるコーヒーの香りが棲むようになる。複雑で、人間味にあふれていて、孤独や寂しさを湛えた芳しい香り。(解説よりby平松洋子)

ところが、段々と話が進むにつれ、それが微妙に変化してゆきます。

第四話 「ぱっと消えてぴっと入る」 を境に、
第五話 「町内会の草野球チーム
第六話 「バヤイの孤独
第七話 「サンタ・クロースとしもやけ
第八話 「カニと怪獣と青い目のボール
最終話 「さもなきゃ死ぬかどっちか

の六つは、なかなかどうして、小学生のタタンにとってはかなり荷が重い話が続きます。

孤独とは、生きるとは、であるとか、父を知らない少年が語る父の話、であるとか、ずいぶん込み入った内容の話になってゆきます。

この本を読んでみてください係数 85/100

◆中島 京子
1964年東京都生まれ。
東京女子大学文理学部史学科卒業。

作品 「FUTON」「イトウの恋」「均ちゃんの失踪」「冠・婚・葬・祭」「小さいおうち」「眺望絶佳」「妻が椎茸だったころ」「長いお別れ」他多数

関連記事

『惑いの森』(中村文則)_書評という名の読書感想文

『惑いの森』中村 文則 文春文庫 2018年1月10日第一刷 毎夜、午前一時にバーに現われる男。投

記事を読む

『太陽のパスタ、豆のスープ』(宮下奈都)_書評という名の読書感想文

『太陽のパスタ、豆のスープ』宮下 奈都 集英社文庫 2013年1月25日第一刷 結婚式直前に突然婚

記事を読む

『逃亡』(吉村昭)_書評という名の読書感想文

『逃亡』吉村 昭 文春文庫 2023年12月15日 新装版第3刷 戦争に圧しつぶされた人間の

記事を読む

『正しい女たち』(千早茜)_書評という名の読書感想文

『正しい女たち』千早 茜 文春文庫 2021年5月10日第1刷 どんなに揉めても、

記事を読む

『デルタの悲劇/追悼・浦賀和宏』(浦賀和宏)_書評という名の読書感想文

『デルタの悲劇/追悼・浦賀和宏』浦賀 和宏 角川文庫 2020年7月5日再版 ひと

記事を読む

『吉祥寺の朝日奈くん』(中田永一)_書評という名の読書感想文

『吉祥寺の朝日奈くん』中田 永一 祥伝社文庫 2012年12月20日第一刷 彼女の名前は、上から読

記事を読む

『誰もいない夜に咲く』(桜木紫乃)_書評という名の読書感想文

『誰もいない夜に咲く』桜木 紫乃 角川文庫 2013年1月25日初版 7つの短編は、過疎、嫁

記事を読む

『透析を止めた日』 (堀川惠子)_書評という名の読書感想文

『透析を止めた日』 堀川 惠子 講談社 2025年2月3日 第5刷発行 私たちは必死に生きた

記事を読む

『三の隣は五号室』(長嶋有)_あるアパートの一室のあるある物語

『三の隣は五号室』長嶋 有 中公文庫 2019年12月25日初版 傷心のOLがいた

記事を読む

『たゆたえども沈まず』(原田マハ)_書評という名の読書感想文

『たゆたえども沈まず』原田 マハ 幻冬舎文庫 2024年2月10日 16版発行 天才画家ゴッ

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

『今日のハチミツ、あしたの私』(寺地はるな)_書評という名の読書感想文

『今日のハチミツ、あしたの私』寺地 はるな ハルキ文庫 2024年7

『アイドルだった君へ』(小林早代子)_書評という名の読書感想文

『アイドルだった君へ』小林 早代子 新潮文庫 2025年3月1日 発

『現代生活独習ノート』(津村記久子)_書評という名の読書感想文

『現代生活独習ノート』津村 記久子 講談社文庫 2025年5月15日

『受け手のいない祈り』(朝比奈秋)_書評という名の読書感想文

『受け手のいない祈り』朝比奈 秋 新潮社 2025年3月25日 発行

『蛇行する月 』(桜木紫乃)_書評という名の読書感想文

『蛇行する月 』桜木 紫乃 双葉文庫 2025年1月27日 第7刷発

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑