『完全犯罪の恋』(田中慎弥)_書評という名の読書感想文

公開日: : 最終更新日:2024/01/07 『完全犯罪の恋』(田中慎弥), 作家別(た行), 書評(か行), 田中慎弥

『完全犯罪の恋』田中 慎弥 講談社 2020年10月26日第1刷

人は恋すると、罪を犯す。
運命でも、必然でもなく、独りよがりの果てに。
その罪を明かさないのが、何よりの罰」
             --中江有里

「私の顔、見覚えありませんか」
突然現れたのは、初めて恋仲になった女性の娘だった。

芥川賞を受賞し上京したものの、変わらず華やかさのない生活を送る四十男である 「田中」。編集者と待ち合わせていた新宿で、女子大生とおぼしき若い女性から声を掛けられる。「教えてください。母と別れたんですか」
下関の高校で、自分ほど読書をする人間はいないと思っていた。その自意識をあっさり打ち破った才女・真木山緑に、田中は恋をした。ドストエフスキー、川端康成、三島由紀夫・・・・・・・。本の話を重ねながら進んでいく関係に夢中になった田中だったが・・・・・・・。
芥川賞受賞後ますます飛躍する田中慎弥が、過去と現在、下関と東京を往還しながら描く、初の恋愛小説。(講談社BOOK倶楽部より)

下校時、私の腕を摑んだのは緑の方だった。

電話と紙と黒板。そうやろ。冬休み、無言電話したやろ。
緑から目を逸らせなかった。首を縦にも横にも振れなかった。電話や蛍光ペンがひどく子どもっぽい策略に感じられた。

どうなんかねっちゃ。訊きよるんやけ答えりっ。
乾いた喉から声を絞り出そうとしたが、
待って。そういうわざとらしい顔、せんで。いかにも自分が悪かったっちゅうような顔、やめて。ほんで、嘘はつかんで。電話、紙、黒板。ほら、なんか言いいね、は?

惨めに、なりとうない。
はあ? 意味分らん。
ほやけえこれ以上惨めになりとうないって、言いよるやろうが。好きな女にふられたっちゅうだけでも惨めなのにから、その女に、命令されて、どうしてなんもかんも言わんといけんのか。なんで女なんかの言いなりに、ならんといけんのか。

自分の言葉が男だと実感し、いやだった。その何倍もいやな気分のためか、緑は全て諦めた笑い方だったが、謝りたい謝りたいと思えば思うだけ、男の自分を止められずに、

お前がどんだけあいつのことを好きなんか知らんけど、やってしもうたんなら、もうあいつのものっちゅうことやから、俺には関係ない。好きとかふられたとか、もうどうでもええ。たかが女一人やけ。ほやけど、ほやけど、あいつが、三島由紀夫が好きで、お前に本、貸したっちゅうのはどうでもようない。あいつに言うとけ。ほんとに三島由紀夫が好きなんやったら、お前のことがほんとに好きなんやったら、三島とおんなじ死に方、してみいって。

階段を降りながら、矛盾していると分った。たかが女一人どうでもいいのであれば、森戸が三島を緑にすすめたのも、やはりどうでもいいことだ。
しかし、小説はどうでもよくない。ノートに書いた小説以前の文章を、書いた自分が裏切るわけにはゆかない。
(本文 P115.116 一部略)

大なり小なり、人は恋をすると罪を犯します。あるいは、知らず知らずのうちに、小さな罪を重ねます。それが独りよがりのせいだとは思ってもみません。

致し方なく嘘をつくのは、それでも相手によかれと思うからです。たとえ将来立派な文学賞を受賞する作家であったとしても、高校2年生の、初めての体験は、何より 「田中」 を舞上がらせたのでした。苦し紛れに吐いた屁理屈で人が死ぬとは、考えもしません。

この本を読んでみてください係数 85/100

◆田中 慎弥
1972年山口県下関市生まれ。
山口県立下関中央工業高等学校卒業。

作品 「切れた鎖」「夜蜘蛛」「神様のいない日本シリーズ」「犬と鴉」「共喰い」「図書準備室」「実験」「燃える家」「宰相A」「孤独論/逃げよ、生きよ」他

関連記事

『カレーライス』(重松清)_教室で出会った重松清

『カレーライス』重松 清 新潮文庫 2020年7月1日発行 「おとなになっても忘れ

記事を読む

『宰相A』(田中慎弥)_書評という名の読書感想文

『宰相A』田中 慎弥 新潮文庫 2017年12月1日発行 揃いの国民服に身を包む金髪碧眼の「日本人

記事を読む

『GO』(金城一紀)_書評という名の読書感想文 

『GO』 金城 一紀  講談社 2000年3月31日第一刷 金城一紀といえば、小栗旬主演のTV

記事を読む

『切り裂きジャックの告白』(中山七里)_書評という名の読書感想文

『切り裂きジャックの告白』中山 七里 角川文庫 2014年12月25日初版 東京・深川警察署の

記事を読む

『神様』(川上弘美)_書評という名の読書感想文

『神様』川上 弘美 中公文庫 2001年10月25日初版 なぜなんだろうと。なぜ私はこの人の小説

記事を読む

『これが私の優しさです』(谷川俊太郎)_書評という名の読書感想文

『これが私の優しさです』谷川 俊太郎 集英社文庫 1993年1月25日第一刷 1952年のデ

記事を読む

『忌中』(車谷長吉)_書評という名の読書感想文

『忌中』車谷 長吉 文芸春秋 2003年11月15日第一刷 5月17日、妻の父が86歳で息を

記事を読む

『破局』(遠野遥)_書評という名の読書感想文

『破局』遠野 遥 河出書房新社 2020年7月30日初版 第163回芥川賞受賞作

記事を読む

『菊葉荘の幽霊たち』(角田光代)_書評という名の読書感想文

『菊葉荘の幽霊たち』角田 光代 角川春樹事務所 2003年5月18日第一刷 友人・吉元の家探しを手

記事を読む

『おとぎのかけら/新釈西洋童話集』(千早茜)_書評という名の読書感想文

『おとぎのかけら/新釈西洋童話集』千早 茜 集英社文庫 2013年8月25日第一刷 母親から育児放

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

『教誨』(柚月裕子)_書評という名の読書感想文

『教誨』柚月 裕子 小学館文庫 2025年2月11日 初版第1刷発行

『暁の宇品 陸軍船舶司令官たちのヒロシマ』 (堀川惠子)_書評という名の読書感想文

『暁の宇品 陸軍船舶司令官たちのヒロシマ』 堀川 惠子 講談社文庫 

『セルフィの死』(本谷有希子)_書評という名の読書感想文

『セルフィの死』本谷 有希子 新潮社 2024年12月20日 発行

『鑑定人 氏家京太郎』(中山七里)_書評という名の読書感想文

『鑑定人 氏家京太郎』中山 七里 宝島社 2025年2月15日 第1

『教誨師』 (堀川惠子)_書評という名の読書感想文

『教誨師』 堀川 惠子 講談社文庫 2025年2月10日 第8刷発行

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑