『プリズム』(百田尚樹)_書評という名の読書感想文
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『プリズム』(百田尚樹), 作家別(は行), 書評(は行), 百田尚樹
『プリズム』百田 尚樹 幻冬舎文庫 2014年4月25日初版
ある資産家の家に家庭教師として通う聡子。彼女の前に屋敷の離れに住む青年が現れる。ときに荒々しく怒鳴りつけ、ときに馴れ馴れしくキスを迫り、ときに紳士的に振る舞う態度に困惑しながらも、聡子は彼に惹かれていく。しかしある時、彼は衝撃の告白をする。「僕は、実際には存在しない男なんです」。感涙必至の、かつてない長編恋愛サスペンス。(幻冬舎文庫)
梅田聡子が恋をした。不倫である。
それだけなら世間にはよくある話で、小説になどなるわけがありません。彼女が愛した相手が問題でした。現実には存在しない男性だったからです。
聡子は解離性同一性障害 (多重人格) を患っている青年・岩本広志に恋をした - のならまだしも、広志が生み出した “交代人格” の一つである村田卓也と出会い、彼と過ごすうち、強く惹かれるようになります。卓也も同様に、二人は激しく愛し合うようになります。
本書 『プリズム』 の 「読みどころ」 は、いささか乱暴にまとめてしまえば三つに絞ることができるだろう。
まず最初は、多重人格の人間を前にして、そのうちの一つの人格だけと恋愛することは可能かというテーマである。いかなる人格が現れていようとも、肉体としての相手は同一なのである。
そのような状況の中で、特定の人格とだけ恋愛関係になるといったことはありうるのでしょうか? 広志が通うクリニックの進藤医師によると、彼が8年前に初めて来た時は、全部で12の交代人格があったといいます。それが現在は5つ、これまでに7つの交代人格が「広志に統合された」 といいます。
統合とは - 交代人格が持っている記憶、意識、感情、知覚などをオリジナルの人格に統一することをいいます。そうすることによって、交代人格は自然に消滅します。
二番目は、聡子の恋愛が絶望的という点である。ハッピーエンドを迎えるはずなど、ないではないか。多重人格における特定の人格とは、すなわち病理そのものである。あえて言うなら、心の病が生み出した幻影である。そのような存在に恋をしても、誰も共感はしてくれまい。祝福されることもなければ、そもそも世間的に認められることもない。誤解と非難しか待ち受けていない。
悩ましいのは、村田卓也という人格が (聡子にとって) 男性として “理想的” であったという点です。紳士的で慎ましく、理知的であくまでも優しかった卓也の存在は、本来の広志の人格を凌駕して、聡子の恋情を鷲掴みにしたのでした。いつかは終わる運命だと知りながら、それゆえ二人はなお燃え上がるのでした。
三番目は、解離性同一性障害のなかでもきわめて特殊な病態である多重人格をいかに読者に理解させ、成り立ちを把握させるかという手腕である。それが (聡子の) 夫の康弘や進藤医師、あるいは卓也や広志の語りを通して見事に達成されていることは、瞠目に値する。
読者の中には、たかが説明ではないかと思う向きもあるかもしれない。そんなことは小説において付随的なことであって、あれこれと取り沙汰すべきポイントではないと思われるかもしれない。しかし、手際良く説明してもらうという体験には、ある種の快感や満足感が伴う。まさにエンタメである。明快に、過不足なく説明してみせるという営みには、人の心が陥りがちな思い込みや錯覚に気づくセンスが要求される。説明の上手い人は偏差値の高い人ではなく、人間の心に精通した人である。(太字はいずれも解説からの抜粋)
巻末にある夥しい数の参考文献を見てください。全てが多重人格に関する本です。但し、小説ではそれが登場人物の手を借りて、誰もにわかり易く書いてあります。説明臭さはどこにもありません。私は、例えて言うと、白石一文の恋愛小説を読むようにこの本を読みました。
この本を読んでみてください係数 85/100
◆百田 尚樹
1956年大阪府大阪市生まれ。
同志社大学中退。
作品 「永遠の0」「海賊とよばれた男」「夢を売る男」「影法師」「フォルトゥナの瞳」「カエルの楽園」「カエルの楽園2020」「夏の騎士」他多数
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