『妻は忘れない』(矢樹純)_書評という名の読書感想文

公開日: : 最終更新日:2024/01/07 『妻は忘れない』(矢樹純), 作家別(や行), 書評(た行), 矢樹純

『妻は忘れない』矢樹 純 新潮文庫 2020年11月1日発行

葬儀の晩に訪れた、前妻 - 。急速に距離をつめる、ママ友。私はいずれ、夫に殺されるかも知れない。日本推理作家協会賞短編部門受賞 (『夫の骨』) 後第一作!

私はいずれ、夫に殺されるかもしれない。義父の弔問に訪れた前妻の佑香。夫は彼女とよりを戻したのではないだろうか。苦悩が募る中、通勤バッグにある物を発見してしまう (表題作)。日常を一本の電話が切り裂いた。大学生の息子哲生から元交際相手傷害事件について話を聞いている。刑事がそう告げたのだ (戻り梅雨)。平凡な家庭に潜む秘密を鮮やかに浮かび上がらせる、五篇の傑作ミステリ。(新潮文庫)

[目次]
1.妻は忘れない
2.無垢なる手
3.裂けた繭
4.百舌鳥の家
5.戻り梅雨

独断と偏見で選んだ私の一押し - 「裂けた繭

本書では異色の、どちらかといえば非日常の方向に振り切った作風だ。出だしからして不穏な印象であり、そこから暗転に暗転を重ねて凄惨な展開に至るのだが、ミステリとしての大胆なサプライズも、その凄まじさに輪をかけている。読み心地の怖さにおいては本書でも随一と言えるだろう。(解説より)

女性を軸とした作品が多い本書では例外的に、「裂けた繭」 は誠司という引きこもりの青年を主人公にしています。母親と二人暮らしの彼は、自室に南京錠をかけ、母親を中へは一歩も入れさせません。勝手に入れば殺すと宣言しています。

引きこもり中、彼の唯一の話し相手が中学時代に創作した 《みゆな》 と名付けた架空の女友達でした。ストレスが昂じると、誠司の中には決まって 《みゆな》 が現れます。声が一段高くなり、《みゆな》 になった誠司がもとの誠司に優しく語りかけるのでした。

俺、こんなことしてて、大丈夫なのかな
誠司は悪くないよ。仕方なかったんだから

宙を見つめていた誠司の目が、暗い光を帯びた。布団の方に手を伸ばすと、ティッシュペーパーの箱を引き寄せる。

引き出したティッシュペーパーを半分に千切ると、固く丸めて両方の鼻に詰める。それから顔を自分の肘の内側に押しつけ、匂いを感じないことを確かめた

こたつのノートパソコンの隣に置いてある医療用のゴーグルとマスクをつけ、決意したように立ち上がると、床に散乱したごみ袋を足を使って端に寄せ、半畳ほどの空間を作る。部屋の奥へ進み、大きく息を吸ってから、テレビの向かい側の壁のクローゼットの扉を開けた。

扉の取っ手を摑んだまま、うえっと誠司がマスクの中でくぐもった声を漏らす。
室内のゴミと排泄物の匂いに甘ったるい芳香剤の香りが混じり、続いて魚の血やはらわたを腐らせたような強烈な匂いが漂ってきた。

先ほど、出勤前の母親が誠司に言いたかったのは、この件だろう。
誠司はその場にしゃがみこむと、背中を丸めて何度もえずいた。ようやく顔を上げ、ゴーグルをずらして服の袖で涙を拭うと、クローゼットの中の毛布で包まれた塊に手を伸ばす。

毛布の端がめくれ、無精ひげに覆われた青白い男の顔があらわになった。
開いたままのまぶたから覗く眼球は、膜がかかったように濁り、水分を失ってしぼんでいた。
(二章へ続く)

誠司の部屋のクローゼットの中には、なぜか一人の男の死体が転がっています。解体され、残っているのは頭部だけになっています。

この本を読んでみてください係数 85/100

◆矢樹 純
1976年青森県青森市生まれ。
弘前大学人文学科卒業。

作品 「夫の骨」「Sのための覚え書き かごめ荘連続殺人事件」「がらくた少女と人喰い煙突」等

関連記事

『テティスの逆鱗』(唯川恵)_書評という名の読書感想文

『テティスの逆鱗』唯川 恵 文春文庫 2014年2月10日第一刷 女優・西嶋條子の "売り" は

記事を読む

『朽ちないサクラ』(柚月裕子)_書評という名の読書感想文

『朽ちないサクラ』柚月 裕子 徳間文庫 2019年5月31日第7刷 (物語の冒頭)森

記事を読む

『地球星人』(村田沙耶香)_書評という名の読書感想文

『地球星人』村田 沙耶香 新潮文庫 2021年4月1日発行 恋愛や生殖を強制する世

記事を読む

『ただしくないひと、桜井さん』(滝田愛美)_書評という名の読書感想文

『ただしくないひと、桜井さん』滝田 愛美 新潮文庫 2020年5月1日発行 滝田さ

記事を読む

『ルパンの消息』(横山秀夫)_書評という名の読書感想文

『ルパンの消息』横山 秀夫 光文社文庫 2009年4月20日初版 15年前、自殺とされた女性教

記事を読む

『タイニーストーリーズ』(山田詠美)_書評という名の読書感想文

『タイニーストーリーズ』山田 詠美 文春文庫 2013年4月10日第一刷 当代随一の書き手がおくる

記事を読む

『旅する練習』(乗代雄介)_書評という名の読書感想文

『旅する練習』乗代 雄介 講談社文庫 2024年1月16日 第1刷発行 歩く、書く、蹴る -

記事を読む

『図書準備室』(田中慎弥)_書評という名の読書感想文

『図書準備室』 田中 慎弥 新潮社 2007年1月30日発行 田中慎弥は変な人ではありません。芥

記事を読む

『JR高田馬場駅戸山口』(柳美里)_書評という名の読書感想文

『JR高田馬場駅戸山口』柳 美里 河出文庫 2021年3月20日新装版初版 夫は単

記事を読む

『誰かが見ている』(宮西真冬)_書評という名の読書感想文

『誰かが見ている』宮西 真冬 講談社文庫 2021年2月16日第1刷 問題児の夏紀

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

『マッチング』(内田英治)_書評という名の読書感想文

『マッチング』内田 英治 角川ホラー文庫 2024年2月20日 3版

『僕の神様』(芦沢央)_書評という名の読書感想文

『僕の神様』芦沢 央 角川文庫 2024年2月25日 初版発行

『存在のすべてを』(塩田武士)_書評という名の読書感想文

『存在のすべてを』塩田 武士 朝日新聞出版 2024年2月15日第5

『我が産声を聞きに』(白石一文)_書評という名の読書感想文

『我が産声を聞きに』白石 一文 講談社文庫 2024年2月15日 第

『朱色の化身』(塩田武士)_書評という名の読書感想文

『朱色の化身』塩田 武士 講談社文庫 2024年2月15日第1刷発行

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑