『きよしこ』(重松清)_書評という名の読書感想文

『きよしこ』重松 清 新潮文庫 2021年3月5日39刷

きよしこ(新潮文庫)

少年は、ひとりぼっちだった。名前はきよし。どこにでもいる少年。転校生。言いたいことがいつも言えずに、くやしかった。思ったことをなんでも話せる友だちが欲しかった。そんな友だちは夢の中の世界にしかいないことを知っていたけれど、ある年の聖夜に出会ったふしぎな 「きよしこ」 は少年に言った。伝わるよ、きっと - 。大切なことを言えなかったすべての人に捧げたい、珠玉の少年小説。(新潮文庫)

ぼくは君の顔を知らない。声を聞いたこともない。君は、二年ほど前にぼくが受け取った手紙の中にいた。うつむいて、しょんぼりとして、ひとりぼっちでたたずんでいた。

手紙は仕事の付き合いのある出版社気付で我が家に届いた。差出人は君のお母さんだった。
青いインクの万年筆で書いた、あまり上手ではないけれど温もりのある文字で、お母さんは君のことを紹介していた。

うまくしゃべれない子ども - なんだな、君は。
言葉がつっかえてしまう。無理をしてしゃべろうとすると、言葉の頭の音が止まらなくなる。吃音。どもる、というやつだ。

あなたに励まされた。お母さんは手紙に書いていた。ひと月前にぼくが出演したテレビのドキュメンタリー番組を観たらしい。街を歩きながらカメラに向かって話しているのを聞いて、すぐに、このひとも言葉がつっかえてしまうんだ、とわかったのだという。

君は小学一年生なんだな。男の子だ。言葉がつっかえるのを、いつも友だちにからかわれている。いつそれがいじめに変わるかと思うと、お母さんは怖くてしかたないらしい。うまくしゃべれないせいで引っ込み思案になっている君を見るたびに、胸が締めつけられるという。

ふるさとに暮らす母親の、まだ若かった頃の顔を思い浮かべながら、手紙を読んだ。団体行動が苦手で保育園の登園前にしょっちゅう泣いてしまう下の娘のことも、ふと思った。そして、子どもの頃に巡り会った何人かのひとや、いくつかの出来事を、ひさしぶりに思いだした。

もしよろしければ - と、君のお母さんは手紙の最後に書いていた。息子に宛てて返事を書いてやってもらえませんか。吃音なんかに負けるな、と励ましやってくれれば、息子の心の支えになると思うのです。

何日か迷ったが、けっきょく返事は出さなかった。

君に宛てる手紙のかわりに、短いお話を何編か書いた。

君と同じ小学一年生の頃、ぼくは友だちが訪ねてくるのを待っていた。他のひとには姿を見ることのできない、ぼくだけの友だちだ。名前を、きよしこという。

君は自分の名前をつっかえずに言えるかい?
ぼくは、子どもの頃も、おとなになったいまも、それがいちばん苦手だ。きよし がうまく言えない。だから自己紹介が嫌いで、新しい友だちと知り合うのがおっかなかった。そんなぼくが父親の仕事の都合で転校つづきの少年時代を過ごすなんて、神さまはずいぶん意地悪な筋書きを考えたものだ。

自分の名前をうまく言えないから、ぼくは自分とそっくりの名前の友だちが遊びに来るのを待ちつづけていた。

君にも覚えがあるだろう? 心の中で想像したり、ひとりごとをつぶやいたりするときには、言葉はぜんぜんつっかえない。ぼくがお話を書くようになって、それを仕事にする毎日をけっこう楽しんで過ごしているのは、そんな理由があるからなのかもしれない。

お話を始める。
ぼくとよく似た少年を、主人公にした。
少年は、きっと、君にも似ているはずだ。
(前文より/一部割愛)

もう十分に歳を取った大人なあなたは、昔、この物語の主人公の少年に似た同級生がいたことを覚えているでしょうか? 彼が、彼女がする吃音を、何の気なしに嘲ったりはしなかったでしょうか。

他にもあった、本人にはどうしようもない、たとえば暮らしの状況や境遇について、蔑んだりはしなかったでしょうか。今更ながらではありますが、思い出してみてください。そしてそれを、忘れないでください。

この本を読んでみてください係数 85/100

きよしこ(新潮文庫)

◆重松 清
1963年岡山県津山市生まれ。
早稲田大学教育学部国語国文学科卒業。

作品 「ビタミンF」「十字架」「流星ワゴン」「疾走」「カシオペアの丘で」「ナイフ」「星のかけら」「また次の春へ」「ゼツメツ少年」「くちぶえ番長」他多数

関連記事

『凶犬の眼』(柚月裕子)_柚月裕子版 仁義なき戦い

『凶犬の眼』柚月 裕子 角川文庫 2020年3月25日初版 凶犬の眼 (角川文庫) 広

記事を読む

『一億円のさようなら』(白石一文)_書評という名の読書感想文

『一億円のさようなら』白石 一文 徳間書店 2018年7月31日初刷 一億円のさようなら (文芸書

記事を読む

『吉祥寺の朝日奈くん』(中田永一)_書評という名の読書感想文

『吉祥寺の朝日奈くん』中田 永一 祥伝社文庫 2012年12月20日第一刷 吉祥寺の朝日奈くん

記事を読む

『カインは言わなかった』(芦沢央)_書評という名の読書感想文

『カインは言わなかった』芦沢 央 文春文庫 2022年8月10日第1刷 男の名は、カ

記事を読む

『盤上に散る』(塩田武士)_書評という名の読書感想文 

『盤上に散る』塩田 武士 講談社文庫 2019年1月16日第一刷 盤上に散る (講談社文庫)

記事を読む

『検事の信義』(柚月裕子)_書評という名の読書感想文

『検事の信義』柚月 裕子 角川書店 2019年4月20日初版 検事の信義 累計40万部

記事を読む

『硝子の葦』(桜木紫乃)_書評という名の読書感想文

『硝子の葦』桜木 紫乃 新潮文庫 2014年6月1日発行 硝子の葦 (新潮文庫) &nb

記事を読む

『けむたい後輩』(柚木麻子)_書評という名の読書感想文

『けむたい後輩』柚木 麻子 幻冬舎文庫 2014年12月5日初版 けむたい後輩 &nbs

記事を読む

『カルマ真仙教事件(上)』(濱嘉之)_書評という名の読書感想文

『カルマ真仙教事件(上)』濱 嘉之 講談社文庫 2017年6月15日第一刷 カルマ真仙教事件(

記事を読む

『 Y 』(佐藤正午)_書評という名の読書感想文

『 Y 』佐藤 正午 角川春樹事務所 2001年5月18日第一刷 Y (ハルキ文庫) [

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

『夜に星を放つ』(窪美澄)_書評という名の読書感想文

『夜に星を放つ』窪 美澄 文藝春秋 2022年7月30日第2刷発行

『生命式』(村田沙耶香)_書評という名の読書感想文

『生命式』村田 沙耶香 河出文庫 2022年5月20日初版発行

『中尉』(古処誠二)_書評という名の読書感想文

『中尉』古処 誠二 角川文庫 2017年7月25日初版発行

『犬のかたちをしているもの』(高瀬隼子)_書評という名の読書感想文

『犬のかたちをしているもの』高瀬 隼子 集英社文庫 2022年9月1

『殺人者』(望月諒子)_書評という名の読書感想文

『殺人者』望月 諒子 新潮文庫 2022年11月1日発行

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑