『十九歳のジェイコブ』(中上健次)_書評という名の読書感想文
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最終更新日:2019/11/08
『十九歳のジェイコブ』(中上健次), 中上健次, 作家別(な行), 書評(さ行)
『十九歳のジェイコブ』中上 健次 角川文庫 2006年2月25日改版初版発行
中上健次という作家をご存じでしょうか? 読書好きの人なら知らない方がおかしいくらい有名な作家で、ある程度年輩の方なら元気な頃の屈強そうな姿を覚えているという人も多いと思います。
中上健次の小説を以てこれこそが文学だと言い、(良い喩えではありませんが)まるで新興宗教の教祖のように信奉する人がいます。かと思えば、どうも生理的に受け付けないという人が多いのも事実。好き嫌いがはっきりしています。
間(あいだ) がありません。これは私のまったくの主観ですが、彼の小説を読むと、いつも 「読みたくない奴は読んでもらわなくて結構」 と言われているような気がしてなりません。それほどに、個性が際立っています。
生臭くもあり、他の追随を許さない。独自の世界観に満ちた小説です。中上健次が描く魂の遍歴は、半端ではありません。彼が生まれ育った、かくも複雑な半生の、謂わば 「実写版」 といえます。
知るべきは、中上健次が和歌山県新宮市の被差別部落の生まれであること。小説に出てくる「路地」とは、その部落を指しているということ。これは彼の作品においてもっとも重要な情報です。このことなくして、中上健次の小説世界はあり得ません。
次に複雑極まりない、その家族事情です。中上健次は父・鈴木留造と母・木下千里との間に生まれますが、千里が健次を妊娠中、留造が他の女性を2人妊娠させていたことが発覚します。千里は留造と離婚、一人で健次を産みます。
千里に去られた留造は、妊娠させた女性のうちの一人と結婚、健次の半年違いの妹にあたる女児が生まれます。さらに留造は、この女性との間に2人の男児をもうけます。
一方、千里の方も前夫の木下勝太郎との間に5人の子をもうけており、留造と別れたあとは女手一つで子供たちを育てます。やがて、男児一人をつれた中上七郎と出会い、末子の健次をつれて別の家で同居、4人での生活を始めます。
千里の他の子供たちは元の家に残り、健次が中学3年生の時、千里は健次とともに中上七郎のもとに入籍します。まとめると「母方で言えば三男、父方では長男、戸籍上で長男、育った家庭では次男という複雑極まりない状態」で少年期を過ごしたことになります。
どうすることも叶わない、定められた運命とはいえ、謂れなき出生地に対する偏見と幼い頃に二度、三度と繰り返された家族の「書替え」が、中上文学の唯一無二の礎となります。
※ジェイコブは、相手がいったい誰だかわからない人間にむかって手紙を書くのが癖になっています。彼は、世界をこんな風に感じています。
この世界が腹立たしくってしょうがない。この世界はよごれすぎているような気がします。この世界に生きるということはつまりどっぷり屁泥(ヘドロ)のような黒くぬるぬるしたよごれにつかり、よごれをのみこみ、よごれた眼、よごれた体になってものをみたり思ったりしてくらすことなのでしょうか?
また別の便箋には、こう綴ります。
ディスクジョッキーはこともなげに、いまシンケンにまじめに生きているゾーというが、いったい彼の言ういまとはなんなのか? この瞬間のことを言うのだろうか? (中略) では、まじめ、とかシンケンとかはどんなことを言うのだろうか? それがわからない。
十九歳になったジェイコブは 〈人生の真実なんて、たかが知れている〉 と思っています。今のジェイコブには、肌にひりつくセックスへの衝動とクスリで濁った頭の中、身体に沁みついたジャズのリズム、その感覚だけが真実に思えます。
この本を読んでみてください係数 85/100
◆中上 健次
1946年和歌山県新宮市生まれ。92年、46歳で没。
和歌山県立新宮高等学校卒業。妻は作家の紀和鏡、長女は作家の中上紀、次女は陶芸家で作家の中上菜穂。
作品 「枯木灘」「鳳仙花」「地の果て至上の時」「紀伊物語」「十九歳の地図」「岬」「十八歳、海へ」「千年の愉楽」他多数
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