『ドアの向こうに』(黒川博行)_書評という名の読書感想文

公開日: : 最終更新日:2024/01/14 『ドアの向こうに』(黒川博行), 作家別(か行), 書評(た行), 黒川博行

『ドアの向こうに』黒川 博行 創元推理文庫 2004年7月23日初版

大阪南東部の橋梁工事現場でバラバラ死体が発見された。同じ場所から発見されたにも拘わらず、頭部は腐敗し、脚部は干からびたミイラ状態だった。数日後、大阪北部のマンションで心中事件が起き、部屋から新聞・雑誌に掲載されたバラバラ事件の切り抜きが大量に見つかった。二つの事件の繋がりは? おなじみ大阪府警捜査一課の文田巡査部長と総田部長刑事、通称〈ブンと総長〉に、京都出身で御国自慢が鼻に付く五十嵐刑事が加わって、意外な展開を見せる二つの事件を追う。不可思議なバラバラ死体と密室の謎で、黒川博行の作品の中でも、最も〈本格ミステリ〉要素の強い、初期の傑作! (文庫解説より)

物語も随分と後半になってからですが、心中事件の真相にたどり着く手がかりを得ようと、ブンさんと総長が同じマンションに住む小池という老夫婦を訪ねる場面があります。小池夫妻は、マンションのオーナーである隣の正徳寺で、植木の手入れや雑役をしています。

心中事件があったのが、マンションの703号室。小池夫妻の部屋は、一つ上階の803号室です。そのまた上が屋上で、ブンさんと総長は心中事件が実は偽装で、2人を殺した人物がおり、その犯人が8階から屋上へ上がったのではないかと考えています。

断っておきますが、ここが重要なところですよ、ということが言いたいわけではないのです。心中事件において実際に屋上は大変重大な意味を持つのですが、小池夫妻訪問は裏付け捜査の一つに過ぎません。私が伝えたいのは、本筋とはまるで関係のないことです。

そのときの小池翁と総長の会話。
(小池翁)「わし、あれから気持ちわるうてね。何や、下の部屋から青白い手が伸びて来そうで、ゆっくり寝てられへんのです。住職も次の借り手がないいうてぼやいてます」

(総長)「念仏唱えて、お祓いしたらよろしいがな」
(小池翁)「あの人はあきまへん。修行が足りんさかい」
と続き、最後はこんな風で終わります。

小池は空を仰いで嘆息する。前歯が二本欠けていた。
・・・・・・・・・・
どうです? 実に〈本格ミステリ〉らしからぬ、このユルい会話。「前歯が二本欠けていた」などと、軽いオチまでついている。どうでもいい情報の極みですが、でも、ここが面白い。サービス精神が旺盛で、心から「上手やなあ」と感じるところなのであります。

この後ブンさんは家に帰り、自分の悩ましい状況を母親に打ち明けます。彼は総長の読みが正しいと思っているのですが、一方で、どうしても崩し切れない謎を解けずに苦しんでいます。

そこで母親は、(唄うように)こう返します。
「困ったもんやな。あちら立てればこちらが立たず、立たんようになったら人生お終いや」

ブンさんでなくとも「まじめに聞いとるんかい」とツッコミたくなるようなセリフを平気で言ってしまうわけです。もう、こんなことの繰り返し。

結婚前の、十分大人のブンさんに、母はそれでも優しくリンゴをむきます。〈むつ〉よりも〈ふじ〉がええと、子どもみたいなことを言うブンさん。男は食べ物のことをぐちぐちいうもんやないと、母は息子を諌めます。

これなんの話や、などと思ってはいけません。このアホらしい会話のあとで、母はわが息子に、思いもよらぬ重大なヒントを与えることになるのです。

この本を読んでみてください係数 85/100


◆黒川 博行
1949年愛媛県今治市生まれ。6歳の頃に大阪に移り住み、現在大阪府羽曳野市在住。
京都市立芸術大学美術学部彫刻科卒業。妻は日本画家の黒川雅子。
スーパーの社員、高校の美術教師を経て、専業作家。無類のギャンブル好き。

作品 「二度のお別れ」「左手首」「雨に殺せば」「カウント・プラン」「絵が殺した」「疫病神」「国境」「悪果」「文福茶釜」「暗礁」「螻蛄」「破門」「後妻業」他多数

◇ブログランキング

いつも応援クリックありがとうございます。
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

関連記事

『疫病神』(黒川博行)_書評という名の読書感想文

『疫病神』黒川博行 新潮社 1997年3月15日発行 黒川博行の代表的な長編が並ぶ「疫病神シリー

記事を読む

『サンブンノニ』(木下半太)_書評という名の読書感想文

『サンブンノニ』木下 半太 角川文庫 2016年2月25日初版 銀行強盗で得た大金を山分けし、

記事を読む

『図書室』(岸政彦)_書評という名の読書感想文

『図書室』岸 政彦 新潮社 2019年6月25日発行 あの冬の日、大阪・淀川の岸辺で

記事を読む

『おめでとう』(川上弘美)_書評という名の読書感想文

『おめでとう』川上 弘美 新潮文庫 2003年7月1日発行 いつか別れる私たちのこの

記事を読む

『月と蟹』(道尾秀介)_書評という名の読書感想文

『月と蟹』道尾 秀介 文春文庫 2013年7月10日第一刷 海辺の町、小学生の慎一と春也はヤド

記事を読む

『神様』(川上弘美)_書評という名の読書感想文

『神様』川上 弘美 中公文庫 2001年10月25日初版 なぜなんだろうと。なぜ私はこの人の小説

記事を読む

『無限の玄/風下の朱』(古谷田奈月)_書評という名の読書感想文

『無限の玄/風下の朱』古谷田 奈月 ちくま文庫 2022年9月10日第1刷 第31

記事を読む

『おまえじゃなきゃだめなんだ』(角田光代)_書評という名の読書感想文

『おまえじゃなきゃだめなんだ』角田 光代 文春文庫 2015年1月10日第一刷 新刊の文庫オリジ

記事を読む

『鎮魂』(染井為人)_書評という名の読書感想文

『鎮魂』染井 為人 双葉文庫 2024年5月18日 初版第1刷発行 半グレ連続殺人

記事を読む

『鳥の会議』(山下澄人)_書評という名の読書感想文

『鳥の会議』山下 澄人 河出文庫 2017年3月30日初版 ぼくと神永、三上、長田はいつも一緒だ。

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

『百合中毒』(井上荒野)_書評という名の読書感想文

『百合中毒』井上 荒野 集英社文庫 2024年4月25日 第1刷

『ジウⅡ 警視庁特殊急襲部隊 SAT 』(誉田哲也)_書評という名の読書感想文

『ジウⅡ 警視庁特殊急襲部隊 SAT 』誉田 哲也 中公文庫 202

『ジウⅠ 警視庁特殊犯捜査係 SIT 』(誉田哲也)_書評という名の読書感想文

『ジウⅠ 警視庁特殊犯捜査係 SIT 』誉田 哲也 中公文庫 202

『血腐れ』(矢樹純)_書評という名の読書感想文

『血腐れ』矢樹 純 新潮文庫 2024年11月1日 発行 戦慄

『チェレンコフの眠り』(一條次郎)_書評という名の読書感想文

『チェレンコフの眠り』一條 次郎 新潮文庫 2024年11月1日 発

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑