『飛族』(村田喜代子)_書評という名の読書感想文
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『飛族』(村田喜代子), 作家別(ま行), 書評(は行), 村田喜代子
『飛族』村田 喜代子 文春文庫 2022年1月10日第1刷
むかしは漁業で繁栄していたけれど、いまは衰退して、たったふたりの女性が島に残っていた。ここは日本海のはずれ、朝鮮との国境近くの養生島で、異国の船がやってきたり、激しい気候変動にも見舞われている。92歳と88歳の老女は島を離れない。シンプルに力強く生きる姿に胸を打たれる、谷崎潤一郎賞受賞作。解説・桐野夏生 (文春文庫)
その小さな島で、最年長のナオさんがとうとう亡くなった。九十七歳だった。ナオさんの家は離れていたので、数日間、遺体が発見されることはなかったそうな。
ナオさんが亡くなった今、島に住まうのは、二人の老女だけになった。イオさん、九十二歳。ソメ子さん、八十八歳。
亡くなったナオさんも皆、海女で、夫たちは漁師だった。島の誰もが海から恵みを得て、海とともに生きてきた。そして、男たちは嵐に遭って海で死んだ (らしい)。らしいというのは、遺体があがらない者も多くいたからだ。
ナオさんの葬儀に際して、イオさんの娘、ウミ子が本土から様子を見にくるところから、この物語は始まる。(解説より抜粋)
物語の途中に、こんな場面があります。そこで暮らす人間は、島や海や空や、あるもの全てを受け入れて、そのうち鳥にも魚にも姿を変えることができるようになります。鳥になり、鳥が鳴く声の意味がわかるようになります。
近くの貝殻島で年寄りが一人亡くなった。
人口六世帯十一人の島で最高齢だった女性、九十五歳の溺谷シオさんだ。彼女がいなくなると、貝殻島に残る住民は六世帯十人となる。
朝早く祝島の元海女仲間からの連絡網できた。連絡網といっても本人はもう眼が見えないので、長男の嫁があちこちにプッシュホンを押して伝えてくる。電話を置くとイオさんは涙に暮れながらつぶやいた。
「おお、人間はつまらんもんじゃ。魚のようにヒラヒラと海中ば泳いだおなごが、明日は死んで虚しい灰となるか。命は儚いもんじゃ。島も山も岩も千年動かぬもんを、人間は甲斐なかぞ。甲斐ない、甲斐ない」
百年近く生きて来た年寄りの繰り言は、どこか 『ハムレット』 のセリフのようである。悲しみも喜びも怒りも、誰に倣った言葉でもないが名文句だ。
間もなく金谷ソメ子さんが起き抜けのまんま、白髪頭を振り立てて息を切らしながら坂を上ってきた。朝日が白々と射す上がり框にソメ子さんはぺたんと腰を下ろして泣き出した。
「夕べはどうしてか、家の外でいつまでも、妙なカラス鳴きがした。太か肺腑をえぐるような声で、日が暮れても、一番星が出ても鳴いていた。おれは外に出て怒鳴った。おい! おまえだちゃ何が切のうて、そんなに鳴くか。鳥は早う寝るもんじゃ。夜鳴く鳥がどこの世界におろうか! 」
イオさんが上がり框まで出て行って、横座りしたままうなずいて聞いている。島のカラスは図体が大きい。浜辺で昆布なども啄むので翼は帆のように太く逞しく、羽根は人間の女の黒髪のように光っている。
「そしたらカラスは何と言うた? 」
「地の洞から風が吹くような声でのう、今夜、ばさまが一人亡うなったど、と言うたわい。そして涙で爛れた赤い目でおれば見つめてこう言うた。・・・・・・・カラスは人間に連れ添うて生きるもので、人間の年寄りにはカラスの一生の内にいろいろ受けた恩がある。それを返せぬ内に死なれて悲しい。おれだちのカラス鳴きは鳥の読経じゃ」
「おお、思い出したぞ。そうかもしれん、そうかもしれん。わしも夕べは裏の庭で、そのカラス鳴きの胸苦しか声ば聞いた」
年寄りの話のやり取りは食い違うことがない。およそ彼女らの言い分に争い事はなくて、双方の話は相和して溶け合い一つの話となってつながるのだ。人生の終幕が近づくと、自分たちが引く幕の破れやほころびを自然と縫い合わせる。年寄りの合言葉はいつも、
「おお、そうじゃ、そうじゃ」
か、または、
「そうかもしれん、そうかもしれん」
というものだ。
そこにはもはや “境界” というものがありません。島は島、鳥は鳥であるわけですが、それはまた彼女ら自身でもありました。
ふたりの女性が、離島にいる。
92歳と88歳で、
ゆらゆら漂うように生きていた。(帯文より)
五島列島の小島で暮らすふたりの老女の、ただそれだけの話ではありますが・・・・・・・
この本を読んでみてください係数 85/100
◆村田 喜代子
1945年福岡県北九州市八幡生まれ。
八幡市立花尾中学校卒業後、鉄工所に就職。1967年結婚し、二女を出産。
作品 「鍋の中」「白い山」「真夜中の自転車」「望潮」「ゆうじょこう」「エリザベスの友達」「姉の島」他多数
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