『色彩の息子』(山田詠美)_書評という名の読書感想文

公開日: : 最終更新日:2024/01/14 『色彩の息子』(山田詠美), 作家別(や行), 山田詠美, 書評(さ行)

『色彩の息子』山田 詠美 集英社文庫 2014年11月25日初版

唐突ですが、例えば、ほとんど面識のない人と初めてまともな会話をしたような場合。ある程度話をすると、相手がこちら側の人間かあるいはそうでないのか、それがはっきり分かると言った人がいます。少し昔の人ですが、野間宏という著名な評論家です。

野間氏が何をして人を切り分けたのかと言いますと、かの有名なロシアの作家・ドストエフスキーが書いた『未成年』という小説。この小説を読んでいる人なのか、読んだことのない人なのか。野間氏は、少し話をすると、自然にそれが分かると言うのです。

これがために、私は慌てて新潮文庫の『未成年』を買い求め、上下巻合わせて1,000ページを超える大長編を解らぬなりに読みました。はるか昔、大学生になったばかりの頃のことです。但し、野間氏の真意を汲み取れたのかと訊かれたら、いささか自信がありません。

『色彩の息子』を読んで、なぜか、ふとそのことを思い出しました。はたして、この小説を読んだからそう思ったのか、それも定かなことではありません。ただ読んだ気持ちがうまく言葉にならなくて、ボーっとしていたら、自然と頭の中に浮かんできたのです。

本来『未成年』とは如何なる小説で、読むと読まないでは何が違い、その違いがいかほど重要であると野間氏が言っているのか - まずそれを説明する必要があるのですが・・・、その説明の代わりとして、今回はこの『色彩の息子』を読んでみてほしいのです。
・・・・・・・・・・
「白」をモチーフにした一編「病室の皮」という作品があります。男女の三角関係が描かれているのですが、ここでは一般的によくあるパターンとはやや状況を異にしています。

「善良な人間と呼ばれることは、生きて行くのを楽にする。そのことに気付いて以来、私は良い人になった。普通の女になった。」

語り手である「私」が、自分のことをこんな風に規定するところから物語は始まります。容姿に恵まれているとは思っていないけれど、心のどこかで、きっと私に目を止めてくれる人がいるはずだと信じて生きている。-「私」は、そんな女性です。

しかし、「私」はそんな女性であることを止めようと思います。心の中の、自分が自分であることに優越感を抱いて、それ故膿を貯め込むような、何かを待ち続ける女から決別しようと考えます。「私」が普通の人間で、ごく平凡な女だと気付いたからです。

それまでは友達がいなかったのに、中途な野心や自意識を捨てると、人が近寄り始めます。「私」は、他人に対して好意的な、控え目で、分不相応なことを決してしない、善良な人間になったというわけです。
・・・・・・・・・・
「私」には、和江という親友がいます。「私」をとても信頼しており、愛情に恵まれ、人に誉められて生きて来た者特有の物言いと邪気のない人柄を持つ女性です。その和江から恋人だと言って紹介されたのが、戸田慎吾という男性。和江は初心で、真剣で、全身でせつないと言っているのが分かります。

そんな彼女をいとおしいと思う反面、何かが「私」の心を刺すのが分かります。「私」は、少しばかり心の中に染み出した嫌な気持ちに気付いて慌てます。そこには、和江の愛情に囲まれて来た育ちの良さを、ほんの少し嫌悪している「私」がいます。

「私」の内側を覆い隠していたものが、徐々に姿を現わし始めます。それは、「私」が善良な人間になるために鍵をかけていた部屋の存在です。その部屋に私を入れないで、と「私」は叫びます。けれど、病んだ「私」の心を閉じ込め置いた病室が、再び姿を見せ始めるのです。

分かり易く言うと、報われない自意識を制御しようとしていたけれど、やっぱり謂れのないプライドを棄て切れず親友に嫉妬して、挙句に親友から彼氏を奪い取ろうとする「私」がいます、ということ。

「私」になびくかのように思えるのですが、慎吾が選ぶのは和江です。慎吾は「私」を憎からず思っているのですが、彼は「私」が思う以上に聡明で、なおかつ和江を想う気持ちが、「私」が慎吾を慕う気持ちとは根っこで質を異にしています。

慎吾は「私」に対して、「おれときみは同じだよ」と言います。和江だけが違う種類の人間で、彼女だけが綺麗だと言い、おれたちは偽善者なんだと言い切ります。慎吾曰く、

「おれもきみも、良い人間なんかじゃないんだ。心の中に汚れたものを隠し持ってあがいている。違うかい? おれは、誰からも好かれる好青年だ。だって、都合いいだろ。そして、そう装っている自分がたまらなく嫌だ。いつも、自己嫌悪を、どうにか鎮めようとして、困り果てている。きみも同じ種類の人間だ」

自分が今どんな姿で、他人から見ればどんな風に見えるのか - そんなことには無頓着で無自覚な人がいるかと思えば、実は十分承知した上で自分の〈ふり〉をしている人もいる。世の中には2つのパターンの人がいるんですよ、という話。

この本を読んでみてください係数  85/100


◆山田 詠美
1959年東京都板橋区生まれ。
明治大学日本文学科中退。

作品 「僕は勉強ができない」「蝶々の纏足・風葬の教室」「ソウル・ミュージック ラバーズ・オンリー」「ジェントルマン」「ベッドタイムアイズ」「A2Z」「風味絶佳」「学問」「放課後の音符」「熱血ポンちゃんシリーズ」他多数

◇ブログランキング

いつも応援クリックありがとうございます。
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

関連記事

『ここは退屈迎えに来て』(山内マリコ)_書評という名の読書感想文

『ここは退屈迎えに来て』山内 マリコ 幻冬舎文庫 2014年4月10日初版 そばにいても離れて

記事を読む

『推定脅威』(未須本有生)_書評という名の読書感想文

『推定脅威』未須本 有生 文春文庫 2016年6月10日第一刷 - ごく簡単に紹介すると、こんな

記事を読む

『セルフィの死』(本谷有希子)_書評という名の読書感想文

『セルフィの死』本谷 有希子 新潮社 2024年12月20日 発行 もう二度とSNSができな

記事を読む

『三千円の使いかた』(原田ひ香)_書評という名の読書感想文

『三千円の使いかた』原田 ひ香 中公文庫 2021年8月25日初版 知識が深まり、

記事を読む

『想像ラジオ』(いとうせいこう)_書評という名の読書感想文

『想像ラジオ』いとう せいこう 河出文庫 2015年3月11日初版 この物語は、2011年3

記事を読む

『しろいろの街の、その骨の体温の』(村田沙耶香)_書評という名の読書感想文

『しろいろの街の、その骨の体温の』村田 沙耶香 朝日文庫 2015年7月30日第一刷 クラスでは目

記事を読む

『僕はロボットごしの君に恋をする』(山田悠介)_幾つであろうと仕方ない。切ないものは切ない。

『僕はロボットごしの君に恋をする』山田 悠介 河出文庫 2020年4月30日初版

記事を読む

『ルパンの消息』(横山秀夫)_書評という名の読書感想文

『ルパンの消息』横山 秀夫 光文社文庫 2009年4月20日初版 15年前、自殺とされた女性教

記事を読む

『白い夏の墓標』(帚木蓬生)_書評という名の読書感想文

『白い夏の墓標』帚木 蓬生 新潮文庫 2023年7月10日25刷 (昭和58年1月25日発行)

記事を読む

『さよなら、ビー玉父さん』(阿月まひる)_書評という名の読書感想文

『さよなら、ビー玉父さん』阿月 まひる 角川文庫 2018年8月25日初版 夏の炎天下、しがない3

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

『八月の母』(早見和真)_書評という名の読書感想文

『八月の母』早見 和真 角川文庫 2025年6月25日 初版発行

『おまえレベルの話はしてない』(芦沢央)_書評という名の読書感想文

『おまえレベルの話はしてない』芦沢 央 河出書房新社 2025年9月

『絶縁病棟』(垣谷美雨)_書評という名の読書感想文

『絶縁病棟』垣谷 美雨 小学館文庫 2025年10月11日 初版第1

『木挽町のあだ討ち』(永井紗耶子)_書評という名の読書感想文

『木挽町のあだ討ち』永井 紗耶子 新潮文庫 2025年10月1日 発

『帰れない探偵』(柴崎友香)_書評という名の読書感想文

『帰れない探偵』柴崎 友香 講談社 2025年8月26日 第4刷発行

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑