『地先』(乙川優三郎)_書評という名の読書感想文

『地先』乙川 優三郎 徳間文庫 2022年12月15日初刷

通り過ぎた歳月。その重さ。思いがけない出来事に揺れる男女。
あまたの文学賞を総なめにした名手が贈る至高の短篇集。

絵描きになる夢をあきらめ、平凡な主婦生活を送っていた幸代。娘の作品が美術展に入賞したので上野に連れ立って出かけた。そこで青春時代、芸術家としての才能を信じ、尽くしきった男が、街頭で絵を売っている姿をみる。動揺する幸代が帰宅して描くのは・・・・・・・。(「言葉さえ知っていたら」) 他、御宿を舞台にした 「海の縁」 「地先」 など、苦しみの果てにのぞく希望を繊麗な筆致で描く八篇! (徳間文庫)

作品を通して感じられるのは、たとえていうと海が凪いだような穏やかさ、幾多の起伏を越えて今ある人生の静寂、あるいは諦念、とでもいったものでしょうか。若かった日の取り返しのつかなさと、人はどう折り合いをつけて生きていくのでしょう。その先、再度希望は訪れるのでしょうか。そんなことを考えました。

燃えるような恋心でも刺すような欲望でもない。かすかに疼き、たとえ疼きのまま終わったとしても、羽ばたきのように過ぎて、なんの執着ものこさない。いつか記憶を揺らすことはあっても、激しい痛苦をともなうものではないだろう。
そんな恋愛小説を読みたいですか? 私は読みたい。刹那のうちに充足し、その充足が明日の糧になるわけでもないそんな恋愛を、よく知っているように思うからだ。
(温水ゆかり/解説より)

目次
・海の縁
・まるで砂糖菓子
・ジョジョは二十九歳
・言葉さえ知っていたら
・そうね
・おりこうなお馬鹿さん
・すてきな要素
・地先

御 宿 (おんじゅく)
作品に登場する印象深い土地の名前。千葉県の南東、房総半島の東に位置する小さな町。海岸には約2キロに渡る真っ白な砂浜が広がり、童謡 「月の沙漠」 発祥の地として知られています。

ある日 失わずにすむもの 本作の一年前に発表された短編集。戦争という大きな物語に巻き込まれる前の小さな日常を、ボストン、バンクーバー、バルセロナ近郊の小村、マニラのスラム、パラオと、地球を横断するように点描したもの。(本作とはまるで関係ありません。ただ、中にこれに似た話があり、強く印象に残っています) それが -

ジョジョは二十九歳 実は本作八篇の中に一篇、やや趣きの異なる作品が混ざっています。それが第三話 「ジョジョは二十九歳」。フィリピン人ジョジョの儚い運命を描いたもので、戦争とはまるで関係ないのですが、先に記した 「ある日 失わずにすむもの」 の中の一篇のようで、ジョジョの人生の辛苦や叶わぬ希望を思うと、涙なしでは読めません。

この本を読んでみてください係数 85/100

◆乙川 優三郎
1953年東京都生まれ。
千葉県立国府台高校卒業。

作品 「五年の梅」「生きる」「蔓の端々」「脊梁山脈」「ロゴスの市」「太陽は気を失う」「トワイライトシャッフル」「ある日 失わずにすむもの」他多数

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