『玉蘭』(桐野夏生)_書評という名の読書感想文

公開日: : 最終更新日:2024/01/13 『玉蘭』(桐野夏生), 作家別(か行), 書評(か行), 桐野夏生

『玉蘭』桐野 夏生 朝日文庫 2004年2月28日第一刷

ここではないどこかへ・・・・・・・。東京の日常に疲れ果てた有子は、編集者の仕事も恋人も捨てて上海留学を選ぶ。だが、心の空虚は埋まらない。そんな彼女のもとに、大祖父の幽霊が現れ、有子は、70年前、彼が上海で書き残した日記をひもとく。玉蘭の香りが現在と過去を結び、有子の何かが壊れ、何かが生まれてくる・・・・・・・。(「BOOK」データベースより)

長編小説 『玉蘭』 を読みました。桐野夏生が書いた初めての恋愛小説、そう紹介していいと思います。直木賞を受賞した 『柔らかな頬』 から約2年後に刊行された作品で、従来のミテリーとは一線を画し、新たな境地を開くべくして書かれた 「大人の恋の物語」 です。

まず最初に、タイトルになっている 「玉蘭」 のことを少しだけ。玉蘭は木蓮にも似た白い厚めの花弁で、すっきりと細長く、優雅な釣り鐘のような形をした可憐な花。クチナシにそっくりな甘くて強い芳香を放ち、夏の上海の街角でよく売られている花です。

この小説では、現在と70年前の上海が交錯するように語られるのですが、二つの世界が出会うシーンでは必ずこの花が登場し、その匂いが辺りを満たします。はるかなる時空を超えて異なる時代を繋ぐもの - それが噎せるほどにあまやかな玉蘭の香りでした。

主人公である広野有子は、東京での張りつめた生活に疲れ果て、逃げるようにして上海へやってきます。しかし、日本を離れたからといって彼女の憂鬱が晴れるわけではありません。振り切ってきたはずの恋人・松村行生に対する想いはかえって深まるばかりで、彼の姿が夜毎に浮かんでは消え、有子は上手く眠ることができません。

そんなある日の夜、有子の前に一人の若い男性が現れます。誰もいるはずのない部屋に現れたのはまぎれもない幽霊で、有子の大祖父にあたる広野質(ただし) という人物でした。質は70年前に上海へ渡り、船乗りをしていた人物です。(追って明らかになっていくのですが) 彼もまた宮崎浪子という一人の女性への断ち切れない想いを抱いています。

広野有子と松村行生、かたや広野質と宮崎浪子、上海という異国を舞台に綴られる、時代を隔てた2組の男女の恋愛模様 - 特に有子と浪子という、まるで違う生き方しかできない2人の女性にスポットがあてられ、女性にとっての愛の本質とは何なのかという命題が突きつけられます。

有子は元々優秀な女性ですが、地方の出身者であることに大きな劣等感を抱いています。彼女にとって東京へ出て働くということは、謂わば 「戦争」 であり 「闘争」 だと考えています。そして、恋愛における松村との関係についても、彼女にすれば 「戦い」 のひとつだと感じています。

そんな思い込みのせいで、彼女は自分が感じる、曖昧で言葉にならない感情までをも言葉にせずにはいられません。それで傷つき、深く消耗したりを繰り返した挙句に上海へ行き着くわけです。

一方、浪子という女性は有子とはまるで正反対。言葉よりも肉体の交わりによってより深く繋がろうとする、肉体を晒すことで言葉を曖昧にしてしまうような女性です。

浪子は肺病に冒されていますが、残された命を振り絞って夫である質を愛します。その姿はたくましくもあり、極めて妖艶にも映ります。

異なった時代の、異なる事情で行き合う彼等にとっての唯一の接点となるのが、質が遺した日記帳です。母親から託されたその日記帳を携えて有子は上海へやって来るのですが、彼女はまず27歳の質 (幽霊) と出会い、まるで旧知の仲のように会話を始めます。これが物語の発端です。

物語が進むにつれて、有子と浪子、質と松村の間も、時空を超えた邂逅を果たします。互いに惹かれ合い結ばれる彼等ですが、いずれの恋も成就することなく、やがて終焉を迎えることになります。そのときに至って、有子の混乱や浪子の絶望といったものがどのように変化を遂げているのか、あるいは遂げられずにいるのかを、ぜひ確かめてください。

この本を読んでみてください係数 85/100


◆桐野 夏生
1951年石川県金沢市生まれ。父親の転勤で3歳で金沢を離れ、仙台、札幌を経て中学2年生で東京都武蔵野市に移り住む。
成蹊大学法学部卒業。

作品 「顔に降りかかる雨」「OUT」「グロテスク」「錆びる心」「ジオラマ」「東京島」「IN」「ナニカアル」「だから荒野」「夜また夜の深い夜」「奴隷小説」他多数

関連記事

『黒牢城』(米澤穂信)_書評という名の読書感想文

『黒牢城』米澤 穂信 角川文庫 2024年6月25日 初版発行 4大ミステリランキングすべて

記事を読む

『老後の資金がありません』(垣谷美雨)_書評という名の読書感想文

『老後の資金がありません』垣谷 美雨 中公文庫 2018年3月25日初版 「老後は安泰」のはずだっ

記事を読む

『鍵のない夢を見る』(辻村深月)_書評という名の読書感想文

『鍵のない夢を見る』辻村 深月 文春文庫 2015年7月10日第一刷 誰もが顔見知りの小さな町

記事を読む

『教場2』(長岡弘樹)_書評という名の読書感想文

『教場2』長岡 弘樹 小学館文庫 2017年12月11日初版 必要な人材を育てる前に、不要な人材を

記事を読む

『グ、ア、ム』(本谷有希子)_書評という名の読書感想文

『グ、ア、ム』本谷 有希子 新潮文庫 2011年7月1日発行 北陸育ちの姉妹。長女は大学を出た

記事を読む

『ニュータウンは黄昏れて』(垣谷美雨)_書評という名の読書感想文

『ニュータウンは黄昏れて』垣谷 美雨 新潮文庫 2015年7月1日発行 バブル崩壊前夜に買ってしま

記事を読む

『月桃夜』(遠田潤子)_書評という名の読書感想文

『月桃夜』遠田 潤子 新潮文庫 2015年12月1日発行 この世の終わりなら ふたりの全てが許され

記事を読む

『奇貨』(松浦理英子)_書評という名の読書感想文

『奇貨』松浦 理英子 新潮文庫 2015年2月1日発行 知ってる人は、知っている。・・・たぶん、

記事を読む

『教誨師』 (堀川惠子)_書評という名の読書感想文

『教誨師』 堀川 惠子 講談社文庫 2025年2月10日 第8刷発行 おすすめ文庫王国201

記事を読む

『くらやみガールズトーク』(朱野帰子)_書評という名の読書感想文

『くらやみガールズトーク』朱野 帰子 角川文庫 2022年2月25日初版 「わたし

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

『現代生活独習ノート』(津村記久子)_書評という名の読書感想文

『現代生活独習ノート』津村 記久子 講談社文庫 2025年5月15日

『受け手のいない祈り』(朝比奈秋)_書評という名の読書感想文

『受け手のいない祈り』朝比奈 秋 新潮社 2025年3月25日 発行

『蛇行する月 』(桜木紫乃)_書評という名の読書感想文

『蛇行する月 』桜木 紫乃 双葉文庫 2025年1月27日 第7刷発

『でっちあげ/福岡 「殺人教師」 事件の真相 』(福田ますみ)_書評という名の読書感想文

『でっちあげ/福岡 「殺人教師」 事件の真相 』福田 ますみ 新潮文

『祝祭のハングマン/私刑執行人』(中山七里)_書評という名の読書感想文

『祝祭のハングマン/私刑執行人』中山 七里 文春文庫 2025年5月

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑