『半自叙伝』(古井由吉)_書評という名の読書感想文
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最終更新日:2024/01/12
『半自叙伝』(古井由吉), 作家別(は行), 古井由吉, 書評(は行)
『半自叙伝』古井 由吉 河出文庫 2017年2月20日初版
見た事と見なかったはずの事との境が私にあってはとかく揺らぐ。あるいは、その境が揺らぐ時、何かを思い出しかけているような気分になる - 空襲に怯え、敗戦の焼跡を走りまわった幼年期、文学との出会いと高度経済成長の時代、そして現在まで。老年と幼年、重なりゆく記憶の中に作家は何を読み、自身の創作をどう生きてきたのか。魂の往還から滲む深遠なる思考。◎解説=佐々木中(河出文庫)
何があってか、ふっと、柄にもなくこんな本を読みたいと思うときがあります。普段なら見向きもしないし、読めば読んだで大抵は中途半端で終わってしまう。わかっているのに、つい手に取ってみたくなります。
漠然とした「未練」、はあるのだと思います。私なんぞが言うのもおこがましいのですが、一度は「文章を書くこと」で身を立てたいなどと思ったことがある人なら、そして、それが途方もない夢だと気付いた人なら、大なり小なり必ずある未練のことです。
未練の先の、はるか彼方にいる人がこんなことを言います。
書きながらまたこんなことを考えた。自分の性向(むき)はどうやら短いほうの作品にあるようだが、さりとて短篇というものに固執する了見もない。
短篇の手際といわれる、物を決める目は、実際の人間関係の中に置いて想像すると、好きなものではない。物の実相が見えているようでも、実際には我意の強さを人に困惑され、いたわられ、そのことに当人はいよいよ気がつかない、とたいていはそのようなものだ。
それにまた、この自分が短篇を書くことに淫すれば、おそらく表現に関して、守銭奴のごとくになりかねない。言葉において吝嗇に吝嗇を重ねて、出来あがるのは珠玉か何か知らないけれど、そのストイシズムを自身で検閲する目は、夜中にひとり札を数えて笑うのに似て、しょせん性根は卑しい。
それはかまわないとしても、そうしておのずと煮つまる我意は、作品の内ではそれがきわまって無私の風が吹くがごとくに見せかけることはできても、本人の中では一段とまた荒れまさって、身近の人間にろくな力を及ぼさない。周囲が自分よりも強い人間ばかりならともかく。(「Ⅱ 創作ノート」の「やや鬱の頃」にある文章)
あとに続いて、彼方の人はこうも言います。
若いだけに自身にたいしてずいぶんきつくあたったものだが、短篇を書くことに関しては、いままで通り、それぞれの部分で、これで決まるかと感じるよりはひとつずつ余計に、ひとつずつ相対化して、試論(エッセイ)ふうに書いていきたいと思った。待てよ、俺は短篇など、書いたことがあるのか、と首をかしげもした。(P118)
・・・・・・・・・
朝、勤めに出る道でまっすぐに急いでいるはずの足がときおりふっと、どこかへ逸れそうなふうになるのを、逸れる道もないのにおかしなことだ、と訝ることが重なるようになる。通い馴れた道であれば見馴れているのに不思議はないものを、一瞬、見馴れたという以上の、反復感に苦しむ。
朝早く飯も喰わずに家を出て、途中にある駅前の立喰いの店に寄り、玉ねぎばかりの牛丼を掻き込んでいると、毎度の繰り返しなのに、どことも知れぬところへ逸れてきてしまったような、安堵に似た心地がしきりにしたものだ。(「Ⅰ 半自叙伝」の「道から逸れて」より。古井由吉が31歳の頃の心境を語った部分より抜き書き)
ここだけ読んでも、(私なんぞには)もう、それで十分ではないかと。
この本を読んでみてください係数 80/100
◆古井 由吉
1937年東京生まれ。
東京大学文学部独文科卒業。同大学院人文科学研究科独語独文学専攻修士課程修了。
作品 「杳子・妻隠」「栖」「槿」「中山坂」「仮往生伝試文」「白髪の唄」「哀原」他
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