『何もかも憂鬱な夜に』(中村文則)_書評という名の読書感想文

公開日: : 最終更新日:2024/01/13 『何もかも憂鬱な夜に』(中村文則), 中村文則, 作家別(な行), 書評(な行)

『何もかも憂鬱な夜に』中村 文則 集英社文庫 2012年2月25日第一刷

施設で育った刑務官の「僕」は、夫婦を刺殺した二十歳の未決囚・山井を担当している。一週間後に迫る控訴期限が切れれば死刑が確定するが、山井はまだ語らない何かを隠している-。どこか自分に似た山井と接する中で、「僕」が抱える、自殺した友人の記憶、大切な恩師とのやりとり、自分の中の混沌が描き出される。芥川賞作家が重大犯罪と死刑制度、生と死、そして希望と真摯に向き合った長編小説。(「BOOK」データベースより)

「僕」には、心にかかる何人かの人間がいます。

■ 黙して語らない20歳の未決囚、山井隆二のこと
彼は、新婚の夫婦のマンションに入り込み、28歳の妻を殺し、続けて帰宅した30歳の夫を殺しています。すでに地裁では死刑の判決を受けており、残り僅かになった控訴期限が過ぎれば、彼の死刑は確定します。

山井はなぜ控訴しようとしないのか、その理由が「僕」には分りません。しかし、山井は「語るべき」何かを隠している、「僕」にはそれが分かります。山井は、どこか「僕」に似ているのです。

■ 「僕」に青い大学ノートを残して自殺した友人、真下のこと
「僕」と真下は中学からの友人で、本当に仲良くなったのは「僕」が施設から定時制高校の寮に入り、真下が私立の進学校へ入ってからのことです。

彼が残したノートには、何者にもなれないでいる自分との葛藤、両親との軋轢、思いを寄せる恵子の身体に激しく焦がれる感情などが綿々と綴られています。思い通りにならない人生を宿命だと嘆き、包丁を買い、恵子の服を裂いて両親を殺すことを夢想しています。

小説では15ページ近くにも及ぶのですが、真下の内なる叫びは、聡明でやや早熟な10代の若者を代表するような内容で、限りなく自身の生き難さを嘆くものになっています。

■ 「僕」を騙した服役囚、佐久間のこと
佐久間は真面目な服役囚でした。その佐久間が、仮釈放が近いある日、重大な規律違反にあたる事件を起こします。他の収容者に頼まれたこととは言え、本来は見逃すわけにはいかないのですが、「僕」はしばらく迷った末にその事件をもみ消す決心をします。

ところが、佐久間は仮出所したあと、またすぐに逮捕されます。警察が取調べた結果、佐久間が単なる空き巣狙いではなく、連続婦女暴行事件の犯人だったことが判明します。佐久間は、最初から「僕」を騙すつもりで、「僕」を観察していたのです。
・・・・・・・・・・
そしてもう一人が、「僕」が施設にいた頃に出会った「あの人」です。「あの人」とは、施設の責任者である施設長のことです。

施設長は、かつて死のうとした「僕」の頭をつかんでこう言いました。「自殺と犯罪は、世界に負けることだから」・・・「社会を見返せばいい。純粋な人間になんて、ならなくてもいい」- そうも言ったのです。

しかし、「僕」はそれでも死のうと考えていたのです。死の先にこそ、救いがあると思っていました。そんな「僕」に向かって、施設長は奇妙な話を始めます。「おまえはアメーバみたいだったんだ。わかりやすく言えば」- 話は、そんな風に始まります。

温度と水と光、他にも色々なものが合わさってできたのが生き物で、それは途方もない確率の上に成り立つ奇跡であると。その命がやがて人間になり、時代を経て、今のお前に繋がっている - お前とアメーバが一本の長い線で繋がっているのは凄まじい奇跡で、もしその線がどこかで途切れていたら、今のお前はいないのだと言います。

「現在というのは、どんな過去にも勝る。そのアメーバとお前を繋ぐ無数の生き物の連続は、その何億年の線という、途方もない奇跡の連続は、いいか? 全て、今のお前のためだけにあった、と考えていい」

そう言った後、「この世界にどれだけ素晴らしいものがあるのかを、お前はまだ知らない」だから「俺が言うものは全部見ろ」と命じるのでした。
・・・・・・・・・・
自分はいつか、何かをやらかすかもしれない - 「僕」は、そんな不安を抱えて生きています。時折沸き起こる激しい暴力衝動を抑えきれず、刑務官という仕事にも限界を感じています。

生きていた頃の真下は「僕」に向かって、「お前は俺に似ている」「だから、ただじゃ済まない」と言い続けたのです。「本当のお前を施設長の言葉で誤魔化しても、いつか絶対にガタがくる」とも言いました。

佐久間にはこんなことを言われます。-「あなたは、どちらかと言えば、こっち側の人間です。初めて見た時から、気がついていた」「真っ当ではないはずですよ。あなたは何かを、ずっと夢想している」
・・・・・・・・・・
真下がそうであったように、言い知れぬ生き難さに囲まれた今の「僕」は、身動きできずに苦しんでいます。

それでも、あるいはそれ故に、「僕」は、山井を捨て置くことができません。いずれ死刑になると分かっているのに、山井に向かって、「僕」はあくまで控訴をしろと促します。真実を語り、それから死刑になれと言うのです。

※ 解説は今を時めく、あの又吉直樹です。彼の文章も貴重ですが、もう一つ、「僕」が主任に誘われて行った居酒屋で聞く「死刑執行の任務」についての話。これは強烈です、ぜひ読んでみてください。

この本を読んでみてください係数 85/100


◆中村 文則
1977年愛知県東海市生まれ。
福島大学行政社会学部応用社会学科卒業。

作品 「銃」「遮光」「悪意の手記」「迷宮」「土の中の子供」「王国」「掏摸〈スリ〉」「悪と仮面のルール」「最後の命」「去年の冬、きみと別れ」他多数

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