『白いしるし』(西加奈子)_書評という名の読書感想文

『白いしるし』西 加奈子 新潮文庫 2013年7月1日発行


白いしるし (新潮文庫)

 

【夏目香織】
夏目は32歳の独身で、恋人もいません。アルバイトをしながら、金にならない絵を描いています。はやく結婚しろという親からの催促を気にかけながらも、幸か不幸か、アルバイト先には同じような境遇の人が多く働いているということもあって、焦る気持ちに火がつかないでいます。

地元の友人はほとんど結婚して子供もいるのですが、集まれば、育児の大変さや姑への愚痴、浮気を繰り返す夫への不満ばかり。「結婚してからのほうがしんどいこと多いで、あんたギリギリまで独身でおったらええねん」- 結局はこう言われるのです。

もう十分ギリギリちゃうのんか - と思う夏目ですが、確かに彼女たちを見ていると、貧乏でも恋人がいなくても、自由に行動でき、それなりに出会いのある今の生活の方が、自分にとっては魅力的であるかも知れない、と思ったりしています。

 

【瀬田】
夏目にとって気のおけない男友だちである瀬田は、女性誌やカルチャー誌で活躍している写真家です。同郷で、同じ年齢ということもあって、いつの間にか二人で飲んだりメールのやりとりをするような仲になっています。

明朗というわけでもなく、いつも不遜といっていい態度なのですが、話はとても面白く、信頼できる人間なので、誰でもが瀬田の友だちになりたがります。そしてその輪が、いつの間にか周りにも広がっているのです。

気がつけば心の中にするりと入ってくる、その様子に微塵も嫌らしさや不自然さがない人柄の瀬田 - だから彼に誘われると、夏目はいつも、屈託なく会いに行くことができるのです。そんな瀬田から、夏目は一枚のフライヤーを貰います。

 

【間島昭史】
「夏目が好きそうな絵を描く」- そう言って瀬田がくれたフライヤーは、真っ白い地に、黒いゴシックで、『間島昭史 作品展』という文字と、隅の方に小さく、ギャラリーの情報が書かれているだけのものでした。

「絵を描く人やのに、フライヤーに絵まったく載ってへんのって、おかしない」と訊くと、瀬田は「あ、ほんまやな」と呑気に言うので、夏目は思わず笑ってしまいます。「でも、夏目、絶対好きやから」-「夏目の絵も俺好きやけど、こいつの絵も、ほんまに、ええねん」

夏目が描いているのは、派手な色使いの、泥臭い油絵です。いつも黒か白、シンプルで、センスの良い服を着ている瀬田が、なぜそんな彼女の絵を好きでいてくれるのかは分からないのですが、友人に薦め、何枚か買わせてくれたことまであるのです。

・・・・・・・・・・

間島の絵は、夏目が描いている絵とは対極にあるような絵です。しかし、瀬田の予言通り、夏目は間島の描いた「しろい」絵が一瞬で好きになります。それは、すごい絵を見た、嬉しい、という気持ちと、こんな絵を描く人がいるのだという驚き、そして多分に、甘い嫉妬の感情が入っています。夏目は絵の前から動けないでいます。

この『白いしるし』という小説は、そんな夏目の、間島に対する、全身全霊の恋の物語です。夏目は『間島昭史』の絵が好きになり、やがて、その絵を描いた『間島昭史』に恋をします。

但し、気にかけておくべきことは、彼女がもうそんなに若くはないということです。実は、間島に出会う前の夏目は失恋を繰り返しており、そのせいで誰かにのめりこんで傷つくことを恐れ、長い間恋を遠ざけていたのです。

相手への想いが強い分沸き上がる疑念や嫉妬に身を削り、幼稚な罵詈雑言のやり取りに終始するような恋愛 - そんな境地には二度と近づきたくないと思っています。次に恋人を得るなら、穏やかな、凪の海みたいな恋愛をしたい、夏目はそう思っていたのです。

だから -『間島昭史』には、会うまい。そう自分に言い聞かせて、夏目は日々をやり過ごしています。「あの人に会うのは危険である」というシグナル。その一方では「会いたい」と願う、まことにシンプルな欲求。はてさて、夏目のやせ我慢はどれほど続くものやら・・・。

 

この本を読んでみてください係数 80/100


白いしるし (新潮文庫)

◆西 加奈子
1977年イラン、テヘラン生まれ。エジプト、大阪府堺市育ち。
関西大学法学部卒業。

作品 「あおい」「さくら」「きいろいゾウ」「窓の魚」「円卓」「漁港の肉子ちゃん」「きりこについて」「通天閣」「炎上する君」「ふくわらい」「サラバ!」他

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