『二度のお別れ』(黒川博行)_書評という名の読書感想文

公開日: : 最終更新日:2024/01/13 『二度のお別れ』(黒川博行), 作家別(か行), 書評(な行), 黒川博行

『二度のお別れ』黒川 博行 創元推理文庫 2003年9月26日初版

銀行襲撃は壮大なスケールの誘拐事件へと変貌を遂げた - 4月1日午前11時34分、三協銀行新大阪支店に強盗が侵入。400万円を奪い、取り押さえようとした客の一人をピストルで撃った後、負傷した彼を人質にして逃走した。大阪府警捜査一課は即刻追跡を開始するが、強奪金額を不服として犯人は新たに人質の身代金1億円を要求、かくして犯人と捜査陣による虚々実々の知恵比べが始まる。大阪府警捜査一課第六係所属、通称〈黒マメコンビ〉の2人が行き着いた意外な真相とは? トリッキーかつ軽妙な会話が魅力の〈大阪府警捜査一課〉連作第一弾。著者の記念すべきデビュー作! (創元推理文庫解説より)

この作品が世に出たのは1984年。思えばあっと言う間の32年、ずいぶん昔のことになりました。ちょうどこの小説が単行本になった頃のこと、兵庫県西宮市で発生し、日本中を震撼させた脅迫事件「グリコ・森永事件」を、みなさんは覚えておられるでしょうか。

当時、世間はこの事件の話題で持ち切り、ちょっとしたパニック状態でした。江崎グリコの社長が誘拐されたのもそうなら、犯人が企てた、小売店に青酸入り菓子を置くという手段がショッキングで、市井に暮らす人々を等しく恐怖に陥れます。

社長を誘拐して身代金を要求した後、犯人は会社に対して脅迫や放火を起します。現金の引き渡しにおいては次々と指定場所を変えるのですが、犯人は一度として現れません。それらしき人物が目撃されもするのですが、結局犯人の正体は分らず仕舞いに終わります。
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江崎グリコの社長が誘拐されたのが3月18日。それから半月程後の4月2日、江崎宅に差出人不明の脅迫状が届きます。内容は4月8日に指定場所へ現金6,000万円を持って来いというもの。警察が張り込むものの、犯人は現れません。

同日、犯人グループから大阪の毎日新聞とサンケイ新聞へ手紙が届きます。(これはマスコミ宛てに世間一般への公開を前提とした初めての挑戦状として注目を浴びます。)

4月23日、江崎グリコに1億2,000万円を要求する脅迫状が届きます。現金の受渡し日は翌24日。その日犯人は、レストランから高速サービスエリア、電話ボックスと、現金を積んだ車をたらい回しにするのですが、やはり現場には現れません。

この日、マスコミ宛てには2回目の挑戦状が送られており、これ以後、犯人グループは「かい人21面相」と名乗るようになります。

その後犯人は、丸大食品、森永製菓、ハウス食品、不二家、駿河屋など、次々と標的を変えては脅迫を繰り返し、事件は年を跨いで翌85年まで続きます。捜査途中にはあと一歩のところまで犯人を追い詰めるような場面もあるのですが捕まえ切れず、経過すること15年後の2000年2月、遂には全ての事件の公訴時効が成立し事件は迷宮入りとなります。
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なぜこんなに「グリコ・森永事件」を説明するかと言いますと、(知ってる人は知っているのですが)この事件に出てくる脅迫状と『二度のお別れ』に出てくるそれとが非常に似ているというので、当時黒川博行は大迷惑を被ったという逸話があるからです。

脅迫文の調子ばかりでなく身代金の受取り方法にも似た部分があり、それが週刊誌などで話題になったのはいいにしても、ことさらその部分だけを取り出して詮索されるのがうっとうしくて仕方なかったと言います。

それだけならまだしも、とうとう合同捜査本部から兵庫県警の警部補と茨木署の刑事がやって来て、「この本を書くにあたって、アイデアとか筋書きを誰かに話した憶えはないか」と訊いたそうです。

さらに(たとえ冗談であろうとも)「おたくが犯人やったら簡単やのに」とまで刑事が言うに及んで、いつか茨木署に石を投げてやろうと心に決めたと言います。

無礼を承知で言うなら作家冥利に尽きるといったところですが、要は何かしら犯人と関わりがあるやも知れない人物として疑われたわけです。本人にしてみれば、憤慨して当然なのです。

しかし、はからずもそのことは、いかにこの小説がリアルであるのか、何気ない会話や一見どうでもいいようなやり取りでさえ、実はそんなことの積み重ねこそが日々の在り様だというのを、何よりこの小説が証明していることになりはしないでしょうか。

これは後々の話題作『後妻業』でも似たようなことが起こります。『後妻業』は、年増の女が財産目当てにやもめ暮らしの老人を誑かしては次々に殺害していくというストーリーなのですが、この本が出た直後、まさに小説を地でいくような事件がニュースになります。

女がそうなら、事件の一々も小説そっくりで、(警察云々はなかったものの)ひょっとしたら黒川博行は前から事件のあらましを知った上で『後妻業』を書いたのでないか、などというとんでもないデマが飛び交ったりしたのです。

いずれにせよ、初めて書いた小説がこんな形で取り上げられたのは、おそらく他に例のないことだと思います。『二度のお別れ』とは、そんな小説です。ただし、結末だけはそうではありません。予想もつかない、どんでん返しが待っています。

この本を読んでみてください係数 85/100


◆黒川 博行
1949年愛媛県今治市生まれ。6歳の頃に大阪に移り住み、現在大阪府羽曳野市在住。
京都市立芸術大学美術学部彫刻科卒業。妻は日本画家の黒川雅子。

作品「左手首」「雨に殺せば」「ドアの向こうに」「絵が殺した」「迅雷」「離れ折紙」「疫病神」「国境」「悪果」「螻蛄」「文福茶釜」「煙霞」「暗礁」「破門」「後妻業」「勁草」他多数

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