『マチネの終わりに』(平野啓一郎)_書評という名の読書感想文

公開日: : 最終更新日:2024/01/12 『マチネの終わりに』(平野啓一郎), 作家別(は行), 平野啓一郎, 書評(ま行)

『マチネの終わりに』平野 啓一郎 朝日新聞出版 2016年4月15日第一刷

物語は、中年にさしかかった天才的クラシック・ギタリスト、蒔野聡史(38)とフランスのRFP通信社で働く国際的ジャーナリスト、小峰洋子(40)が出会うところから始まります。

二人はすぐに惹かれ合うのですが、このとき洋子には、すでに約束を交わした婚約者がいます。叶わぬ恋ではありながら、それでも二人は(体ではなく)心で愛を確かめ合い、やがてかけがえのない存在になっていきます。

しかし、蒔野は若き天才であるが故のスランプに陥り、思うような演奏ができなくなります。一方洋子は、アメリカのイラク侵攻後のバグダッドへの赴任経験に端を発するPTSDの兆候に苛まれ、人知れず体の不調に苦しんでいます。

互いの立場や今ある状況、もう若くはないという現実 - それらの障害は、二人の前に容赦なく立ちはだかります。傷つき、惑う度に、繰り返し思い出すのは、初めて出会ったあの特別な夜のこと・・・・。

確かに愛しているのがわかるのに、二人はすれ違い、やがて関係は疎遠になって行きます。

結婚した相手は、人生最愛の人ですか?
ただ愛する人と一緒にいたかった。なぜ別れなければならなかったのか。読者を虜にする万感のラスト! 切なすぎる大人の恋の物語。(「BOOK」データベースと帯文より)

二人の思いは、一旦成就するかにみえます。洋子は先の婚約を解消し、蒔野とのみ向き合うことを決心します。遠く離れた地にあって、二人はそれでも揺るぎない関係を築いていくようにみえるのですが、事はそう簡単には運びません。思わぬことで、状況は一気に反転します。

思うに、大人の恋のすべてがここにはあります。蒔野と洋子はもう若くはありません。しかし、その分知性と理性があります。しかし、それらは時として弊害となり、二人の行く手を阻むことにもなります。彼らは、思いのほか純情です。

それを、著者はこんなふうに表したりします。

なるほど、恋の効能は、人を謙虚にさせることだった。年齢とともに人が恋愛から遠ざかってしまうのは、愛したいという情熱の枯渇より、愛されるために自分に何が欠けているかという、十代の頃ならば誰もが知っているあの澄んだ自意識の煩悶を鈍化させてしまうからである。

そして、- 美しくないから、快活でないから、自分は愛されないのだという孤独を、仕事や趣味といった〈取柄〉は、そんなことはないと簡単に慰めてしまう。そうして人は、ただ、あの人に愛されるために美しくありたい、快活でありたいと切々と夢見ることを忘れてしまう - といいます。しかし

あの人に値する存在でありたいと願わないとするなら、恋とは一体、何だろうか?

などと。(もう、こんな言葉のオンパレード!! 恋に関するどんな指南書より、あんなこと、こんなことが解説してあります。恋に臆病なあなた。恋が何たるかが未だ理解できないでいるあなたにこそぜひ読んでほしいと思います)

二人がそれまで面と向かって話したのは、ほんの数回のことです。それでも二人はやがて結婚を決意します。しかし、その決意は思わぬ人物の、思わぬ作為によって阻まれてしまうことになります。二人はその事実を知りません。

相手にとって自分の何が不都合だったのか - 二人の思いは終始自省へと行き着き、直接会って話そうとはしません。互いがあまりに思慮深く、相手を強く思うほどに、二人の距離は段々と遠くなっていきます。

さて、皆さんならどうでしょう。振り返ってみて、あなたにとってある人との出会いがあなたの人生に強烈な影響を与え、二度と会うことがなくても、その出会いに報いる生き方をしなければとずっと思ってきた - そんなことはないでしょうか?

ずっとずっと心の片隅にあって、ふとした瞬間に思い出す、忘れたくても忘れられない恋が、あるいは人が、ありはしないでしょうか。

この本を読んでみてください係数  85/100

◆平野 啓一郎
1975年愛知県生まれ。
京都大学法学部卒業。

作品 「日蝕」「葬送」「滴り落ちる時計たちの波紋」「決裂」「ドーン」「空白を満たしなさい」「透明な迷宮」など

関連記事

『マザコン』(角田光代)_書評という名の読書感想文

『マザコン』角田 光代 集英社文庫 2010年11月25日第一刷 この小説は、大人になった息子や

記事を読む

『ブラックライダー』(東山彰良)_書評という名の読書感想文_その1

『ブラックライダー』(その1)東山 彰良 新潮文庫 2015年11月1日発行 ここは、地球の歴

記事を読む

『少年と犬』(馳星周)_書評という名の読書感想文

『少年と犬』馳 星周 文藝春秋 2020年7月25日第4刷 傷つき、悩み、惑う人び

記事を読む

『夜は終わらない』上下 (星野智幸)_書評という名の読書感想文

『夜は終わらない』上下 星野 智幸 講談社文庫 2018年2月15日第一刷 「婚約者が自殺した」と

記事を読む

『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(ブレイディみかこ)_書評という名の読書感想文

『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』ブレイディみかこ 新潮文庫 2021年7月1日発行

記事を読む

『ノワール 硝子の太陽 〈ジウ〉サーガ8 』(誉田哲也)_書評という名の読書感想文

『ノワール 硝子の太陽 〈ジウ〉サーガ8 』誉田 哲也 中公文庫 2018年12月25日 初版発行

記事を読む

『ジウⅡ 警視庁特殊急襲部隊 SAT 』(誉田哲也)_書評という名の読書感想文

『ジウⅡ 警視庁特殊急襲部隊 SAT 』誉田 哲也 中公文庫 2021年2月25日 改版発行

記事を読む

『芽むしり仔撃ち』(大江健三郎)_書評という名の読書感想文

『芽むしり仔撃ち』大江 健三郎 新潮文庫 2022年11月15日52刷 ノーベル文

記事を読む

『御不浄バトル』(羽田圭介)_書評という名の読書感想文

『御不浄バトル』羽田 圭介 集英社文庫 2015年10月25日第一刷 僕が入社したのは、悪徳ブ

記事を読む

『村に火をつけ、白痴になれ/伊藤野枝伝』(栗原康)_書評という名の読書感想文

『村に火をつけ、白痴になれ/伊藤野枝伝』栗原 康 岩波現代文庫 2024年7月16日 第6刷発行 

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

『曾根崎心中/新装版』(角田光代 原作 近松門左衛門)_書評という名の読書感想文

『曾根崎心中/新装版』角田 光代 原作 近松門左衛門 リトルモア 2

『枯木灘』(中上健次)_書評という名の読書感想文

『枯木灘』中上 健次 河出文庫 2019年10月30日 新装新版3刷

『僕の女を探しているんだ』(井上荒野)_書評という名の読書感想文

『僕の女を探しているんだ』井上 荒野 新潮文庫 2026年1月1日

『この本を盗む者は』(深緑野分)_書評という名の読書感想文

『この本を盗む者は』深緑 野分 角川文庫 2025年11月5日 8版

『いつも彼らはどこかに』(小川洋子)_書評という名の読書感想文

『いつも彼らはどこかに』小川 洋子 新潮文庫 2025年11月25日

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑