『マチネの終わりに』(平野啓一郎)_書評という名の読書感想文

『マチネの終わりに』平野 啓一郎 朝日新聞出版 2016年4月15日第一刷


マチネの終わりに

物語は、中年にさしかかった天才的クラシック・ギタリスト、蒔野聡史(38)とフランスのRFP通信社で働く国際的ジャーナリスト、小峰洋子(40)が出会うところから始まります。

二人はすぐに惹かれ合うのですが、このとき洋子には、すでに約束を交わした婚約者がいます。叶わぬ恋ではありながら、それでも二人は(体ではなく)心で愛を確かめ合い、やがてかけがえのない存在になっていきます。

しかし、蒔野は若き天才であるが故のスランプに陥り、思うような演奏ができなくなります。一方洋子は、アメリカのイラク侵攻後のバグダッドへの赴任経験に端を発するPTSDの兆候に苛まれ、人知れず体の不調に苦しんでいます。

互いの立場や今ある状況、もう若くはないという現実 - それらの障害は、二人の前に容赦なく立ちはだかります。傷つき、惑う度に、繰り返し思い出すのは、初めて出会ったあの特別な夜のこと・・・・。

確かに愛しているのがわかるのに、二人はすれ違い、やがて関係は疎遠になって行きます。

結婚した相手は、人生最愛の人ですか?
ただ愛する人と一緒にいたかった。なぜ別れなければならなかったのか。読者を虜にする万感のラスト! 切なすぎる大人の恋の物語。(「BOOK」データベースと帯文より)

二人の思いは、一旦成就するかにみえます。洋子は先の婚約を解消し、蒔野とのみ向き合うことを決心します。遠く離れた地にあって、二人はそれでも揺るぎない関係を築いていくようにみえるのですが、事はそう簡単には運びません。思わぬことで、状況は一気に反転します。

思うに、大人の恋のすべてがここにはあります。蒔野と洋子はもう若くはありません。しかし、その分知性と理性があります。しかし、それらは時として弊害となり、二人の行く手を阻むことにもなります。彼らは、思いのほか純情です。

それを、著者はこんなふうに表したりします。

なるほど、恋の効能は、人を謙虚にさせることだった。年齢とともに人が恋愛から遠ざかってしまうのは、愛したいという情熱の枯渇より、愛されるために自分に何が欠けているかという、十代の頃ならば誰もが知っているあの澄んだ自意識の煩悶を鈍化させてしまうからである。

そして、- 美しくないから、快活でないから、自分は愛されないのだという孤独を、仕事や趣味といった〈取柄〉は、そんなことはないと簡単に慰めてしまう。そうして人は、ただ、あの人に愛されるために美しくありたい、快活でありたいと切々と夢見ることを忘れてしまう - といいます。しかし

あの人に値する存在でありたいと願わないとするなら、恋とは一体、何だろうか?

などと。(もう、こんな言葉のオンパレード!! 恋に関するどんな指南書より、あんなこと、こんなことが解説してあります。恋に臆病なあなた。恋が何たるかが未だ理解できないでいるあなたにこそぜひ読んでほしいと思います)

二人がそれまで面と向かって話したのは、ほんの数回のことです。それでも二人はやがて結婚を決意します。しかし、その決意は思わぬ人物の、思わぬ作為によって阻まれてしまうことになります。二人はその事実を知りません。

相手にとって自分の何が不都合だったのか - 二人の思いは終始自省へと行き着き、直接会って話そうとはしません。互いがあまりに思慮深く、相手を強く思うほどに、二人の距離は段々と遠くなっていきます。

さて、皆さんならどうでしょう。振り返ってみて、あなたにとってある人との出会いがあなたの人生に強烈な影響を与え、二度と会うことがなくても、その出会いに報いる生き方をしなければとずっと思ってきた - そんなことはないでしょうか?

ずっとずっと心の片隅にあって、ふとした瞬間に思い出す、忘れたくても忘れられない恋が、あるいは人が、ありはしないでしょうか。

 

この本を読んでみてください係数  85/100


マチネの終わりに

 

◆平野 啓一郎
1975年愛知県生まれ。
京都大学法学部卒業。

作品 「日蝕」「葬送」「滴り落ちる時計たちの波紋」「決裂」「ドーン」「空白を満たしなさい」「透明な迷宮」など

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