『偏愛読書館/つかみどころのない話』(林雄司)_書評という名の読書感想文
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『偏愛読書館/つかみどころのない話』(林雄司), 作家別(は行), 書評(は行), 林雄司
『偏愛読書館/つかみどころのない話』林 雄司 本の話WEB 2016年5月12日配信
http://hon.bunshun.jp/articles/-/4817
これは「本」ではありません。たまたま「ネット」で見つけたエッセイなのですが、えらく面白いのです。(相手はプロですから当然なのですが)なんて上手なんだろう、何でこんなにさらりと書けるんだろうと感心せずにはいられないのです。
最初は林雄司さん自らの話で始まります。
林さんのお父さんは亡くなるちょっと前まで子どもの頃から通っていた床屋に行っていたそうです。聞くと、店の主人は手作りのうるか(鮎の内臓の塩辛)をくれるといいます。
「でも砂が入っているから歯で濾して食べないとだめだ」
お父さんはそう言います。手作りらしいエピソードです。でも、うまいんでしょ? と林さんが聞くと、
「ものすごくしょっぱくて味なんてわからない」と答えます。じゃあ床屋の腕がいいのか。林さんはそう納得したのですが、お母さんが口を挟みます。「ものすごく下手。刈り上げなんてトラ刈りになっていたことあるもん」
林さんは - なんだなんだ。なんでそんな床屋に行っていたのか。この話のぼんやりしたつかみどころのなさはなんだ - と思います。しかし、・・・・
林さんはこうも思うのです - でもそういう話に限って憶えている。現実はきれいなオチなんてないし、たいていまとまりがない。
世界とはそういうもので、本を読んでいてストーリーや言いたいことがしっかりしていると警戒してしまうと林さんは言い、醒める、と言います。
・・・・・・・・・・
次は、岸政彦という人の『断片的なものの社会学』という本の話。
そこに描かれているのはリアルなだけの市井の人たちの話。つかみどころがないし、たまにいい話で感動しようとするとするっと逃げてしまう。階段がもう一段あると思って足を出したらなかったときのようにスルっとなる、そんな話です。
家を飛び出した妻を追いかけて新幹線に乗る男の話で、重度の閉所恐怖症だった男は不安を解消するために駅でエロ本を買います。新幹線のなかでパニックになったときにエロ本の袋とじを開けることにして数時間の新幹線に耐え、妻と再会して号泣するという話なのですが、
このエピソードの最後、その袋とじは「パイパンの特集でした。」と書かれていたそうです。
そこで林さん - 感動的なところに突然現れるパイパン。フィクションならおそらく書き換えられるところ。でもそのひょっとこな感じが現実らしくて愛おしい、と言います。
次は、宮田珠己という人の『旅の理不尽』という本の中から。
これはアジア各地を旅した旅行記ですが、ミャンマーのエピソードは遺跡をめぐる馬車に乗ったら馬が歩くたびに屁をしたという話です。遺跡についての描写はあまりなく、屁。別の馬車に乗ったらそれも屁こき馬だったという話。
これはいい景色を見てもガイドブックと同じだなと思うだけで、記憶に残るのは屁みたいな理解をこえた混乱だという話なのですが、このあとが深い。その混乱をなんとか受け入れると自分が更新されたような気持ちになるといい、寛容さが増す気がするというのです。
最後。再び林さん自身が経験した話。
むかし大雪が降った日に道端で倒れている男性を見つけたことがあるといいます。人通りの少ない道でこのままだと危ない状況です。
「大丈夫ですか? どこか悪いんですか? 」と声をかけられた男性は、
「うん、頭が悪い」と答えたそうです。
林さん、しばしフリーズ。
こんな死が見えている状況で、このうまい受けこたえ。しかも初対面で。林さんはわけがわかりません。そんなありきたりの言葉でしか気持ちを説明できないのが悔しいぐらいわけがわからないでいます。うまい返しが一切できず、交番まで行って警察官を呼んだといいます。そして、なんだか「負けた気分」になります。
本当はもう一つ科学雑誌「ニュートン」に載った小腸の話というのがあるのですが、それは省略。
このエッセイの結論を言いますと、いずれの話にも教訓がないということ。教訓がない本は読んでも行動を変えなくてもいいので楽である、というのが林さんのまとめで、「ただ読んで困っていればいいのだから」と結んでいます。
どうです? なんだか読んで得した気がしません?
この記事を読んでみてください係数 85/100
◆林 雄司
1971年東京生まれ。
デイリーポータルZ編集長。主な著作に「死ぬかと思った」シリーズ。
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