『平凡』(角田光代)_書評という名の読書感想文
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最終更新日:2019/08/14
『平凡』(角田光代), 作家別(か行), 書評(は行), 角田光代
『平凡』角田 光代 新潮文庫 2019年8月1日発行
妻に離婚を切り出され取り乱す夫と、その心に蘇る幼い日の記憶 (「月が笑う」)。人気料理研究家になったかつての親友・春花が、訪れた火災現場跡で主婦の紀美子にした意外な頼みごと (「平凡」)。飼い猫探しに親身に付き添うおばさんが、庭子に語った息子とおにぎりの話 (「どこかべつのところで」)。人生のわかれ道をゆき過ぎてなお、選ばなかった 「もし」 に心揺れる人々を見つめる六つの物語。(新潮文庫)
もし、〇〇していたら。もし、〇〇しなかったら。そんな風に考えてみたことが一度もないという人はいないだろう。
人生は無数の選択から成り立っている。生きるか死ぬか、みたいな大げさなことでなくても、信号が点滅する横断歩道を急いで渡るか見送るか、街角で配られるティッシュを受け取るかどうかといったささいなことでもその都度、決断を迫られる。そうと気づかぬうちに私たちは岐路に立たされ、何かを選びとり、そうした積み重ねで人ひとりの人生は出来上がっていく。
「こともなし」 の聡子は、幸せそうに家庭を営む自分の姿を毎日、ブログにつづる (そうありたい自分の姿だけ選んで載せるブログも 「もうひとつの人生」 のバリエーションのひとつだ)。自分がブログを読ませたいのは、自分をふった恋人でも恋人が好きになった相手でもなく、「『もし』 で別れた、選ばなかった私自身だ」 と聡子は気づく。今、手にしているこの時間の流れだけが、自分の人生なのだ。
そう思うには、そう思うに足る時間が必要です。ある程度の年齢になり、相応に経験を積み重ねた結果、初めてそうと気付くのでしょう。
若い人。まだまだ続く長い人生の渦中にあるならそうはいきません。彼らにとっての 「平凡」 は、大抵が自分の思う理想と真逆に位置するもので、面白味の欠片も無い人生の代名詞でしかありません。
ありきたりな平凡が、かけがえのないものへと意味を変える - そのきっかけはどこにあるのでしょう? 振り返り、人はどんなときにその感慨に耽ることになるのでしょう。
とてもわかる、いくつかの “事例” があります。なるだけ順番に読み、最後に 「どこかべつのところで」 を読んでみてください。
そして表題作の 「平凡」 である。パート勤めの紀美子が住む地方都市を、人気料理研究家になった同級生の春花が訪ねてくる。紀美子にとっては 「モノクロだった世界に急に色がついたように感じられる」 ほどの大事件である。
春花がこの街を訪問したのは紀美子に会うためではなく別の理由があった。春花と紀美子の間には、互いに 「もうひとつの人生」 を考えてもおかしくはないいきさつがある。
著名人となった春花だが、自分を選ばなかった交際相手にかけた 「呪い」、「不幸になれ」 と願ったその不幸の程度を聞かれて答えたのが 「平凡」、「ど平凡」 という言葉だ。
もしかしたらそれは、かつての紀美子に向けられた言葉だったのかもしれない。人生に無限の可能性を見ているとき、「平凡」 は確かに呪いの言葉だったろう。けれどもある程度、年を重ねてみればその言葉は祈りや祝福に似ていると気づく。これといったドラマチックなことが起こらなくても、当たり前に毎日を送れることがいかに幸せか知った後では。
最後の 「どこかべつのところで」 で、いなくなった飼い猫を探す庭子は、猫を見かけたという依田愛という女性と知り合う。自分の一瞬の不注意を悔やむ庭子は、依田の話を聞き、彼女の 「もし〇〇しなかったら」 が、とてつもなく重い意味を持つことを知る。(以下略/解説より抜粋)
この本を読んでみてください係数 85/100
◆角田 光代
1967年神奈川県横浜市生まれ。
早稲田大学第一文学部文芸専修卒業。
作品 「空中庭園」「かなたの子」「対岸の彼女」「紙の月」「八日目の蝉」「笹の舟で海をわたる」「ドラママチ」「愛がなんだ」「坂の途中の家」他多数
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