『平凡』(角田光代)_書評という名の読書感想文

公開日: : 最終更新日:2024/01/09 『平凡』(角田光代), 作家別(か行), 書評(は行), 角田光代

『平凡』角田 光代 新潮文庫 2019年8月1日発行

妻に離婚を切り出され取り乱す夫と、その心に蘇る幼い日の記憶 (「月が笑う」)。人気料理研究家になったかつての親友・春花が、訪れた火災現場跡で主婦の紀美子にした意外な頼みごと (「平凡」)。飼い猫探しに親身に付き添うおばさんが、庭子に語った息子とおにぎりの話 (「どこかべつのところで」)。人生のわかれ道をゆき過ぎてなお、選ばなかった 「もし」 に心揺れる人々を見つめる六つの物語。(新潮文庫)

もし、〇〇していたら。もし、〇〇しなかったら。そんな風に考えてみたことが一度もないという人はいないだろう。
人生は無数の選択から成り立っている。生きるか死ぬか、みたいな大げさなことでなくても、信号が点滅する横断歩道を急いで渡るか見送るか、街角で配られるティッシュを受け取るかどうかといったささいなことでもその都度、決断を迫られる。そうと気づかぬうちに私たちは岐路に立たされ、何かを選びとり、そうした積み重ねで人ひとりの人生は出来上がっていく。

こともなしの聡子は、幸せそうに家庭を営む自分の姿を毎日、ブログにつづる (そうありたい自分の姿だけ選んで載せるブログももうひとつの人生のバリエーションのひとつだ)。自分がブログを読ませたいのは、自分をふった恋人でも恋人が好きになった相手でもなく、「『もし で別れた、選ばなかった私自身だ と聡子は気づく。今、手にしているこの時間の流れだけが、自分の人生なのだ。

そう思うには、そう思うに足る時間が必要です。ある程度の年齢になり、相応に経験を積み重ねた結果、初めてそうと気付くのでしょう。

若い人。まだまだ続く長い人生の渦中にあるならそうはいきません。彼らにとっての 「平凡」 は、大抵が自分の思う理想と真逆に位置するもので、面白味の欠片も無い人生の代名詞でしかありません。

ありきたりな平凡が、かけがえのないものへと意味を変える - そのきっかけはどこにあるのでしょう? 振り返り、人はどんなときにその感慨に耽ることになるのでしょう。

とてもわかる、いくつかの “事例” があります。なるだけ順番に読み、最後に 「どこかべつのところで」 を読んでみてください。

そして表題作の 平凡である。パート勤めの紀美子が住む地方都市を、人気料理研究家になった同級生の春花が訪ねてくる。紀美子にとってはモノクロだった世界に急に色がついたように感じられるほどの大事件である。

春花がこの街を訪問したのは紀美子に会うためではなく別の理由があった。春花と紀美子の間には、互いにもうひとつの人生を考えてもおかしくはないいきさつがある。
著名人となった春花だが、自分を選ばなかった交際相手にかけた呪い不幸になれと願ったその不幸の程度を聞かれて答えたのが 平凡ど平凡という言葉だ。

もしかしたらそれは、かつての紀美子に向けられた言葉だったのかもしれない。人生に無限の可能性を見ているとき、平凡は確かに呪いの言葉だったろう。けれどもある程度、年を重ねてみればその言葉は祈りや祝福に似ていると気づく。これといったドラマチックなことが起こらなくても、当たり前に毎日を送れることがいかに幸せか知った後では。

最後の どこかべつのところで で、いなくなった飼い猫を探す庭子は、猫を見かけたという依田愛という女性と知り合う。自分の一瞬の不注意を悔やむ庭子は、依田の話を聞き、彼女の もし〇〇しなかったら が、とてつもなく重い意味を持つことを知る。(以下略/解説より抜粋)

この本を読んでみてください係数  85/100

◆角田 光代
1967年神奈川県横浜市生まれ。
早稲田大学第一文学部文芸専修卒業。

作品 「空中庭園」「かなたの子」「対岸の彼女」「紙の月」「八日目の蝉」「笹の舟で海をわたる」「ドラママチ」「愛がなんだ」「坂の途中の家」他多数

関連記事

『晩夏 少年短篇集』(井上靖)_書評という名の読書感想文

『晩夏 少年短篇集』井上 靖 中公文庫 2020年12月25日初版 たわいない遊び

記事を読む

『顔に降りかかる雨/新装版』(桐野夏生)_書評という名の読書感想文

『顔に降りかかる雨/新装版』桐野 夏生 講談社文庫 2017年6月15日第一刷 親友の耀子が、曰く

記事を読む

『メタボラ』(桐野夏生)_書評という名の読書感想文

『メタボラ』桐野 夏生 文春文庫 2023年3月10日新装版第1刷 ココニイテハイ

記事を読む

『ビタミンF』(重松清)_書評という名の読書感想文

『ビタミンF』重松 清 新潮社 2000年8月20日発行 炭水化物やタンパク質やカルシウムのよ

記事を読む

『Phantom/ファントム』(羽田圭介)_書評という名の読書感想文 

『Phantom/ファントム』羽田 圭介 文春文庫 2024年9月10日 第1刷 FIREの

記事を読む

『さよなら、ニルヴァーナ』(窪美澄)_書評という名の読書感想文

『さよなら、ニルヴァーナ』窪 美澄 文春文庫 2018年5月10日第一刷 14歳の時に女児を殺害し

記事を読む

『はんぷくするもの』(日上秀之)_書評という名の読書感想文

『はんぷくするもの』日上 秀之 河出書房新社 2018年11月20日初版 すべてを

記事を読む

『盤上に散る』(塩田武士)_書評という名の読書感想文 

『盤上に散る』塩田 武士 講談社文庫 2019年1月16日第一刷 唯一の家族だった

記事を読む

『空中庭園』(角田光代)_書評という名の読書感想文

『空中庭園』角田 光代 文春文庫 2005年7月10日第一刷 郊外のダンチで暮らす京橋家のモッ

記事を読む

『星々たち』(桜木紫乃)_書評という名の読書感想文

『星々たち』桜木 紫乃 実業之日本社 2014年6月4日初版 この小説は、実母の咲子とも、二度目

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

『ジウⅡ 警視庁特殊急襲部隊 SAT 』(誉田哲也)_書評という名の読書感想文

『ジウⅡ 警視庁特殊急襲部隊 SAT 』誉田 哲也 中公文庫 202

『ジウⅠ 警視庁特殊犯捜査係 SIT 』(誉田哲也)_書評という名の読書感想文

『ジウⅠ 警視庁特殊犯捜査係 SIT 』誉田 哲也 中公文庫 202

『血腐れ』(矢樹純)_書評という名の読書感想文

『血腐れ』矢樹 純 新潮文庫 2024年11月1日 発行 戦慄

『チェレンコフの眠り』(一條次郎)_書評という名の読書感想文

『チェレンコフの眠り』一條 次郎 新潮文庫 2024年11月1日 発

『ハング 〈ジウ〉サーガ5 』(誉田哲也)_書評という名の読書感想文

『ハング 〈ジウ〉サーガ5 』誉田 哲也 中公文庫 2024年10月

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑