『菊葉荘の幽霊たち』(角田光代)_書評という名の読書感想文

公開日: : 最終更新日:2024/01/12 『菊葉荘の幽霊たち』(角田光代), 作家別(か行), 書評(か行), 角田光代

『菊葉荘の幽霊たち』角田 光代 角川春樹事務所 2003年5月18日第一刷

友人・吉元の家探しを手伝いはじめた「わたし」。吉元が「これぞ理想」とする木造アパートはあいにく満室。住人を一人追い出そうと考えた二人だが、六人の住人たちは、知れば知るほどとらえどころのない不思議な人間たちばかり。彼らの動向を探るうち、やがて「わたし」も吉元も、影のようにうろつきはじめている自分に気づき・・・・。奇怪な人間模様を通じて、人々の「居場所」はどこにあるかを描く長編。(ハルキ文庫)

この小説は角田光代が30歳位の頃の作品です。もしかすると、単行本の刊行時(2000年4月)にはさほど注目されなかった本かも知れません。彼女の本ならそれなりに読んではいますが、こんな本が出ているのは初めて知りました。

角田光代の書くものなら大抵は面白い。期待を裏切らない。読み応えがあり、考えさせられることがある。言葉にならない感情や心象がそれしかないという言葉で語られ、難解かというとむしろ平易で、気付くと我を忘れて夢中になっているような。

否、そういうことが言いたいのではないのです。そんなこととは別に、おそらく彼女には彼女しか書けない「距離感」のようなものがあり、自分に向けてであっても他人に対してでも、実は「さほど関心がない」のではと思わせるような・・・・

(小説家にあってまさかそれはないわけですが)往々にして、ずいぶんと突き放した視点で人物を語る場合があります。何よりその距離感が「肌に合う」といいますか、そここそが読みたくて、私は角田光代の小説を読んでいるんだろうと。

この小説の主人公で語り手でもある「わたし」(=本田典子)は、どちらかといえば色気のない、25歳の失業中の女性です。彼女は普通にその年頃の女性ではあるのですが、一方ではことのほか「醒めた」感じがする人物です。

感情の起伏が表情に出にくい性分で、何気に付き合っていると何を考えているのか分からないところがあります。媚びない分無用な遠慮がなくて、思ったことは思ったように行動します。躊躇がないという点でいえば、並みの男性よりかは「男らしく」もあります。

典子が一緒に家探しをすることになる吉元との馴れ初めを語る部分があるのですが、彼女が語ると、まるで他人のことを言っているように素っ気ないものになります。

吉元は高校時代の同級生で、そしてはじめてわたしが一緒に眠ったあかの他人だった。それはもうずいぶん前のことになる。

当然のこと二人はすることをした仲なのですが、今では(典子にすれば始まりからしてそうだったのですが)端からそんなことは無かったような、但し乞われれば応じなくはないという程度には親しい間柄、男女には珍しく比較的乾いた関係であるわけです。

典子のこの性分は、吉元がここぞと決めた古びた木造アパート「菊葉荘」の住人・蓼科との気まぐれな同居生活でも同様で、蓼科のあとをつけ、彼を含む大学生らの飲み会に紛れ込み、まんまと近づいたまではいいにして、あげく男の部屋へ上がり込んだとなれば、

そのあと蓼科がどういう行為に及ぶのか、また実際に酒臭い息を吹きかけられ、唇を舐められ、シャツの下から直に胸を揉まれるに及んでも、典子は何ひとつ慌てる素振りを見せません。動揺もせず、興奮もしません。他人が他人にするのを見ているような按配です。

典子が蓼科に目を付けたのは、6つある菊葉荘の部屋の全てに住人がおり、誰かを追い出してそこへ吉元が住めるようにするための企みの端緒でした。ただ吉元に頼まれたので典子はそうしたわけではなく、彼女は自分の意思で蓼科の部屋に居座り続けます。

雑多な物で溢れた、(万年床以外に座る場所もない)昨日まで見ず知らずのまだ大学生になったばかりの男の部屋で、男が買った寿司を食べ、性交し、他の住人の動向を探り、あとは無為に時間を持て余すのですが、それでも自分の部屋へは帰ろうとしません。

吉元はそれについて何も言いません。普通なら非難がましい皮肉の一つも言いたくなる状況なわけですが、一切を受け入れ、あるいはまた、受け流しているように思えます。感謝こそすれ、今に至っては吉元は典子がすることにさほどの関心がないのだと思います。

このあと典子は、蓼科の住む5号室の隣、四十女が住む6号室の窓にかかった洗濯ハンガーから、ひときわ目を引く黒地にひまわりの小さなパンツを盗み出します。それは紐パンとよべるほど小さな、黒地の、股間に一輪、ひまわりが咲いているパンツでした。

控え目でおとなしい物ばかりの中、その一枚のパンツを手にした自分に - 本当はいやがらせにと考え、うまく行けば女が部屋を出て行くのではと思いしたことではあるのですが - 典子はなぜか、よくは分からぬまま、かつてないほどの高揚感を味わっています。

この本を読んでみてください係数  85/100

◆角田 光代
1967年神奈川県横浜市生まれ。
早稲田大学第一文学部文芸専修卒業。

作品 「空中庭園」「かなたの子」「紙の月」「八日目の蝉」「ロック母」「マザコン」「だれかのいとしいひと」「ドラママチ」「それもまたちいさな光」「対岸の彼女」ほか多数

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