『これからお祈りにいきます』(津村記久子)_書評という名の読書感想文

『これからお祈りにいきます』津村 記久子 角川文庫 2017年1月25日初版

高校生シゲルの町には、自分の体の「取られたくない」部分を工作して、神様に捧げる奇妙な祭りがある。父親は不倫中、弟は不登校、母親とも不仲の閉塞した日常のなか、彼が神様に託したものとは -(「サイガサマのウィッカーマン」)。大切な誰かのために心を込めて祈ることは、こんなにも愛おしい。芥川賞作家が紡ぐ、不器用な私たちのための物語。地球の裏側に思いを馳せる「バイアブランカの地層と少女」を併録。(角川文庫)

※ ウィッカーマン(wicker man)とは、古代ガリアで信仰されていたドルイド教における供養・人身御供の一種で、巨大な人型の檻の中に犠牲に捧げる家畜や人間を閉じ込めたまま焼き殺す祭儀のことをいいます。(Wikipediaより)

では、「サイガサマ」とは? - サイガサマとは、ほとんど雑賀町(この物語に登場する町の名前)に限定された「神様」のことをいい、サイガサマは神様として当然人の願いを叶えるわけですが、その代償として、願った人の身体の一部は(サイガサマに)取り上げられてしまうことになります。

サイガサマを信奉する人たちは、身体の一部を差し出すことを厭いません。しかし、命にかかわる部位を取られるのはさすがに避けたいと思うので、それだけは取らないでほしいと併せて願うことになります。

シゲルの住む雑賀町では毎年、冬至の日、サイガサマを祀る町を挙げての祭事(盛大とはいえないまでもそれなりの規模で)が行われます。中学校の校庭に皆が集まり、竹で籠を編むように、木の枝で巨人を編みあげ、それをぶくぶく岳の丘の上の広場に立たせます。

そして首の裏の開口部から「取って欲しくない」部位を象ったもの(紙、紙粘土、石膏などで作った心臓や脳など)を体内に投げ込み、火をつけて燃やします。一連の準備にかかわる作業は秋口から始まり、祭りが近づくにつれ、雑賀町は一様に活気付きます。

この冬至の祭りについて、高校生になったシゲルはすでに大方の興味を無くしています。シゲルの調べによると、サイガサマが実在するとしても、得意なものなどはおそらく何もありません。仮に、何か神様として大きなことをやりたいと思っていたとしても、それだけの力は持っていないようです。

ただ、信心のある人の噂によると、サイガサマは人間の体にとても興味があって、本気で何かを為そうとする時は、願をかけた者の体の一部を取っていくのだといいます。人間の体の一部から力を得てその願いを叶えるという、ほとほと下等な神様であるわけです。

しかし、それでも別に良かったとシゲルは思います。サイガサマなどという等級の低い神様が、人間界に現れて何かをやるというのは迷信で、小学生の頃、必死で折り紙をし、自由研究の作文で表彰までされたというのに、シゲルの願いは少しも叶わなかったのです。

(不登校の)弟に言ってやりたいと思う。あの神様に関わって以来むしろおれは下り坂だと。肌は吹き出物でボコボコになっているし、母親はアホだし、おまえは頭がおかしくなったし(弟はサイガサマへの工作物ばかりを作っています)、父親は不倫をしている。

腹立ち紛れに自転車に乗り、シゲルは駅前の商店街までやって来ます。速度を少し落としてパン屋の店内を一瞥すると、セキヅカがレジを打っているのがわかります。

小学校から中学まで、シゲルとずっと同じ学校に通っていたセキヅカは、早朝からパン屋でアルバイトをし、(しばらくしてわかるのですが)彼女は学校が終わると住宅街の手前の産婦人科で働き、その後更に、雑居ビルの地下にあるカフェバーでも働いています。

商店街で仕立て屋兼紳士服店を営んでいた関塚暁子の父親は、7年前に倒れて、昏睡状態のまま、未だ目が覚めないでいます。母親はいつ意識が戻るとも知れない父親のために店を守る責務を負い、治療費と生活費で働きづめの毎日を送っています。
・・・・・・・・・
シゲルは、セキヅカのぼつぼつとした話をじっと聞きながら、何もできない、ということを思った。自分には何も、セキヅカに与えられるものがない、と思った。そのことに、むなしくなるのではなく、辛くなるのでもなく、ただ強く傷付いた。自分はこんな気持ちになることがあるのか、と不思議にも思った。

家のことは自分がなんとかする。なんとかって、どうしたらいいのかはよくわからないのだけれど、目の前に横たわること、求められたことから逃げないようにする、とシゲルは決心します。 せやから、セキヅカをもうちょっとらくにさしたってください。

祭りの日、シゲルは作業着の尻ポケットに入れた折り紙で作った二つの心臓を取り出し、籠の背中の穴の上からそっと投げ入れます。そして、(さして興味のなくなった)サイガサマに向かって、そんなことを願っています。

この本を読んでみてください係数 85/100

◆津村 記久子
1978年大阪府大阪市生まれ。
大谷大学文学部国際文化学科卒業。

作品 「まともな家の子供はいない」「君は永遠にそいつらより若い」「ポトスライムの舟」「ミュージック・ブレス・ユー!! 」「とにかくうちに帰ります」「浮幽霊ブラジル」他多数

関連記事

『砕かれた鍵』(逢坂剛)_書評という名の読書感想文

『砕かれた鍵』逢坂 剛 集英社 1992年6月25日第一刷 『百舌の叫ぶ夜』『幻の翼』に続くシリ

記事を読む

『子供の領分』(吉行淳之介)_書評という名の読書感想文

『子供の領分』吉行 淳之介 番町書房 1975年12月1日初版 吉行淳之介が亡くなって、既に20

記事を読む

『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』(谷川俊太郎)_書評という名の読書感想文

『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』谷川 俊太郎 青土社 1975年9月20日初版発行

記事を読む

『地を這う虫』(高村薫)_書評という名の読書感想文

『地を這う虫』高村 薫 文春文庫 1999年5月10日第一刷 高村薫と言えば硬質で緻密な文章で知

記事を読む

『氷の致死量』(櫛木理宇)_書評という名の読書感想文

『氷の致死量』櫛木 理宇 ハヤカワ文庫 2024年2月25日 発行 『死刑にいたる病』 の著

記事を読む

『逆転美人』(藤崎翔)_書評という名の読書感想文

『逆転美人』藤崎 翔 双葉文庫 2024年2月13日第15刷 発行 美しすぎるのは不幸なのか

記事を読む

『キッドナッパーズ』(門井慶喜)_書評という名の読書感想文

『キッドナッパーズ』門井 慶喜 文春文庫 2019年1月10日第一刷 表題作 「キッ

記事を読む

『サンティアゴの東 渋谷の西』(瀧羽麻子)_書評という名の読書感想文

『サンティアゴの東 渋谷の西』瀧羽 麻子 講談社文庫 2019年5月15日第1刷

記事を読む

『レディ・ジョーカー』(高村薫)_書評という名の読書感想文

『レディ・ジョーカー』(上・下)高村 薫 毎日新聞社 1997年12月5日発行 言わずと知れた、

記事を読む

『携帯の無い青春』(酒井順子)_書評という名の読書感想文

『携帯の無い青春』酒井 順子 幻冬舎文庫 2011年6月10日初版 黒電話の前で、「彼」からの電話

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

『ケモノの城』(誉田哲也)_書評という名の読書感想文

『ケモノの城』誉田 哲也 双葉文庫 2021年4月20日 第15刷発

『嗤う淑女 二人 』(中山七里)_書評という名の読書感想文

『嗤う淑女 二人 』中山 七里 実業之日本社文庫 2024年7月20

『闇祓 Yami-Hara』(辻村深月)_書評という名の読書感想文

『闇祓 Yami-Hara』辻村 深月 角川文庫 2024年6月25

『地雷グリコ』(青崎有吾)_書評という名の読書感想文 

『地雷グリコ』青崎 有吾 角川書店 2024年6月20日 8版発行

『アルジャーノンに花束を/新版』(ダニエル・キイス)_書評という名の読書感想文

『アルジャーノンに花束を/新版』ダニエル・キイス 小尾芙佐訳 ハヤカ

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑