『ウツボカズラの甘い息』(柚月裕子)_書評という名の読書感想文

公開日: : 最終更新日:2024/01/09 『ウツボカズラの甘い息』(柚月裕子), 作家別(や行), 書評(あ行), 柚月裕子

『ウツボカズラの甘い息』柚月 裕子 幻冬舎文庫 2018年10月10日初版

容疑者は、ごく平凡な主婦 ・・・・・ のはずだった。
殺人と巨額詐欺。交錯する二つの事件は人の狂気を炙り出す。戦慄の犯罪小説。

家事と育児に追われ、かつての美貌を失った高村文絵。彼女はある日、趣味の懸賞でディナーショーのチケットを手にした。参加した会場で、サングラスをかけた見覚えのない美女に声をかけられる。女は 『加奈子』 と名乗り、文絵と同じ中学で同級生だというのだ。そして、文絵に恩返しがしたいとある話を持ちかける。

一方、鎌倉に建つ豪邸で、殺人事件が発生。被害者男性は、頭部を強打され凄惨な姿で発見された。神奈川県警捜査一課の刑事・秦圭介は鎌倉署の美人刑事・中川菜月と捜査にあたっていた。聞き込みで、サングラスをかけた女が現場を頻繁に出入りしていたという情報が入る・・・・・・・。日常生活の危うさ、人間の心の脆さを圧倒的なリアリティーで描く、ミステリー長篇。(幻冬舎webサイトより)

実は、薄々彼女は勘付いていたのだろうと。そんなうまい話が、そうそうにあるわけはないのだということに。

そもそも、突然目の前に現れた女性がかつての同級生の 『加奈子』 であり、文絵に対し、加奈子がそうまでして恩返しがしたいと望んでいたとするなら、その偶然は如何にも出来過ぎた “偶然” で、よくよく考えれば、極めて不自然な出会いではあったのです。

ところが、(胡散臭くは感じながらも) 文絵がその話に乗ったのには訳があります。加奈子がした思いがけない提案は、時の文絵の射幸心を満たすにはこれ以上ない “おいしい” 話で、平凡な主婦として汲々と暮らす文絵は、ある意味墜ちるべくして 『加奈子』 の仕掛けた甘い罠に墜ちてしまうのでした。

文絵が 『加奈子』 の “分身” となり、働くことを決めたのは、提示された法外な報酬もさることながら、何より彼女にとって魅力だったのは 「自分のかつての “美貌” が取り戻せる」 ということでした。売るための高価な化粧品を自ら使い、彼女は日々ダイエットに励みます。

その頃の文絵の暮らしの実情は、家計は毎月火の車、お洒落どころか、自分の洋服一枚さえ買えません。気苦労と育児のストレスが溜まり、食べることだけが楽しみで、スナック菓子や子供の食べ残しを手当たり次第に口にした結果、体重は見る間に増え、1年で10キロを超えたのでした。

ぶくぶく太り、身なりは構わなくなります。化粧はせず、髪の手入れもしないので、まだ30代なのに10歳近くも上に見えます。おまけに彼女は 「解離性離人症」 という心の病を患っています。
・・・・・・・・・・・・・・
文絵は、かつて人が振り向くほどの美少女で、誰もが羨むほどの美貌の持ち主でした。結婚して子供が生まれ、それが今では見る影もありません。

そんな文絵を前にして、『加奈子』 は 「憧れの牟田さん(文絵の旧姓)に20年ぶりに会えるなんて、信じられない。芯からきれいな人は、体型や年齢が変わっても、やっぱり内から光るものがあるわよねえ・・・・・・・」 と見え透いたことを言います。

嘘だ。おべんちゃら決まっている。そう思い、加奈子の誘いを断ろうとするのですが、加奈子は尚も文絵の腕を取り、その手に力を込め、「私、牟田さんにお礼がしたいの」 と話しかけます。ついては鎌倉にある自分の別荘へ遊びに来いと、さらに言葉を重ねます。

文絵は何も知りません。文絵が - 加奈子が、実は 『加奈子』 ではなかった - と知るのは、ずっとあとのことです。

事はそれだけに止まらず、加奈子の指示で文絵がしていた仕事の傍らで、ある殺人事件が起こります。当初、まるで関係ないものに思われたその事件は、やがて、加奈子ばかりか文絵にとっても深く関わっていることがわかってきます。事の真相は -

誰かが死んだ女に成りすましている。死人の名前を騙り、その女に成り代わって悪事を働いている。甘い匂いでターゲットを誘き寄せ、養分をすべて吸い取り、次々に変容を遂げている。(本文より)

文絵が信じたものは全て騙られた虚構で、嘘に塗り籠められた世界の中で、文絵だけがそれに気付きません。

この本を読んでみてください係数 80/100

◆柚月 裕子
1968年岩手県生まれ。

作品 「臨床真理」「検事の本懐」「最後の証人」「検事の死命」「蝶の菜園 - アントガーデン -」「パレードの誤算」「朽ちないサクラ」「孤狼の血」他多数

関連記事

『いちご同盟』(三田誠広)_書評という名の読書感想文

『いちご同盟』三田 誠広 集英社文庫 1991年10月25日第一刷 もう三田誠広という名前を

記事を読む

『アンチェルの蝶』(遠田潤子)_書評という名の読書感想文

『アンチェルの蝶』遠田 潤子 光文社文庫 2014年1月20日初版 大阪の港町で居酒屋を経営する藤

記事を読む

『蟻の棲み家』(望月諒子)_書評という名の読書感想文

『蟻の棲み家』望月 諒子 新潮文庫 2021年11月1日発行 誰にも愛されない女が

記事を読む

『犯罪小説集』(吉田修一)_書評という名の読書感想文

『犯罪小説集』吉田 修一 角川文庫 2018年11月25日初版 田園に続く一本道が

記事を読む

『蝶々の纏足・風葬の教室』(山田詠美)_書評という名の読書感想文

『蝶々の纏足・風葬の教室』山田 詠美 新潮社 1997年3月1日発行 「風葬の教室」(平林た

記事を読む

『緋い猫』(浦賀和宏)_書評という名の読書感想文

『緋い猫』浦賀 和宏 祥伝社文庫 2016年10月20日初版 17歳の洋子は佐久間という工員の青年

記事を読む

『凶犬の眼』(柚月裕子)_柚月裕子版 仁義なき戦い

『凶犬の眼』柚月 裕子 角川文庫 2020年3月25日初版 広島県呉原東署刑事の大

記事を読む

『女たちの避難所』(垣谷美雨)_書評という名の読書感想文

『女たちの避難所』垣谷 美雨 新潮文庫 2017年7月1日発行 九死に一生を得た福

記事を読む

『誰もボクを見ていない/なぜ17歳の少年は、祖父母を殺害したのか』(山寺香)_書評という名の読書感想文

『誰もボクを見ていない/なぜ17歳の少年は、祖父母を殺害したのか』山寺 香 ポプラ文庫 2020年

記事を読む

『今だけのあの子』(芦沢央)_書評という名の読書感想文

『今だけのあの子』芦沢 央 創元推理文庫 2018年7月13日6版 結婚おめでとう、メッセージカー

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

『ケモノの城』(誉田哲也)_書評という名の読書感想文

『ケモノの城』誉田 哲也 双葉文庫 2021年4月20日 第15刷発

『嗤う淑女 二人 』(中山七里)_書評という名の読書感想文

『嗤う淑女 二人 』中山 七里 実業之日本社文庫 2024年7月20

『闇祓 Yami-Hara』(辻村深月)_書評という名の読書感想文

『闇祓 Yami-Hara』辻村 深月 角川文庫 2024年6月25

『地雷グリコ』(青崎有吾)_書評という名の読書感想文 

『地雷グリコ』青崎 有吾 角川書店 2024年6月20日 8版発行

『アルジャーノンに花束を/新版』(ダニエル・キイス)_書評という名の読書感想文

『アルジャーノンに花束を/新版』ダニエル・キイス 小尾芙佐訳 ハヤカ

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑