『ひりつく夜の音』(小野寺史宜)_書評という名の読書感想文

公開日: : 最終更新日:2024/01/09 『ひりつく夜の音』(小野寺史宜), 作家別(あ行), 小野寺史宜, 書評(は行)

『ひりつく夜の音』小野寺 史宜 新潮文庫 2019年10月1日発行

大人の男はなかなか泣かない。ではなぜ、下田保幸は、その夜ひとりで泣いてしまったのか? すべてをあきらめていた男が、もう一度人生を取り戻すまで。その一年間の全記録。

46歳の下田保幸は、プロのジャズクラリネット奏者。演奏に全てを捧げた若い日の情熱は潮が引くように褪せ、いまは音楽教室講師の僅かな収入で過ごす。そんな暮らしがギタリストの青年・音矢との出会いで動き出す。どうしても困ったら下田を頼るよう、亡き母に言われたという音矢の名字は佐久間。下田が昔愛した女性と同じだった・・・・・・・。人生の折り返し点で迷う大人たちの心をはげます感動作。(新潮文庫)

(新潮社webサイトの) 藤田香織が書いた書評の出だしはこうです。

四十代半ばを過ぎて、気がつけば人生の先が見えてきた。いや、違う。先が見えたような気に、なってきた。
仕事も、私生活も、この先きっと劇的な変化はないだろう。今さら転職は困難だし、これから子供を産むとも思えない。となれば、出来るだけ長く、平穏な暮らしが続けられるよう仕事に励み、周囲の人たちと良好な人間関係を保つ努力をするべきだ。そう分かっているのに、これがまた難しい。
もう自分に伸びしろはない。潮は確実に引く一方で、満ちてくることはない。無理をして、頑張って、いったい何になるのか。もう充分じゃないか。心の片隅で、何かを確実に諦め始めているのだ。

言われてみれば、確かにそうでした。まだ若かった頃、そんな時が来るとは思いもしませんでした。もう若くはない。若い “フリ” はもう出来ない。そう観念したのが、下田と同じ40歳の半ば頃のことでした。

音楽教室で得る僅かばかりの収入で、プロのクラリネット奏者としての仕事はなく、日々の生活にかかる支出のあれこれに細心の注意を払うこの物語の主人公・下田保幸ほどではないにせよ、私は私で、その頃人生最大のピンチを迎えていました。

二度目の脳梗塞で寝たきりになった親父の入院が、間もなく2年を過ぎようとしていました。病院への月々の支払いは概ね私の給料の半分で、何かがあると (容態の加減で個室に移されたりすると) それは丸々一月分にもなりました。

妻のパート収入とあとは貯金を取り崩し、何とかやり繰りし耐え忍ぶような日々を送っていました。その頃、長男が大学に進学するのに合わせ準備していた資金の大半がなくなると、仕方なく私の生命保険を担保に借金し、何とかその場を切り抜けました。

嘘でごまかして、同僚からの遊びの誘いをはじめて断りました。行く分のお金はあったのですが、行く分しかありません。次の給料日までに最低限必要な分を考えると、行けるわけがありません。それくらい切羽詰まっていました。

私生活におけるお金の問題だけではありません。何の因果か、その頃の私の職場の状況は最悪でした。私自身が担当する仕事もまた、最悪の状況にありました。詳しくは書きません。思い出したくもないからです。

数ヶ月後に親父が死んで、翌年には息子が大学を中退します。すると、経済的にはえらく余裕のある暮らしになりました。そんな時です。今度は私が病気になりました。狭心症でした。心臓を動かす三つの太い血管の内二つが完全に狭窄している (詰まっている) と言われました。放っておくと近々に、あなたは間違いなく冷たくなっていたと言われました。

下田ほどではないせよ、私が “復活” したのは、三度の手術を受け、退院してしばらくの後、それまでとはまるで違う職場に転職してからのことです。約25年間勤めた元の職場に復帰したまではよかったのですが、以降、どうにも仕事に身が入らなくなってしまいました。

ストンと何かが抜け落ちた - そんな感じでした。そんな折、幸いなことにこんな仕事はどうかと勧めてくれた人がいました。(当然ですが) 元の職場と比べ、働く条件は格段に悪かったのですが、それでも私は “転職” したかった。元の職場にいたくなかったのです。

もう一度だけ、別の世界を見てみたいと思いました。49歳の頃のことです。

この本を読んでみてください係数 85/100

◆小野寺 史宜
1968年千葉県生まれ。
法政大学文学部英文学科卒業。

作品 「ROCKER」「カニザノビー」「転がる空に雨は降らない」「牛丼愛 ビーフボール・ラブ」「それ自体が奇跡」「ひと」「東京放浪」他

関連記事

『神の悪手』(芦沢央)_書評という名の読書感想文

『神の悪手』芦沢 央 新潮文庫 2024年6月1日 発行 このどんでん返しが切なすぎる!! 

記事を読む

『パッキパキ北京』(綿矢りさ)_書評という名の読書感想文

『パッキパキ北京』綿矢 りさ 集英社 2023年12月10日 第1刷 味わい尽くしてやる、こ

記事を読む

『ファーストラヴ』(島本理生)_彼女はなぜ、そうしなければならなかったのか。

『ファーストラヴ』島本 理生 文春文庫 2020年2月10日第1刷 第159回直木賞

記事を読む

『君のいない町が白く染まる』(安倍雄太郎)_書評という名の読書感想文

『君のいない町が白く染まる』安倍 雄太郎 小学館文庫 2018年2月27日初版 3月23日、僕は高

記事を読む

『植物少女』(朝比奈秋)_書評という名の読書感想文

『植物少女』朝比奈 秋 朝日文庫 2025年8月30日 第1刷発行 第36回三島由紀夫賞受賞

記事を読む

『ざんねんなスパイ』(一條次郎)_書評という名の読書感想文

『ざんねんなスパイ』一條 次郎 新潮文庫 2021年8月1日発行 『レプリカたちの

記事を読む

『人間タワー』(朝比奈あすか)_書評という名の読書感想文

『人間タワー』朝比奈 あすか 文春文庫 2020年11月10日第1刷 桜丘小学校の

記事を読む

『罪の轍』(奥田英朗)_書評という名の読書感想文

『罪の轍』奥田 英朗 新潮社 2019年8月20日発行 奥田英朗の新刊 『罪の轍』

記事を読む

『百年泥』(石井遊佳)_書評という名の読書感想文

『百年泥』石井 遊佳 新潮文庫 2020年8月1日発行 豪雨が続いて百年に一度の洪

記事を読む

『ペインレス あなたの愛を殺して 下』(天童荒太)_書評という名の読書感想文

『ペインレス あなたの愛を殺して 下』天童 荒太 新潮文庫 2021年3月1日発行

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

『黒 石 (ヘイシ) 新宿鮫12』(大沢在昌)_書評という名の読書感想文

『黒 石 (ヘイシ) 新宿鮫12』大沢 在昌 光文社文庫 2026年

『母という呪縛 娘という牢獄』(齊藤彩)_書評という名の読書感想文

『母という呪縛 娘という牢獄』齊藤 彩 講談社文庫 2026年3月1

『令和元年の人生ゲーム』(麻布競馬場)_書評という名の読書感想文

『令和元年の人生ゲーム』麻布競馬場 文春文庫 2026年3月10日

『14歳までの犯罪』(畑野智美)_書評という名の読書感想文

『14歳までの犯罪』畑野 智美 角川文庫 2026年2月25日 初版

『熟柿』(佐藤正午)_書評という名の読書感想文

『熟柿』佐藤 正午 角川書店 2026年2月10日 9版発行

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑