『それもまたちいさな光』(角田光代)_書評という名の読書感想文

公開日: : 最終更新日:2024/01/14 『それもまたちいさな光』(角田光代), 作家別(か行), 書評(さ行), 角田光代

『それもまたちいさな光』角田 光代 文春文庫 2012年5月10日第一刷

【主人公である悠木仁絵の、それはそれは無惨な恋の話】
27歳の仁絵が、佐藤雅弘というひとつ年下の男に恋をします。雅弘が働く事務所で知り合い、メルアドや携帯番号を交換し、飲みに行き、やがて2人はつき合うようになります。

雅弘が既婚者だと分かったのは半年後。しかし、雅弘を問い詰めても動じる気配はありません。妻とは既に別居状態で、別れることが決まっていると言います。あまりに自然に言うので、つまり、自分が今できることはとりあえず何もないのだろうと仁絵は思います。

このとき、まだ仁絵はその恋にのめりこんではいません。少なくとも、のめりこんではいないと思っています。

さらに1ヶ月後には子供がいることを知り、雅弘がカメラマンではなく編集プロダクションのアルバイトであることが分かります。しかし、ここでも雅弘なりの言い分があります。それには疑う要素がひとつもなく、その答えに仁絵は矛盾を見つけることができません。

もし親友の珠子からその話を聞いたとしたら、その人ちょっとおかしいんじゃないの、と言ったろうと仁絵は思います。まるで好意を持っていない知り合いに聞かされたら、嘘だとは思わないにしても、けったいな人だとは思ったはずです。

でも、仁絵はそうは思わなかったのです。いろいろ大変なんだなあと思い、えらいなあ、とも思ったのです。つまり、全面的に雅弘を信じたわけです。

もちろん、そんなことだけが2人の付き合いではありません。居酒屋やイタリア料理店で過ごす時間があり、公園ではしゃぐ休日があったのです。気が遠くなるほどの口づけがあり、自分が壊れていくように思えるくらい新鮮な性交があり、寄り添って眠るときの手放したくない体温があったのです。

つき合う内に「この人といるとなんか楽だ」と思うようになります。そう思ったときには、おそらくもう、のめりこんでいたのだと仁絵はあとになって気付くのです。

【仁絵の幼なじみの駒場雄大が理想とする、ベトナムのとある村の食堂の話】
その村には、店を構えた商店などというものがありません。ただ一軒だけ屋根のついた店があり、それが食堂でした。メニューは一つきりで、その日の日替わりのみ。各テーブルには茶菓子が置いてあって、食べた分だけ払うシステムになっています。

村には電気が通っていません。食堂にはラジオがあって、カラオケ番組をやっています。村の人にはそれが何よりの娯楽で、時間になるとみんなが集まってきて順番に曲に合わせて歌います。カラオケ番組の時間帯だけは、食堂が村の人たちに解放されるのです。

屋根を組んだだけで、壁のない食堂ですが、夜に遠くからここが見えるとすごくいいんだと雄大は言います。真っ暗な中にランプの明かりが浮かび上がって、音楽が聞こえてきて、笑い声や話し声が聞こえ、やがてそれぞれのテーブルに着く人たちの姿が見えてきます。

【ラジオのパーソナリティー・竜胆美帆子の仕事の流儀】
今年で5年目になる「モーニングサンシャイン」は、月曜日から土曜日、朝8時にはじまり11時に終わる番組です。番組をはじめて持つことになった5年前、美帆子は今よりぜんぜん気負っていたのですが、4年前、あることがきっかけで方針をがらりと変えます。

無駄話しか、しない。新聞を読むのをやめ、ニュースを追うこともやめます。不思議なことに、それからじわじわと人気が出ます。どうでもいいことをしゃべりすぎるという批判も増えますが、美帆子は次第に開き直ります。そうしようと決めて、そうしたのですから。

【長谷鹿ノ子は50代の大手出版社に勤める編集者。独身。道ならぬ恋をしています】
【田河珠子と仁絵は美大時代の同級生。珠子は売出し中の画家。叶わぬ恋をしています】

私はまったく知らずに読んだのですが、この小説はTBSラジオ開局60周年の記念として書かれた作品のようです。少し古い話になりますが、2011年の暮れにはラジオでドラマにもなっているようです。道理で節目節目に「モーニングサンシャイン」が流れる訳です。

仁絵が働くオフィスや雄大の実家の「クローバー」という名のレストラン。鹿ノ子の道ならぬ恋の相手・タッくんが入院している病院のベッド脇、移動中のタクシーの中・・・。

美帆子の話は何ほどの主張もなく、空気のようにその場の景色に溶け込んで、遠慮深い抑揚と気付かぬくらいの起伏を繰り返しながら、あくまで飄々と語られます。

この小説には、報われない恋があり、破綻してしまう恋があります。そして、誰かと誰かが、決して激しく燃え上がるわけではないのですが、遂に結婚しようと決心します。

それぞれが事情を抱え、別々の場所で暮らし、若い頃には若いなりの、激しい恋をします。しかし、果たしてそれは、二度とはない真実の恋だったのでしょうか。本当にそう言い切れるものだったのでしょうか。人生を重ねると、どこかで、何かが少し違って見えてきたりするのです。

【追伸】
佐藤雅弘という男はハンパ者の大嘘つきで、仁絵に言ったことはまるでデタラメです。では、仁絵は一体、誰に恋をしていたことになるのでしょう?
もひとつ、ついでに雄大。実は彼も若い頃に年上の女性と大騒動を起こした苦い過去があります。その傷を癒すために旅へ出て、ふと立ち寄ったのがベトナムのとある村・・・、てなことにしておきましょう。

この本を読んでみてください係数  85/100


◆角田 光代
1967年神奈川県横浜市生まれ。
早稲田大学第一文学部文芸専修卒業。

作品 「空中庭園」「対岸の彼女」「紙の月」「八日目の蝉」「ロック母」「マザコン」「かなたの子」「ドラママチ」「笹の舟で海をわたる」「幾千の夜、昨日の月」ほか多数

◇ブログランキング

いつも応援クリックありがとうございます。
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

関連記事

『海よりもまだ深く』(是枝裕和/佐野晶)_書評という名の読書感想文

『海よりもまだ深く』是枝裕和/佐野晶 幻冬舎文庫 2016年4月30日初版 15年前に文学賞を

記事を読む

『ひとでちゃんに殺される』(片岡翔)_書評という名の読書感想文 

『ひとでちゃんに殺される』片岡 翔 新潮文庫 2021年2月1日発行 表紙の絵とタイ

記事を読む

『職業としての小説家』(村上春樹)_書評という名の読書感想文

『職業としての小説家』村上 春樹 新潮文庫 2016年10月1日発行 第二回(章)「小説家になっ

記事を読む

『レモンと殺人鬼』(くわがきあゆ)_書評という名の読書感想文

『レモンと殺人鬼』くわがき あゆ 宝島社文庫 2023年6月8日第4刷発行 202

記事を読む

『私の命はあなたの命より軽い』(近藤史恵)_書評という名の読書感想文

『私の命はあなたの命より軽い』近藤 史恵 講談社文庫 2017年6月15日第一刷 東京で初めての出

記事を読む

『鵜頭川村事件』(櫛木理宇)_書評という名の読書感想文

『鵜頭川村事件』櫛木 理宇 文春文庫 2020年11月10日第1刷 墓参りのため、

記事を読む

『白い衝動』(呉勝浩)_書評という名の読書感想文

『白い衝動』呉 勝浩 講談社文庫 2019年8月9日第1刷 第20回大藪春彦賞受賞作

記事を読む

『夫のちんぽが入らない』(こだま)_書評という名の読書感想文

『夫のちんぽが入らない』こだま 講談社文庫 2018年9月14日第一刷 "夫のちんぽが入らない"

記事を読む

『自分を好きになる方法』(本谷有希子)_書評という名の読書感想文

『自分を好きになる方法』本谷 有希子 講談社文庫 2016年6月15日第一刷 16歳のランチ、

記事を読む

『ザ・ロイヤルファミリー』(早見和真)_書評という名の読書感想文

『ザ・ロイヤルファミリー』早見 和真 新潮文庫 2022年12月1日発行 読めば読

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

『揺籠のアディポクル』(市川憂人)_書評という名の読書感想文

『揺籠のアディポクル』市川 憂人 講談社文庫 2024年3月15日

『海神 (わだつみ)』(染井為人)_書評という名の読書感想文

『海神 (わだつみ)』染井 為人 光文社文庫 2024年2月20日

『百年と一日』(柴崎友香)_書評という名の読書感想文

『百年と一日』柴崎 友香 ちくま文庫 2024年3月10日 第1刷発

『燕は戻ってこない』(桐野夏生)_書評という名の読書感想文

『燕は戻ってこない』桐野 夏生 集英社文庫 2024年3月25日 第

『羊は安らかに草を食み』(宇佐美まこと)_書評という名の読書感想文

『羊は安らかに草を食み』宇佐美 まこと 祥伝社文庫 2024年3月2

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑