『青春とは、』(姫野カオルコ)_書評という名の読書感想文
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『青春とは、』(姫野カオルコ), 作家別(は行), 姫野カオルコ, 書評(さ行)
『青春とは、』姫野 カオルコ 文春文庫 2023年5月10日第1刷
目の前に蘇る、あの頃 - きわめてフツウな高校時代がなぜこんなに面白い!? 大人だからわかる青春小説
定年退職しシェアハウスに越してきた独身の乾明子。借りたままの本や名簿から、映画を見ているかのように地方の共学の公立高時代が蘇る。胸キュンもスマホもなく地味なだけ。でもなぜあんなにオカシかったのだろう。これまでの青春小説がとりこぼしてきた部分を掬った、すべての大人に贈る青春小説。(文春文庫)
部室が近いという理由だけで会話を交わすようになった二人は、同じ高校に通う先輩と後輩で、特に何があるわけではありません。ありふれた日常の、二人はよくある関係でした。滋賀の田舎の共学の、(県内では有数の進学率を誇る) とある公立高校でのことでした。
私は乾明子 (いぬい・めいこ) という。イヌイを犬井と書く男子が高校の時にいた。
*
「おい、」
三学期のはじめ。
滋賀県立虎水高校正門へつづく小径。
サッカー部が練習をするのが小径を隔てたグラウンドに見える講堂から出て、伊吹の枝の下をくぐろうとした私の背後から、犬井くんが叫ぶ声が聞こえた。苗字ではなく名前を。
「あんな、めいこ」
ほとんどの人が私の明子という名前を 「あきこ」 と読むのに、学年が違うにもかかわらず彼が 「めいこ」 と認識してくれているのは、部室が近いからである。
「・・・・・・・なに? 」
地味な部活の地味な私はふりかえった。たぶん、どちらかといえばよくないことを犬井くんは言ってくるのだろう。カンが働いた。
「こっち来い」
てのひらを下にして手首を動かす。
行かなかった。身体の向きだけ柔道部の部室の窓のほうへ向けた。
「自分、クラコにせえ」
クラコという音が、漢字で書けば暗子であることは、すぐにわかった。明子ではなく暗子にしろと言っている。同じことを中学校のときも言われた。三人の体育の先生から八回。
「自分、暗子のほうが似合とるわ。今日から暗子て呼んだるわ」
“明るい子ではなく、暗い子だ” という総合評なら、保育園のころから今日まで四十回くらい言われた。
「そらどうも」
私は犬井くんに返した。
「そんでな、暗子」
さっそく暗子になった。
「頼み?」
「うんとなあ・・・・・・・」
犬井くんは、えーとなあ・・・・・・・、えーと・・・・・・・と、言いよどむ。さっそくな言動が常の彼が言いよどんでいるのは、きっとよくない頼みだ。
「痩せえや」
やはりよくない頼みだった。(本文より/抜粋して掲載)
話のはじまりの、すでにここだけでも面白い。しかし、物語は面白いだけでは終わりません。微に入り細を穿つ著者の文章は、遙か遠くに過ぎ去った “青春の日々” を今見てきたかのように克明に、リアルに “復元” してみせてくれます。その時見た景色、味わった空気感、その意味を - 今更ながらに思い返すことでしょう。
※解説より
姫野カオルコは鋭敏な作家である。『青春とは、』 の文章のリズムはゆっくりとなめらかで表現はやわらかく、するすると読めるが、その底流にはささいなことをも見逃さない視線がある。恐るべき傑作 『彼女は頭が悪いから』 でも、淡々とした語り口の中に狙った獲物を逃がさないスナイパーのような眼光鋭い観察眼があり、読者の肺腑をえぐった。『青春とは、』 は吹き出してしまうようなユーモラスな描写をたびたび交えながら、やはり当時の (そしていまも?) 男尊女卑文化に対する異物感を、さりげなく、しかし、青い炎のごとき静かな炎で燃やしている。
『青春とは、』 は、私のように青春から遠く離れた人にとって、青春とはなんだったのか、どんな価値観が支配的だったかを考えるきっかけになる。いま青春の渦中にいる人は、自分のことからいったん離れて、親の世代、ひょっとすると祖父母の世代の青春を客観的に見ることで、ほっと息をつけると思う。現実の青春に向き合うのは楽しいことばかりではないから。
むしろ辛く苦しいことの方が多かった - そんな青春時代を過ごしたあなたにこそ読んでほしいと思う一冊です。思い出してみてください。かつて涙したことも、今ならうまく笑い飛ばせるかもしれません。
この本を読んでみてください係数 85/100
◆姫野 カオルコ
1958年滋賀県甲賀市生まれ。
青山学院大学文学部日本文学科卒業。
作品 「受難」「整形美女」「ツ、イ、ラ、ク」「ひと呼んでミツコ」「昭和の犬」「純喫茶」「部長と池袋」「彼女は頭が悪いから」「悪口と幸せ」他多数
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