『悪人』(吉田修一)_書評という名の読書感想文

公開日: : 最終更新日:2024/01/10 『悪人』(吉田修一), 作家別(や行), 吉田修一, 書評(あ行)

『悪人』吉田 修一 朝日文庫 2018年7月30日第一刷

福岡市内に暮らす保険外交員の石橋佳乃が、携帯サイトで知り合った金髪の土木作業員に殺された。二人が本当に会いたかった相手は誰だったのか? 佐賀市内に双子の妹と暮らす馬込光代もまた、何もない平凡な生活から逃れるため、出会い系サイトへアクセスする。そこで運命の相手と確信できる男に出会えた光代だったが、彼は殺人を犯していた。彼女は自首しようとする男を止め、一緒にいたいと強く願う。光代を駆り立てるものは何か? その一方で、被害者と加害者に向けられた悪意と戦う家族たちがいた。誰がいったい悪人なのか? 事件の果てに明かされる殺意の奥にあるものは? 毎日出版文化賞と大佛次郎賞をダブル受賞した著者の最高傑作、待望の文庫化。(アマゾン内容紹介より)

263号線は福岡市と佐賀市を結ぶ全長48キロの国道で、南北に背振山地の三瀬峠を跨いでいる。起点は福岡市早良区荒江交差点。取り立てて珍しい交差点ではないが、昭和四十年代から福岡市のベッドタウンとして発展してきた土地柄にふさわしく、周囲には中高層のマンションが建ち並び、東側には巨大な荒江団地がひかえている。

この荒江交差点を起点に早良街道とも呼ばれる263号線が真っすぐに南下する。道沿いにはダイエーがあり、モスバーガーがあり、セブンイレブンがあり、「本」 と大きく書かれた郊外型の書店などが並ぶ。ただ、何店舗かあるコンビニだけを注意して見ていくと、荒江交差点を出てしばらくは通りに面して直接店舗の入口があるのだが、それが野芥の交差点を過ぎた辺りから、店先に一、二台分の駐車場がつくようになり、その次のコンビニでは五、六台分、そのまた次のコンビニでは十数台分と駐車場の規模が広がって、室見川と交わる辺りまでくると、いよいよ大型トラックも楽に数台停められる広大な敷地の中に、小箱のようなコンビニの店舗が、ぽつんと置かれたようになってしまう。

そしてこの界隈から、平坦だった道がゆるやかに傾斜していき、須賀神社の前で道が大きく右へカーブすると、街道沿いの民家は減り、真新しいアスファルトと白いガードレールだけに導かれるように三瀬の峠道がはじまる。
・・・・・・・・・・・・・・
2002年1月6日までは、三瀬峠といえば、高速の開通で遠い昔に見捨てられた峠道でしかなかった。敢えて特徴づけるとしても、トラック運転手にとっての節約の峠道、暇を持て余した若者たちにとっての胡散臭い心霊スポットのある峠道、そして地元の人にとっては、事業費50億円を投じた巨大トンネルが開通した県境の峠道でしかなかったのだ。

しかし、九州北部で珍しく積雪のあったこの年の一月初旬、血脈のように全国に張り巡らされた無数の道路の中、この福岡と佐賀を結ぶ国道263号線、そして佐賀と長崎とを結ぶ高速・長崎自動車道が、まるで皮膚に浮き出した血管のように道路地図から浮かび上がった。
この日、長崎市郊外に住む若い土木作業員が、福岡市内に暮らす保険外交員の石橋佳乃を絞殺し、その死体を遺棄した容疑で、長崎県警に逮捕されたのだ。
九州には珍しい積雪のあった日で、三瀬峠が閉鎖された真冬の夜のことだった。

          - 第一章 「彼女は誰に会いたかったか? 」より抜粋(冒頭 ~ P10)

- あんたさ、なんか安っぽか
- え?
- あんたさ、なんでよう知りもせん男の車に、こうやってひょこひょこ乗ってくるわけ? 女ならふつう断るやろ。こんな夜中にとつぜんドライブに誘われて、ほいほい乗り込んでくる女なんて、正直、俺、タイプじゃないったいね。降りてくれん? 自分で降りらんなら、俺が蹴り出してやろうか?

増尾圭吾は彼女 (石橋佳乃) に対し、確かにそう言ってのけたのでした。旧道の途中、ちょうど峠の頂上辺りでのことです。彼は南西学院大学の学生で、実家は湯布院で旅館などを経営しており、博多駅前の広いマンションに住み、車はアウディのA6に乗っています。

佳乃にとって増尾はできれば付き合いたいと思う男の筆頭で、一方の増尾は、佳乃のことをむしろ疎ましく感じています。遊び場で偶然知り合っただけの、ただの垢抜けない女をなぜ車に乗せてしまったのか。後に、増尾圭吾はそれを強く後悔することになります。

・・・・・・・・・・・・・・

たまたま有給を取ったのが、あの日と同じ休日だったということで嫌な記憶が蘇っていた。 光代は気分を変えようと窓を開けた。暖まっていた部屋の空気がすっと外へ流れ、冬の日を浴びた寒風がからだを撫でて部屋へ流れ込んでくる。

光代は一度身震いすると、大きく背伸びして深呼吸した。
選り分けられたら、必ず悪いほうへ入れられてしまう。それが自分だと、光代はずっと思い込んでいた。でも、あのとき、あの高速バスに、私は乗らなかった。あのバスにギリギリになって乗らなかった私は、きっと生まれて初めて、良い方に選り分けられたのだ。

気がつくと、光代はそんなことを考えていた。目の前には静かな田んぼの風景が広がっている。光代は窓を開けたまま、その日差しの中で携帯を見た。メールを開くと、昨日の夜までもう何十通と交わした履歴が残っている。
               - 第三章 「彼女は誰に出会ったか? 」より抜粋(P211.212)

佐賀市郊外、国道34号線沿いにある紳士服量販店 「若葉」 で働く馬込光代は独身で、水路の張り巡らされた田んぼの一角に建つアパートで、双子の妹・珠代と二人暮らしをしています。

来年には三十歳になる光代が、四日前、勇気を振り絞り初めて出したメールに、清水祐一と名乗る男は、ことのほか親切に対応してくれたのでした。実際に会う気などはなかったのです。光代はただ誰かと、メールでいいから言葉を交わしてみたいだけだったのです。

にもかかわらずメール交換は四日間も続き、会う気などなかったくせに、いつの間にか会いたくて仕方なくなっていたのでした。

〈じゃあ、明日、十一時に佐賀駅前で。おやすみ〉
簡単な言葉だったが、キラキラ輝いて見えた。
今日、これから私は彼の車でドライブする。灯台を見に行く。海に向かって立つ、美しい灯台を二人で見に行く。(同三章、P213)

そのとき既に清水祐一は三瀬峠で石橋佳乃を殺害しています。増尾圭吾と石橋佳乃が口論となり、佳乃がアウディのシートから蹴り出され、暗いばかりの峠に置き去りにされた後のことです。増尾がいなければ、峠にさえ来なければ殺してなどいなかったのです。祐一には佳乃を殺す理由がありません。

第一章 彼女は誰に会いたかったか?
第二章 彼は誰に会いたかったか?
第三章 彼女は誰に出会ったか?
第四章 彼は誰に出会ったか?
最終章 私が出会った悪人

※他に、”彼ら” に関わる大勢の人物が登場します。それぞれは、各々に 「自分は何者なんだ」と、「何が為に生きているのか」 を問いかけます。苦しく胸が詰まるような話に、どんな未来があるのでしょうか? 悪人とは、いったい誰なのでしょう。

この本を読んでみてください係数  85/100

◆吉田 修一
1968年長崎県長崎市生まれ。
法政大学経営学部卒業。

作品 「最後の息子」「熱帯魚」「パレード」「パーク・ライフ」「東京湾景」「横道世之介」「平成猿蟹合戦図」「愛に乱暴」「怒り上・下」など多数 

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